tarobee8のブログ(戯言)

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昭和天皇とマッカサーの会談

2020年9月27日

1945年9月27日、昭和天皇陛下はアメリカ大使館にいるマッカサーを訪ねられた。
マッカサーは出迎えなかった。「どうせ命乞いにでも来たのだろう」とたかをくくっていた。
敗れた国の元首はおおむね命乞いをするのが常であった。
昭和天皇がマッカサーに言った言葉にマッカサーは驚いた。
内容は簡略化して書きます。
「この戦争の責任はひとえに全て私1人にある。私の身はいかなる事になろうと構わない。が、国民は今食料がなくて困っている。
どうか国民に食料を援助してもらえまいか」と昭和天皇は言われた。
マッカサーは驚いた。天皇陛下としばらく話し合ううちにマッカサーは尊敬の念を以って「陛下」という言葉に変わった。
このような天皇を戦犯にしては大事になるとマッカサーは悟った。マッカサーは天皇陛下が帰られる時は玄関まで出て
見送った。

以下、スタンフォード大学教授 西鋭夫の「国破れてマッカサー」より引用。
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1946年1月25日、マッカーサーは、陸軍省宛に3頁にびっしりと文が詰まっている極秘電報を打った。この電報が天皇の命を救う。


天皇を告発すれば、日本国民の間に想像もつかないほどの動揺が引き起こされ るだろう。その結果もたらされる事態を鎮めるのは不可能である」「天皇を葬(ほ うむ)れば、日本国家は分解する」

連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の「憎悪と憤激は、間違いなく未来永 劫に続くであろう。復讐のための復讐は、天皇を裁判にかけることで誘発され、 もしそのような事態になれば、その悪循環は何世紀にもわたって途切れることな く続く恐れがある」

「政府の諸機構は崩壊し、文化活動は停止し、混沌無秩序はさらに悪化し、山岳 地域や地方でゲリラ戦が発生する」「私の考えるところ、近代的な民主主義を導入 するという希望は悉(ことごと)く消え去り、引き裂かれた国民の中から共産主 義路線に沿った強固な政府が生まれるだろう」

そのような事態が勃発した場合、「最低100万人の軍隊が必要であり、軍隊は永 久的に駐留し続けなければならない。さらに行政を遂行するためには、公務員を 日本に送り込まなければならない。その人員だけでも数10万人にのぼることに なろう」。

陸軍省をこれだけ脅かした後、「天皇が戦犯として裁かれるべきかどうかは、極め て高度の政策決定に属し、私が勧告することは適切ではないと思う」と外交辞令 で長い電報を締めくくった。


マッカーサーの描いた「天皇なき日本」の悪夢に満ちた絵は、彼の期待どおりの奇跡を齎した。

この電報を受け取った陸軍省は、すぐさま国務省(バーンズ長官とアチソン次官)との会議を持つ。国務省陸軍省は、天皇には手をつけないでおくことに合意した。
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引用終わり


昭和天皇陛下はその後も数回マッカサーを訪れて色々と会談されている。
その中で、敗戦に打ちひしがれている国民を励ますために日本全国を巡礼したいので許可をして欲しいと言われている。
マッカサーは承諾して、以降、昭和天皇陛下による日本全国の巡礼が始まった。ただ、沖縄はアメリカの領土になっていたので行く事は叶わなかった。
1972年に沖縄が日本に返還されたが、おりしも昭和天皇陛下と皇后陛下の世界中への訪問が重なってご高齢でもあり、とうとう
1989年に亡くなられるまで沖縄への巡礼は叶わなかった。代わりに平成天皇陛下が皇太子時代も含めて沖縄に巡礼をされている。

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