2020年10月30日

今日は父が生きていれば97才の誕生日です。父は平成1年12月5日未明に肝硬変の食道静脈瘤破裂により亡くなりました。
66歳でした。私的には肝硬変ではなくて肝臓がんだっと思います。食道静脈瘤の硬化療法という手術を受けたために
(私は反対したのですが)食道の蠕動運動が出来なくなって腹が減っても食べることが出来なくなりました。たいそう
辛かったと思います。だから反対したのですが。私が反対するのにいつも私に反対してやってはいけない事を実行する
からいつもおかしな事になっているのです。今ではジェリー状の吸って食べるものがありますが、当時はなかった。
栄養が取れないから悪い肝臓が余計悪くなるという悪循環でした。私が反対するのにはちゃんとした訳があるのです。
みな私の言う事を聞かないからおかしな事になっているいつも。父は「わしはもうダメじゃろう。わしにもしもの事が
あればお母を頼むの」と私に言っていました。なので後年父の遺言通りに母を介護してN家の財産をたった1人で守って来ました。
母は父を尻に敷いていましたが、父が亡くなるとショックを受けていました。その母を支えてきたのは私です。
今日は一粒万倍日です。今日何かすれば何万倍にもなって返って来るそうです。なので昨日頭に浮かんだクリニックの
整形外科に行って来ました。久しぶりだったので問診表に記入しました。お薬手帳を渡した。左ひざを2方向からX線撮影しました。
今日は一昨日と昨日よりも痛みは軽くなっていました。やっぱり左脚の内側の靭帯が伸びているそうです。
患部を安静にするのが1番で本当はギプス固定がいいんだが、それでは歩けなくなるし、仕事もあるし、歩くには
松葉づえが必要になるしで、次にいいのがテーピングで固定してその上から装具で固定するという方法になります
と言われた。その他の方法は安静が保てないのでダメですと言われた。テーピング固定して装具で固定するのに同意した。
整形外科の先生がまだ現役でいてくれていて助かった。痛み止めの飲み薬を出しておきますと言われて患部に局注を
お願いしたら、痛みは無くなるが、切れたらまた痛むので飲み薬にしますと言われた。別の処置台に移った。
ズボンを脱いだ。お薬手帳を見てガスターを飲んでいるので聞かれて説明したら、胃がそのような状況なら痛み止めの
飲み薬は出せないので頓服の座薬を出しておきますと言われた。テーピングしてもらいながら今までの事情を話した。
それで中島クリニックで薬をもらっているんですねと言われた。また耳鳴りが酷くて耳鼻科でステロイド療法をしたら
治った事も話した。とにかくストレスが半端じゃなかった。そして装具を固定するのに外したり付けたりする方法が
分からないと困るので見ておいて下さいと言われて上半身を起こした。装具を付けてもらいながら説明を受けた。
どれくらい治るのにかかりますかねと聞いたら1か月ちょっとですと言われた。テーピングは夏場は毎日交換が必要だが、
今の次期では2-3日に1度でいいですからと言われた。テーピングし直すのに2階のリハビリ室で泡の出る装置で洗浄
してからテーピングをするそうだ。次回は来週の月曜日に来ることになった。看護師さんから説明を受けた。
装具は以前は無料で貸していたが、何人か返さずにドロンとした人がいるので保証金として3000円もらっておいて
治療が終わって装具を返す時に3000円お返ししますと言われた。この預かり表は無くさないでくださいと言われた。
11月4日はH病院の定期の受診日なので終わってから買い物に行って整形外科に寄るか午後からにするか、11月5日の
午前中にするかだ。12月初旬までかかりそうで、火星の観測は今年はもう止めておこう。万が一の事があればいけないので
来年の1月から3月のシリウスの伴星に切り替える。お礼を言って会計を済ませて薬局で座薬をもらった。510円だった。
多分使う事はないか、使っても1回か2回くらいだろう。お礼を言って帰宅した。帰宅した。駐車場が空いていて良かった。
母宅に上がってお参りした。帰りに落ち葉を拾って草抜きをした。昼の薬を飲んで洗濯物を収納した。
昼食を食べてアマニ油を飲んだ。あ、お風呂は入れないのでシャワー浴になるが、装具は付けたままでもいいが、
濡れないように大きなビニールを巻いて水がかからないようにするようだ。動きが制限されているし、正座も出来ない。
もちろん治るまで重たい機材は持ち運び出来ない。大人しくして早く治した方がいい。階段を降りるのが楽になって良かった。