tarobee8のブログ(戯言)

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情けない

2020年12月1日

昨日は植木屋さんが日没後もずっと仕事をしてくれた。兄は3時ごろ帰って来てお金を払って植木屋さんと談笑して
またすぐ出て行った。ああ、自分の事なのに私に押し付けておいて、いつもの事だが、これが長男だけというだけで
威張っている男の正体だ。普段からホッタラカシにしておいて、植木屋さんにも頼むのが遅すぎてしかも最初から
私を当てにしていた。まるで自分はご主人様で私は使用人であるかのような振る舞いだ。母が存命中もそうだったが、
遺産分割した後も自分の事は自分でするという自覚や危機感がまるでない。奇麗に欠如している。誹謗中傷でなくて
本当の事だ。兄がホッタラカシにしていて植木屋さんが奇麗にしてもらって風通しが良くなって兄の敷地内から
大量の落ち葉や剪定したクズが風で私の敷地に舞い込んできて後片づけが大変だった。兄は自分が奇麗にしたと
妹や弟が帰省したら威張るだろうが、兄は何もしていない。ただ植木屋さんを電話で呼んでお金を払っただけ。
挨拶も対応も全て私がした。したというよりもやらされたと言った方が正しい。兄は何か口実を作っては逃げて
いただけ。自分のものなら自分で1から10までやってみろ。私が植木屋さんに「あれをこうして、これをこうして・・・」
とお願いしたから出来ただけだ。バカに付ける薬はない。バカでなくてアホだ。琥珀の定期消防検査もこの調子に
ならないようにする。兄に・・・ポンプに予約を取ってもらい兄自身が立ち合いに行ってもらう。立ち会いに行かせる。
予約はしたが「弟に代わりに行かせます」では困る。私には私の都合がある。兄の都合にいつも合わせさせられて
母の存命中は大変迷惑を被った。母の49日の法要と納骨の時もだ。お陰でただ道路に細い白線が引いてあるだけの
所を一時停止しなかったと警察にネズミ捕りのように捕まって青切符切られて迷惑した。兄は自分の車で行って欲しかった。
当日になって急に私の車に乗せてもらって行くと言うので仕方なく乗せたらこうなった。兄は私にとっては厄病神だ。
今日もマスクをして車で買い物に行った。ヒロデンのもみじ銀行に行って通帳記入した。今日は下りがとても渋滞して
いた。何があったのかは分からない。今年最後の散髪もしてもらった。帰宅して45リットルのビニール袋を持って庭仕事した。
母宅に上がってお参りした。今日も動いても脚は痛く無い。剪定後の散乱した植物の後片付けが大変だった。
帰宅して手を洗った。昼の薬を飲んで洗濯物を収納した。昼食を食べてアマニ油を飲んだ。パソコンでフェイスブックをチェックした。
昨日、毛沢東が当時訪中した社会党の委員長に「日本が昔中国で悪い事をした。申し訳ない」と言ったら「私は
日本軍に感謝している」と言ったのを書いたら今朝、いつもカミツキガメみたいに噛みつく女性に噛みつかれて
返事を書いたらまた先ほど大ブーメランでもの凄く噛みついてきた。確かに毛沢東は6500万人殺害した極悪人で
習近平派さらに極悪人だ。だが、私の書いた話を棒読みしたとしか思えない。私が書いたのは田中角栄毛沢東が言った
言葉ではなくて、終戦後に社会党の委員長が訪中した際に毛沢東が言った言葉を書いただけだ。盧溝橋でにらみ合っていた
日本軍と蒋介石軍に対して毛沢東は両方に不意打ちを食らわせて、日本軍は蒋介石が攻撃してきたと思わせ、蒋介石には
日本軍が攻撃してきたと思わせて、満州だけで終わるはずだった日本軍を蒋介石と戦わせることに寄って日本は中国本土に
攻め込む羽目になって、蒋介石と日本軍という2匹の虎が戦っているのを毛沢東は山の上で見物していてお互いに
疲弊させておいて、終戦後日本軍が引き上げるとその間に力を温存しておいた毛沢東率いる中国共産党軍が疲弊した
蒋介石軍をいとも簡単に追い出した。そして毛沢東は漁夫の利を得て中国本土を掌握した。その事に対して日本に
感謝していると毛沢東が言ったのをよく読みもせずに噛みついて来てそれは酷い罵倒だった。こんな感情的な立憲民主党
辻本清美や蓮舫のようなバカを相手にしておれないので、絶交を申し出てフェイスブックの友達を解除した。
せっかく明るい1日を迎えたと思ったら酷い攻撃で私は普段から嫌がらせの多いこの女は嫌だったが、もうこれを機会に
友達から削除した。なので今は機嫌が悪い。