ハリマオの命日

2021年3月17日

今日は「快傑ハリマオ」として名高い日本人の谷豊が亡くなった日です。
谷豊は日本生まれの日本育ち。1911年の今の福岡市生まれ。2歳の頃、父に連れられてマレーシアに移住して父は理髪店を営んでいました。
日本の教育が必要だと言う事で1918年一時日本に帰国して叔父の家から学校に通って学んでいました。1927年にマレーに戻りました。1930年にイスラム教に改宗しました。
1931年に徴兵検査のために日本に戻りましたが、身長が僅かに足りず、不合格でした。その後日本で鉄工所で働いていました。この頃から仲間内でリーダー的な存在でした。
1933年にマレーシアの華僑が反日運動を起こしていて暴徒と化して谷豊の父の経営する理髪店に襲撃して2階でたまたま風邪で寝ていた谷の妹を殺して首を切って晒しものにしました。
それを知った谷豊はマレーに戻って華僑たちに復讐をします。裕福な華僑を襲って金品を盗り決して人は殺さず。
そして奪った金品は貧しい人たちに配っていました。それに感動したマレー人たちは谷豊の元に集まってついには3000人の盗賊団のリーダーになりました。
谷豊はマレーの大金持ちの華僑を狙って金品を奪い、貧しい人たちに配っていました。決して人は殺さず。
しかし1939年にマレーシア政府に寄って追放されてタイでパスポート不所持の罪で捕まりました。現地の女性が谷に一目ぼれして両親がお金を払って解放させました。
谷とその女性は一緒に暮らし始めました。1941年に陸軍中野学校出身のスパイの神本利夫が谷豊に接近しました。実は谷を釈放させるためにお金を出したのは神本でした。
神本は谷に日本のために働いてくれと頼みましたが、谷は応じず。神本はそれなら自分もイスラム教徒になるからと説得して谷豊は日本軍に協力する事にしました。
ハリマオとはマレー語で「虎」という意味です。マレーを神出鬼没に濶歩する谷豊を始めとする盗賊団が日本軍に協力したのです。
1941年12月8日にマレーに日本陸軍がイギリスと戦いに来ました。谷たちの情報は正確で日本軍は大いに助かりました。そして色々な工作活動をして日本軍を大いに助けました。
そんな谷豊もマラリアに罹りキニーネの投与を拒みマレーの治療を選びましたが、谷豊はマラリアで亡くなりました。神本は最後まで谷豊の傍にいて谷豊を看取りました。1942年3月17日です。
谷豊の死骸は仲間のイスラム教徒に引き取られてイスラム教の葬儀が行われました。
谷豊の事をマレーの人たちは日本人とは知らなかった人が多いそうです。
神本は藤原岩一と並んで陸軍中野学校の出身者でインドシナやインド方面を独立させるためのスパイでした。神本は潜水艦で日本に帰る途中で撃沈されて亡くなっています。
昭和30年代後半に日本中が3丁目の夕日の時代ににテレビドラマで「快傑ハリマオ」というドラマが流行りました。私はまだガキでした。
歌はよく覚えています。「真っ赤な太陽 燃えている 果てしない南の 大空に とどろきわたる雄叫びは 正しい者に味方する ハリマオ ハリマオ 僕らのハリマオ」です。
ハリマオって日本人でした。日本人でもハリマオの事はあまり知られていない。