tarobee8のブログ(戯言)

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三国志の人物像~諸葛亮孔明 Part10

2021年3月31日

孔明の遺言は、「私が死んだら魏延を置き去りにして撤退せよ」でした。これは魏延は聞かされていません。最後の言葉は「旗をひるがえせ、鼓を鳴らせ」でした。要するに進軍せよという意味です。
進軍したら仲達は逃げると分かっていたのです。
孔明が亡くなったと知った仲達は総攻撃を命じます。蜀の軍隊は撤退しているはずが、進軍して来ます。仲達はそれを見て、全軍に撤退命令を出します。「やや孔明は生きておったのか!危うく孔明の策に嵌るところであった」と全速力で逃げました。これを現地の人が「死せる孔明 生ける仲達を走らす」と後世に言い伝えたそうです。
実は、蜀の軍隊は孔明の遺言どおりに撤退したのですが、魏延は最後の言葉を伝え聞いて「進軍せよ」と解したのです。逃げる仲達を追撃しようとしたのですが、他の友軍はいませんでした。なので追撃はあきらめました。友軍はとうに撤退していたのです。

注:正史三国志では、魏軍に向かって進軍したのは「楊儀」になっています。が、それだと置き去りにされた魏延は気づいて魏軍に攻め入ったはずです。これでは撤退でなくて本当に戦になってしまいます。

この時代の中国(特に魏)では強すぎれば殺され、弱すぎても殺されるという傾向が強かったのです。孔明はそういった事情を考慮していたのです。仲達は撤退する理由が欲しかったのです。
もし、孔明の善意を解さないで蜀軍を打ち破り、成都まで攻め入って滅ぼしていたら、仲達は御用済みとして暗殺されていたでしょう。
蜀さえ落とせば、呉を落とすのはいとも簡単だからです。仲達はただの危険人物になってしまいます。
孔明を恐れてわざと逃げた事により、たいした事ない奴と安心されて生き延びる事が出来ます。
孔明と仲達の、アウンの呼吸があったのです。お互いに尊敬していたし。

が、自分が置き去りにされたと知った魏延は先回りして楊儀たちを待ち伏せします。政敵の楊儀が自分を置き去りにして逃げたと。お互いが成都に「楊儀が謀反を起こした」「魏延が謀反を起こした」と訴えます。が、普段から孔明と意見が対立するし、誰に対しても歯に衣着せぬ魏延に対して快く思っている人は少なく、逆に悪感情を持っていました。劉禅成都にいる重臣にどちらが謀反人か尋ねると、「魏延が謀反人です」という言葉が返って来ました。この事はすぐに伝えられて魏延は謀反を起こした事になりました。謀反人になった魏延からは離脱者が相次ぎ、魏延は逃げます。が、追っ手に斬られ死にました。楊儀魏延の首を踏みつけて「もう悪さは出来まい」と罵ったそうです。魏延の一族はおろか三族まで粛清されたそうです。楊儀は満足でした。が、意外な事態が楊儀を待っていました。

孔明の評価について、正史三国志を著した陳寿は・・・どのように小さい善でも賞せざるはなく、どのように小さい悪でも罰せざるはなかった。みなこれを畏れつつも愛し、刑罰は明らかで公平であった。その政治の才能は管仲・蕭何に匹敵する』と最大限の評価を与えている。しかしその一方で「応変の将略はその長ずるところにあらざるか」(臨機応変さは孔明の得意ではなかったのだろうか)とも書いており、諸葛亮は政治家として有能であったが軍人としての評価については慨嘆するに留まり、やや口を濁した形になっている。