戦艦大和最期の日

2021年4月7日

1945年4月5日、戦艦大和は激戦の続く沖縄に向けて出撃する命令を受けた。同4月6日大和は護衛戦闘機を伴わず艦船だけ引き連れて出航した。
(正確には戦闘機は途中まで護衛していたが、燃料がもたないので引き返していた)
大和の船長はこの作戦には大反対していたのですが。
護衛する戦闘機もなくでは死にに行くようなものですから。
沖縄本島の浅瀬に乗り上げて、そこからアメリカ軍に砲撃を浴びせよと言う
命令だった。みんな死を覚悟していた。
大和の最大速度は27ノットだった。遅い方だ。敵を待ち受けて巨砲で攻撃するのが目的で作られていた。
日本軍の暗号をすでに全て解読していたアメリカには筒抜けで、たくさんの
戦闘機や潜水艦が大和を待ち受けていた。
1945年4月7日、激しい魚雷の攻撃や爆弾を多量に浴びて東シナ海を迷走してとうとう爆沈した。左舷に魚雷の集中攻撃を受けていた。
爆沈する前に命令で海に飛び込んで生き残った人も大勢いた。3992名の乗組員のうち9割は大和と運命を共にした。
大和と共に護衛していた艦船もみな撃沈した。

戦後数十年を経てレーダーによる探査では船体は3つに分かれているようです。
宇宙戦艦ヤマトの漫画やアニメが始まったのはその前です。
大和と双子の戦艦「武蔵」はフィリピンのレイテ沖海戦で大和と同じように
撃沈されている。大和も武蔵も不沈艦と呼ばれて分厚い装甲で守られていたが、
あくまでも戦艦対戦艦での砲撃戦という前提で作られていて魚雷の集中攻撃には
耐えられなかった。