tarobee8のブログ(戯言)

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山本五十六の最後

2021年4月18日

1943年4月にガダルカナル方面で行った「い号作戦」の巡視のために山本五十六と宇垣参謀長は2機の爆撃機に分乗して1943年4月18日の午前6時に飛び立ってブイン基地に向かいました。
護衛はゼロ戦6機。護衛機が足りない50機くらいにしろと言っていましたが、伝わっていませんでした。
この視察のために暗号解読されている古い暗号はもう使っていなかったのに、この時は何故か古い暗号をわざわざ使っていました。
当然アメリカ軍は暗号を解読しておりP38ライトニングの編隊を組んでブーゲンビル上空で待ち構えていました。
戦闘機の数でアメリカ軍は圧倒していました。1号機に乗り込んでいた山本五十六の乗っている爆撃機は撃ち落とされてモイラ岬のジャングルに墜落して死亡しました。
2号機に載っていた宇垣参謀長の爆撃機は撃ち落とされて海上に不時着しました。宇垣参謀長は救出されました。
山本五十六は1番目にご本人を見つけた兵隊さんは無傷だったと報告しています。が、何故か銃弾がこめかみから下あごにかけて貫通していたと記録ではなっています。
P38の機銃は12.7mm砲4門と20mm砲1門です。こめかみに当たれば頭は吹っ飛んでいたはずです。P38の銃撃で死んだのではなくて自決したのだと思われます。
ブーゲンビル島の日本軍は上空で銃撃戦をやっているので急いで飛び立ったが、もう撃ち落とされた後だった。
何故、わざわざ解読されている古い暗号を使ったのか。山本五十六は海軍も陸軍も大反対していた真珠湾攻撃をやってアメリカを怒らせて、それによってアメリカと言う巨人が参戦して
ミッドウェイの海戦では大敗しました。自分がやった作戦で日本軍は南に降りて
西に行くと言う作戦がパーになって、本来は東アジアでの戦争だったはずが、自分のせいで予定になかった南太平洋での戦いという想定外の戦いを強いられて海軍も陸軍も大苦戦して
いました。それに責任を感じてわざとアメリカ軍に殺してくださいと自殺をしに行ったのでしょうと個人的には思っています。
山本五十六の死は国民にショックを与えるからと伏せられていました。が、1943年5月21日に山本五十六の戦死が発表されて、皇族でも華族でもないのに平民で唯一国葬になりました。

なお真珠湾攻撃とミッドウェイの海戦を計画した永野修身は戦後、GHQA級戦犯として逮捕されて巣鴨プリズンで寒い冬に窓ガラスを全部破られて肺炎を起こしてアメリカ軍の
病院に搬送されましたが、肺炎で亡くなっています。