tarobee8のブログ(戯言)

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君が代はラブレターだった

2021年10月10日

国柄探訪: 絵本『ちよにやちよに』が伝える日本の「根っこ」
~『君が代』はすべての「いのち」へのラブレター

「こういう恋文を国歌にする国って、なんて素敵なんだろう。こういう国が私のルーツだなんて、とっても誇らしく思いました」
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■1.「この絵本の大事な役割は『君が代』をもとに戻すこと」

君が代』を描いた絵本『ちよにやちよに』[白駒]が出版されました。幼児にも分かるように描いてありますが、この絵本には、すべての日本人への根源的なメッセージが込められています。

 帯には国文学者で元号「令和」の発案者と言われる中西進国際日本文化研究センター名誉教授による次の推薦の言葉が掲載されています。

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君が代は広く人びとが愛唱して来た
長寿の雅歌(がか)であり
万葉集からの伝統を継ぐ
まさに真珠のごとき愛の歌を
日本人は宝としつづけるのである。
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 中西教授からお話しを聞いた出版社の木下豊さんによると、「この絵本の大事な役割としては『君が代』をもとに戻すこと」と言われていたそうです。

「もとに戻す」というのは、「1100年以上前に詠まれたラブレターだったこと、1000年以上にわたって私たちの先人たちが愛唱してきた歌、そういう自由でのびのびとした、一般庶民に親しまれた歌である、という状態にもどしてやること」とのことです。[出版記念講演会、59分10秒]


■2.「恋しい人に『いつまでも、長生きしてくださいね』」

君が代』の「もとの状態」を、絵本の文章を書かれた白駒妃登美さんは、「あとがき」でこう説明しています。

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 それは、今から1100年以上前の平安時代前期に編纂された『古今和歌集』にありました。『君が代」の本歌は、「題しらず、よみ人しらず」で、
 わがきみはちよにやちよにさざれいしのいはほとなりてこけのむすまで
  (古今和歌集三円三)
 と、あります。
 もとの歌は、「君が代」ではなく「わが君」です。当時、主に女性が、愛する男性を呼ぶ時に「わが君」と言ったのです(一方、男性が愛する女性を「わが君」と呼ぶこともありました。つまり夫婦や恋人など、親愛の情を持つ相手に向けた呼び名が「わが君」なのですね)。
この歌は、名前はわかりませんが、平安時代に生きた、ある人物が、恋しい人に「いつまでも、長生きしてくださいね」と歌いあげたものだったのです。[白駒、p34]
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■3.「1000年以上にわたって私たちの先人たちが愛唱してきた歌」

 この歌は当時、大人気の歌だったようです。

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 その註(あか)しに、古今和歌集の成立からおよそ100年が経った1013年ごろ、藤原公任(ふじわらのきんとう)という人が、みんなが楽しく朗詠(ろうえい)できる名歌を編纂した『和漢朗詠集』に、「わが君は」が「君が代は」と手を加えられて、登場します。

君が代は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりてこけのむすまで

「君」は、恋人や親しい人だけでなく、一族の長老や主人など、目上の人に対し敬意を込めて呼ぶ時にも使われました。そして「代」は、寿命や命のことであり、時代を表す場合にも用いられます。

「千代に八千代に」は、「ずーっと永く、いつまでも」。「さざれ石」は小さい石、「いはほ」(いわお)は「大きな岩」のこと。永い年月の間に石灰岩に雨水が浸透していき、ミネラルが溶けだして周りにある小石とくっつき、大きな岩となる現象を「さざれ石のいはほとなりて」で表しているのでしょう。

自然界のあらゆる所に神さまが宿ると考えてきた私たちの祖先は、石にも神霊が宿り、時間をかけて成長していくものだと信じてきたのですね。

「こけのむす」は、「苔(こけ)が生える」という意味。石が成長して岩となり、その表面に苔が生えるまでというのは、永い永い年月のたとえであり、同時に、愛の深さを表しているのでしょう。[白駒、p34]
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 この歌は、能の謡曲となったり、お座敷で小唄として歌われたり、さらには結婚式や正月などのめでたい席でも歌われるようになりました。こうして「1000年以上にわたって私たちの先人たちが愛唱してきた歌」が、『君が代』の「もとの状態」なのです。

 ラブレターと言っても、「私を愛して」というような自分本位の気持ちではなく、ただただ相手の長寿を願う利他の愛でした。この点も、我が先人たちが愛唱してきた理由でしょう。


■4.政治的喧噪の中で忘れられた『君が代』の「もとの状態」

 明治になって、西洋諸国が国際交流の場で互いの国歌を演奏する、という風習に従うために、国民に愛唱されてきた古歌『君が代』が選ばれ、雅楽の調べに西洋音階の和声(ハーモニー)を巧みに取り入れた曲がつけられ、現在の荘重な『君が代』が完成したのです。

 そして、国歌になると、天皇ご臨席の場で歌われる事も多くなり、『君が代』という表現のままで、「天皇のお治めになる御代」という意味が込められるようになったのです。

 もともと我が国は、初代・神武天皇が民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、「おおみたからをしずむべし(民が安寧に暮らせるように)」との愛と祈りをもって、国をはじめられました。以来、歴代天皇は民の安寧を祈り続けられ、122代明治天皇の御代に、ようやく国歌『君が代』が誕生して、民が天皇に愛と祈りをお返しする歌ができたのです。

 ある名もなき民が愛する人の長寿を願った歌が、広く民衆に愛され、そして天皇と国民が愛と祈りを交わし合う国歌に育ったのは、まさに「千代に八千代に」の時間を経て、「さざれ石」が「苔むす巨岩」に成長する過程でもありました。

 戦後は、左翼から「君が代天皇制賛美、戦争で使われた軍国主義の歌」などという批判が起こるようになりました。その政治的喧噪の中で、名も無き作者が自分の大切な人に送ったラブレターから始まった、この千年の愛と祈りの歴史が忘れ去られてしまったのです。

 中西進教授が、『君が代』を「もとの状態に戻す」というのは、この政治的喧噪の前の、我が先人たちが、恋人や一族の長や天皇にまで愛情や長寿への祈りを込めて歌い交わしてきた伝統に帰る、ということなのです。


■5.「こういう恋文を、国歌にする国ってなんて素敵なんだろう

 この絵本には、幼児にも感じとれるように、日本画家の吉澤みかさんの手になる、愛と祈りが溢れんばかりに籠もった絵に、次のような白駒さんの文章が添えられています。絵は以下の頁でご覧下さい。
https://www.e-denen.net/cms_kifubon.php

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・1つ目のイメージ(母親が赤ちゃんを抱いて、お花畑から暖かい太陽を眺めて)
 いっしょにいる 時も はなれている 時も
 たいせつな あなたには いつも 笑顔で
 そして しあわせで いてほしい…

・3つ目のイメージ(女性がたくさんの星が輝く夜空を仰ぎながら)
 たいせつな あなた
 あなたの いのちが いつまでも いつまでも
 永(なが)く つづきますように
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 また、この絵本には、英語の対訳もつけられています。それがまた日本語の優しい文章と見事にマッチしていて、英語国の子供たちにも愛と祈りが感じとれるでしょう。英訳を担当した山本ミシェールさんは、上記の出版記念講演会でこう語られています。

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 私は生まれも育ちも海外で、『君が代』はオリンピックの時ぐらいしか聞いたことがなかったのですね。他の国に比べて短いし、正直、ちょっと地味だし、何を言っているのかが、まず理解できていなかったんですね。『君が代』に対して、実はそんなに思い入れはなかったんです。

 でも、「『君が代』は実は平安時代のラブレターだったんですよ。一人の人が誰かのことを大切に思って歌った気持ちの歌詞なのよ」と言われて、すごく驚くとともに、それを言われた途端に脳裏にやっと意味がスパンと入ってきた。こういう意味を歌っていたんだ。

 そして、こういう恋文を、和歌を、国歌にする国ってなんて素敵なんだろう。こういう国が私のルーツだなんて、とっても誇らしく思いました。[出版記念講演会、15分59秒]
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 こういう発見を、日本のすべての子供たちにしてもらいたいと思うのです。


■6.「すべてを神のいのちの表れ、神の恵みとみた」

 このチームで『ちよにやちよに』の制作が続けられたのですが、『君が代』の「君」が天皇に限らない事から、その対象はどんどん広がっていきました。「あとがき」で白駒さんはこう書いています。

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 この歌を歌うとき、誰を「君(きみ)」と思うのかは、歌う人の自由です。想像の翼は、国境も宗教も、時代さえも、たやすく超えることができます「君」は人でなくてもかまいません。創造力をふくらませれば、虫や動物や草木、山や海や地球、月にも宇宙にさえも対象を広げることができます。[白駒、p36]
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 これは決して突飛な空想ではありません。日本画家で日本神話に関して数々の著書を遺された出雲井晶(いずもい・あき)さんは、次のように書かれています。

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 古代人は、ものをただの物体とは見なかった。そして、すべてを神のいのちの表れ、神の恵みとみた。すべてのものに神の命を見たからこそ、ありとあらゆるものに神の名をつけた。例えば、小さな砂粒にさえ石巣比売神(いわすひめのかみ)、木は久久能智神(くくのちのかみ)、山の神は大山津見神(おおやまつみのかみ)というように・・・[出雲井, p124]
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 日本神話では、太陽は太陽神・天照大神そのものですし、月は月読命(つくよみのみこと)が司っています。先人たちは一日の初めに朝日を拝み、夜は月の美しさを愛でていました。

 そう言えば、『君が代』に出てくる「さざれ石」(小石)、「いはほ」(巨岩)、「苔」もすべて「いのち」であり、我々の「いのち」と同じ「神の分け命」と古代人は感じていたのですね。

 生きとし生けるもの、さらには大地も山も川も海も太陽も月も、すべては、我々と「いのち」がつながった同胞と感じる。それらへの感謝と愛をこめて「君」と呼び、その「いのち」が「千代に八千代に」いつまでも、続くことを祈る。そうした広やかなまごころを我々の先人たちは持っていたのです。

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もしかしたら『君が代』は、先人たちから今を生きる私たちに、そして同じ地球に暮らす、あらゆる命に向けられた、時空を超えたラブレターなのかもしれません。[白駒、p36]
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 そのラブレターを通じて、現代を生きる私たちは千年以上も前から、この愛と祈りを歌い続けてきた先人のまごころにつながり、そのまごころが私たちを育(はぐく)んでくれた事に気がつくのです。


■7.「こういう国が私のルーツだなんて、とっても誇らしく思いました」と気がつく機会をすべての子供たちに

 白駒さんは、出版社を見つけるのに、大変苦労しました。出版界では絵本で『君が代』を扱うのはタブーになっているそうです。また絵本ができても、書店からは炎上するかもしれないと、販売ルートには載せてくれませんでした。

 左翼が『君が代』を子供たちの目から隠そうとするのは、山本ミシェールさんが体験した「こういう恋文を、和歌を、国歌にする国ってなんて素敵なんだろう」と気づく機会を、子供たちから奪っていることです。

 自分の生まれた国を愛し誇りに思い、先人に感謝して、その元気で活き活きと自分の人生を生きていく。それはどこの国の国民でも基本的な権利だと、私は考えています。左翼の『君が代』隠しは、子供たちの基本的人権を奪っているのです。

 この『ちよにやちよに』は多くの子供たちに「自分の生まれた国がどんなに素敵な国だったのか」に気がつくチャンスを与える絵本です。

 この絵本を出版してくれた信州小布施の出版社「文屋(ぶんや)」は白駒さんたちと「ちよにやちよにプロジェクト」を始めました。善意の寄付を集め、この絵本を子供たちに届けるのです。すでに第一次では、福島県の小学校446、公立図書館118、全国の児童養護施設590、小児医療の病院96に、合計1,250冊を送りました。

 第二次は世界各国の駐日外国公館、世界中の日本人学校に合計1,250冊を贈ることで、現在寄付を募集中です。さらに第三次は全国の幼稚園・保育所・小学校などへと、計画は広がりつつあります。

 私たちは『君が代』の国の民として、先祖代々の愛と祈りに護られ、生かされてきました。その愛と祈りのバトンを子供たちに手渡していくのは、私たちの「恩送り」だと思うのです。「こういう国が私のルーツだなんて、とっても誇らしく思いました」と気がつく機会を、日本のすべての子供たちに贈りたいものです。
(文責 伊勢雅臣)