tarobee8のブログ(戯言)

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桂・ハリマン協定の破棄

2021年10月23日

1905年9月5日にアメリカの仲介でポーツマス条約が結ばれて日本とロシアが和解した。
それに伴い、日本はロシアから南満州鉄道とそれに伴う炭鉱の利権をロシアより獲得した。
日本は莫大なカネのかかる南満州鉄道の管理に戦費を使い果たして運営の自信がなく。アメリカの鉄道王エドワード・ヘンリー・ハリマンが同年8月に来日して、
日本に日露戦争の宣痺を融資したクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフとハリマンの娘も来日した。
ハリマンは日本の首相の桂太郎南満州鉄道の共同運営を提案して、元老たちや高橋是清とも相談して条件が良くて同年10月12日に桂・ハリマン協定を結んだ。
外務大臣小村寿太郎が帰国してから承認してもらって正式に契約書を交わす事になっていた。
ハリマンは世界中の鉄道を結んで世界を制覇すっる夢を持っていた。条約が締結されてハリマンは上機嫌で日本を後にした。
そこへハリマンと入れ違えに外務大臣小村寿太郎が帰国してハリマンの提案に大反対した。
結局、小村寿太郎の強い反対で1905年10月23日に桂・ハリマン協定を破棄する事に決定した。アメリカに帰港したハリマンはその知らせを聞いて酷く怒った。
これを契機にアメリカの反日が始まったと言ってもいいくらいだった。
日本では歴史に「もしも」は禁句だが、歴史を教訓とするならば「もしも」という観点から歴史を見ないと同じ失敗を延々と繰り返す。
今の日本がまさにそれだ。日本は「もしもあの時に・・・」と言った事を否定するので同じような失敗を延々と繰り返している。
もし、あの時に小村寿太郎が桂・ハリマン協定を受け入れていれば、満州アメリカが介入する事になり、アメリカと日本は仲良くやっていて日米開戦など起きなかっただろう。
満州国建立も世界の理解が得られていたかも知れないし、それよりも日中戦争は起きなかった。アメリカとの戦争も起きなかった。アメリカから石油を禁輸される事もなく、
日本が石油やその他の資源を求めて南にお要りて西に行くという大東亜戦争の考えもなかったから、イギリスやオランダとの戦争も避けられた。その前に日本が交際連盟脱退という
事もなく、日独伊の三国同盟もなかっただろう。
小村寿太郎が対局を見据えずに反対した事によって、アメリカと日本に亀裂が入り、後にアメリカが日本を排除する方向に向かう事になった。
小村寿太郎があの時賛成していれば、今頃は世界は大きく違っていただろう。
歴史には「もしも」と言う観点が必要です。 "if" という観点が日本には抜けている。