A級戦犯処刑の日

2021年12月23日

1948年12月23日の午前0時1分に大東亜戦争アメリカに寄って太平洋戦争という名称にされた)のA級戦犯25名のうち東条英機を含めて7名が絞首刑にされた。
わざわざ当時の皇太子(後の平成天皇陛下)の誕生日を選んで処刑が実行された。
他のA級戦犯は禁固20年で重光葵だけは禁固2年だった。重光は本当は無実だった。その他全員も無実の罪で起訴された。
(なお処刑されなかった18名の他の松岡洋右は判決を待たずに獄中死して永野修身は寒いのに窓を割られて肺炎になって病院に送られたが、亡くなっている。正力松太郎はCIAのスパイになり
途中で釈放されて戦後の日本人を自虐史観で洗脳して3S政策で憎きアメリカを憧れの国にした。)
イギリスのモーリス・ハンキー卿が嘆願文を書いて重光の釈放を求めた。
翌日のクリスマスイブの12月24日に残ったA級戦犯12名は釈放された。
東京裁判A級戦犯になったのは海軍では永野修身だけで他は陸軍の幹部とそれに協力した政治家(重光葵は本当は関係なかった)と外交官と民間人では笹川良一と児玉誉子夫と正力松太郎だった。
何故か海軍の永野以外の幹部は東京裁判中はGHQの幹部とどんちゃん騒ぎだった。
東京裁判では戦勝国が裁判をするというニュルクベルク裁判と同じような戦勝国が敗戦国を裁くと言う事態になった。
ドイツも日本も無条件降伏だった。無条件降伏と言う者がいかに無慈悲な結果をもたらすかハンキー卿の「戦犯裁判の錯誤」に書かれている。
東京裁判では有罪は多くても7対4か6対5で無罪を主張した判事が多かった。中でもパール判事は全員無罪の判決をしている。
マッカサーにとっては目の上のタンコブだった。
また東条英機の宣誓供述書には、日本は南進してインド洋に出てイギリスの補給路を断って、日華事変も落として・・・西に進んでインド洋に出て・・・という事になっていたが、何故かそうならなかったとだけ書いてあってアメリカと戦うという気は最初からなかった。
本当なら日本は南進せずにドイツと共にソ連と戦って西と東からソ連を攻める事に松岡洋右たちは意見していた。が、尾崎穂積やゾルゲといったソ連のスパイによって
北進論は退けられて、近衛内閣は総辞職して松岡洋右の意見は圧し潰されてしまった。
今の日本政府にも竹中平蔵やデビッド・アトキンソンというスパイがいて財政緊縮論を煽って売国行為をやって日本を破滅する方向に導こうとしているのと似ていますね。
また東条英機ユダヤ人を数多く助けていて満州や日本各地にかくまっていた。また樋口喜一郎中将も多くのユダヤ人を助けている。日本では杉原千畝だけがユダヤ人を助けた
という事になっているが、実際は1番多くのユダヤ人を助けたのは東条英機です。次が樋口季一郎で次が杉原千畝です。
東条英機ヒトラーに怒られながらも「分かっております」と煙に巻いてせっせとユダヤ人を日本本土や満州にかくまっていた。
ユダヤのゴールデンブックには樋口季一郎がトップ5のユダヤ人にとっての大功労者という事になっています。東条英機A級戦犯だったという事もあり
ゴールデンブックには記されていません。東条英機真珠湾攻撃を命じたという強引な理由で有罪にされましたが、当時の東条英機は総理大臣でもなく陸軍大将であって海軍に真珠湾を攻撃させる権限はなかったのです。真珠湾を攻撃するように命令したのは永野修身です。
ヒットマン山本五十六でしたが。
東京裁判によってウソが本当の話になって未だに日本では信じられているようですが、最近になって東京裁判史観を見直す動きが多々あります。
東京裁判史観という自虐史観に日本は未だに支配されて学校でもマスコミでもそれが本当かのようにされていますが、事実は正反対です。
昔、日本はアジア中を侵略して搾取した悪い国だという事になっていますが、あれはGHQによる東京裁判史観によるでっち上げです。
未だにGHQによるでっち上げが本当の事としてまかり通っています。許せません。
本当は日本軍が白人の手からアジアの人々を開放して大東亜共栄圏というアジア人のための戦いだったのです。
その証拠に戦後、アジア中の植民地は欧米から独立して、それにならって中近東やアフリカの国も欧米から独立しています。みんな日本が欧米と戦ってくれたお陰です。

日本が戦争犯罪として唯一裁かれるべきだったのはアヘンを始めとした麻薬の密造とそれらを販売して戦費を充てていたいた事です。
他はありもしない法律などを引き合いに出してありもしない罪状を濡れ衣を着せて強引に有罪にしただけです。

また東条英機には次のような逸話があります。

そして、東條は軽々と死刑台へと上がっていきます。

今から絞首刑にあう人はどんな気丈夫な男でも看守に抱えられ、やっと十三階段を上がると言われます。

しかし、死に臨んでの東條の歌(辞世の句)には誰もが耳を疑いました。

「さらばなり ういの奥山今日こえて 弥陀のみもとに ゆくぞ嬉しき日も月も 
蛍の光さながらにゆくてに弥陀の光輝く」と言ったのです。

今の言葉で言うと、、、

「皆さん、さようなら。東条は、今晩、死んでゆくが、いよいよ弥陀の極楽へ
参らせて頂ける。なんと幸せ者か。」という意味になります。

さらには、自分を死刑にしたアメリカに対してまで「いま、アメリカは仏法がないと思うが、これが因縁となって、この人の国にも仏法が伝わってゆくかと思うと、これもまたありがたいことと思うようになった。」と、相手の幸せすら念じています。

つまり、東條の最期は後悔ではなく、幸せに思っていたということです。

しかし、なぜ東條は幸せの気持ちで最期を迎えられたのでしょうか?

普通の人ならば、戦争に負けて悔やみ、、無実の罪で捕まったことを恨み、、
敵国であったアメリカのことを憎んでも仕方がないはずです。

ですが、東條が後悔ではなく、幸せの気持ちで最期を迎えられたのには、ある秘密がありました。

それは、東條がある1冊の古典を読んだからです。

その古典の名前は、歎異抄(タンニショウ)。

なお、マッカサーはトルーマン大統領との対談で「東京裁判は間違っていた」と発言しています。
主席判事だったキーナン判事までもが「東京裁判は誤りだった」と公言しています。
パール判事は沈黙している日本の法律家に対して「どうしてあなた達は黙っているのか」と檄を飛ばしています。
結局、東京裁判は滅茶苦茶なこじ付けの理由により、無かった法律を取ってつけたように即席に作り上げて無実の人を有罪にした裁判でした。
アメリカは数々の国際法違反をして民間人を大量に虐殺しています。本当に裁かれなければいけないのはアメリカの方なのです。