葬り去られた古代日本の外交

NEW HISTORY(ダイレクト出版)のメルマガより

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毎年京都で行われる祇園祭

日本三大祭のひとつで、1000年以上の歴史があるほどのお祭りです。
実は今から3000年ほど前の古代イスラエルでも似たようなお祭りが行われていたのをご存知でしょうか?

祇園祭古代イスラエルの祭りの意外な共通点とは?

祇園祭イスラエルの関係とは

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旧約聖書で分かる「ユダヤ人が東の国・日本を目指した痕跡」

紀元前722年。
10の部族で構成された、ユダヤの王国・イスラエルは、敵の侵攻を受け、滅亡しました。

その後、国を追われた彼らの生き残りは、忽然と歴史から姿を消し、、、「失われた十支族」と呼ばれ、今日まで彼らの行方は世界史のミステリーとされてきました...

一体彼らはどこに消えたのでしょうか?

実は、その行方を示すヒントが、なんと旧約聖書の中にあると言われています。

旧約聖書イザヤ書を紐解いてみると、彼らの行方を示すかのような記述が見つかったのです。

「あなたたちは東の地でも主を尊び、海の島々でイスラエルの神、主の御名を尊べ。」

どうやら当時のイスラエルにはイザヤという代表者がいて、そのイザヤが、「神は常に共にある。東方の国、島国に逃れ、その地でお前たちは救われる。そこで神を礼拝せよ」
と10支族たちに語りかけ、東方への逃亡を指揮したというのです...

その言葉に励まされたイスラエルの10支族は東方の島国を求めて移動していったと言われています。

それだけではありません。
ユダヤに古くから伝わる伝承には、「失われたイスラエルの10支族はアジア大陸を横断。
中国に至り、その先にある東の涯の神秘の国に住んでいる」と伝わっており…

また約2000年前にユダヤ人歴史家として活躍し、「ユダヤ戦記」等の有名な歴史書を残している、フラウィウス・ヨセフスは、
イスラエルの失われた10支族は今でもユーフラテス川の彼方におり、膨大な数の民となっている」と書き記しています。

東の地、海の島々、東の神秘の国、ユーフラテス川の彼方...

今まで少なからぬ考古学者や歴史家たちが、その地は日本なのではないか?と考えてきました。

失われた10支族は本当に日本にやってきたのでしょうか?

実は、日本の文化遺産を紐解くと...彼らが日本に来ていたのではないか?と思えるような痕跡がいくつも見つかったのです。

以下、5月31日まで無料公開の動画より最初の21分50秒まで文字起こしです。

失われた10士族は日本に来た。
旧約聖書に記されたイスラエルの暗号。
「日本のどこかにソロモンの秘宝が眠っているはずだ。」
終戦後・・・どういう訳かGHQは日本の山に登り、異様な発掘調査を行っていたとされている・・・
彼らが捜していたとされる物・・・それはソロモンの秘宝だ。
ソロモンの秘宝とは、古代イスラエル神殿に宝蔵されたユダヤの宝を指し、
一説によれば数千億円の価値があるとも言われている。
それは古代イスラエル王国が滅亡したと同時に、ユダヤ人が持ち出し、行方不明となった秘宝である・・・
もちろん今も見つかってはいないが、一体なぜGHQはそうのような秘宝が日本にあると信じていたのだろうか?
そしてGHQ以外にも、イスラエルの国家機関であるアミシャーブや
イスラエル大使も日本でその宝を調査している・・・何故だろうか?
実はそこには、イスラエルと古代日本には深い繋がりがあったからだと言われている・・・
一体どういう事なのか?
今からそのミステリーを解き明かしていこう。
古代イスラエル王国の滅亡」と「失われた10士族の離散」
今からおよそ2700年前。10の部族からなる古代イスラエル王国は存亡の危機に瀕していた・・・
王国の人びとが、いつものように畑仕事を営んでいたある日、突然遠くの谷間に雄叫び響き渡った。
隣国の大軍が突如イスラエルに侵攻・・・ユダヤ人たちを飢えに追い込もうと都を包囲し始めたのだ。
敵の包囲は、1か月、半年、そして3年経ち・・・イスラエルの都は地獄と化した。
3年間にわたる包囲で食料は底をつき餓死者が続出・・・町の通路は飢えた人々の死体で埋まったという・・・
そして疲れ果てた人々はこれ以上抵抗できなくなった時、王国は屈服した・・・
時に紀元前772年、イスラエル王国は終焉を迎えたのである。
その後、敵軍は町に突入・・・生き残った10部族の人々を連れ去り、イスラエルから追放した。
それ以来、彼らはどこに行ったのか・・・?どのようにして生き延びたのか?
10の部族は忽然として歴史から姿を消し、今では「失われた10士族」と呼ばれ、世界最大のミステリーの1つになっている・・・
彼らの消滅後、帰らざる10士族は多くの学者・探検家の興味を燃やし続け、
それらの人々は10士族の行方を追いつつ、地球上全ての埋もれた文化を調査してきた。
ある学者たちはアラビアの砂漠地帯に住む一部未開種族が10士族の子孫ではないか?と推測し、
別の学者は中央アメリカのマヤではないか?と考え、別の学者はインディアンこそ、その子孫であると強硬な議論を持ち出した。
だが未だに誰も彼らの行方に関して確信的な証拠をつかめた者はいなかった・・・
一体、10士族の民たちはどこに消えたのだろうか・・・
旧約聖書に記された10士族の行方」
その謎を解くカギが旧約聖書の中にあると言われている・・・
旧約聖書預言者イザヤの書にはこのように書かれている。
「あなた達は東の地でも主を尊び海の島々で、イスラエルの神、主の恩名を尊べ。」
当時のイスラエルには度々神の声を聞いて、それを民に告げる預言者と呼ばれる人がいた。
その代表的な1人がイザヤだったのだ。そのイザヤが「神は常に共にある。東方の国、島国に逃れ、その地でお前たちは救われる。
そこで神を礼拝せよ」と10士族たちに語り掛け、東方への逃亡を指揮。
その言葉に励まされたイスラエルの10士族は東方の島国を求めて移動して行ったと考えられるのだ・・・
それだけではない。ユダヤに伝わる伝承には、「失われたイスラエルの10士族はアジア大陸を横断。
中国に至り、その先にある東の果ての神秘の国に住んでいる」と伝わっており・・・
また約2000年前にユダヤ人歴史家として活躍し、「ユダヤ戦記」等の有名な歴史書を残している、フラウィウス・ヨセウスは
イスラエルの失われた10士族は今でもユーフラテス川の彼方におり、膨大な数の民となっている」
と書き記している。
東の地、海の島々、東の神秘の国、ユーフラテス川の彼方・・・今まで少なからぬ考古学者や歴史家がその地は日本ではないのかと考えて来た。
失われた10士族は本当に日本にやって来たのだろうか?

日本書紀に記された謎の民族と古代イスラエルの関係」
そのミステリーを紐解くヒントが日本書紀にあった。
日本書紀にはユーラシア大陸の方から謎の民族が日本を訪れた事を示唆する記述が書かれていたのである。
「その民たちは日本への帰化を望んでいたが、朝鮮半島の王国・新羅によって妨害を受けていた。そこで天皇は朝鮮に精鋭部隊を派遣し、
新羅を牽制。これが功を奏し、民たちは日本に渡来する事が出来た」
つまり迫害を受けていた彼らに日本の天皇が救いの手を差し伸べ、日本に住まわせたのだ。
彼らはそのまま京都に定着。後に秦氏(はたし)と呼ばれるようになる・・・
一体彼らは何者なのであろうか?失われた10士族と関係があるのだろうか?
その正体は彼らがもたらした文化や遺産を紐解く事で分かって来る・・・
その1つが京都の祇園祭祇園祭の主要な行事は7月17日、及び7月17日以降の8日間行われる。
この創始者は大陸からやって来た秦氏だと言われており、その起源は「疫病が発生しないように」との願いから始められたと言われている。
だが不思議な事にこれは古代イスラエル王国でソロモンの祭りが制定された経緯と似ている・・・
実は、この祭りも「疫病が発生しないように」との願いから祭りが催させていたのだ。そして祭りの期間は7月15日から8日間にわたり
行われていた。つまり古代イスラエルの祭と祇園祭との間に2日のズレはあるものの同じ動機に基づき1年の中でほぼ同時期に行われていた
と言う事になる・・・
果たしてこれは偶然なのだろうか?
平安京に秘められたイスラエルの痕跡」
さらにこれだけではない。8世紀になると秦氏天皇に京都へ都を建設する事を命じられる・・・
あの有名な平安京である。だが、平安京にはイスラエルの都と意外な共通点があった。
ユダヤ人の国の首都はエルサレムである。エルサレムは3000年前から現在に至るまでユダヤ人にとっての永遠の都であった。
そのエルサレムユダヤの言葉、ヘブライ語の発音では「イェルシャライム」と言う。
これは、京や都を意味する「イール」と平安を意味する「シャローム」が1つになって出来た言葉である。
つまり「イェールシャロームエルサレム)」を日本語に訳すと「平安京」なのである。
それだけはない・・・
平安京のあった京都の近くには琵琶湖がある。同様にイスラエルエルサレムから少し北上すると「キネレット湖」と呼ばれる
湖がある。イエス・キリストが福音を伝えた場所として知られる所だ。
このヘブライ語の「キネレット」を訳すと楽器の「琵琶」を意味する。つまり「キネレット湖」とは「琵琶湖」なのである。
平安京に住むユダヤ系の秦氏が近くにある湖を見て祖国の湖を思い出し同じ名前を付けたのだろうか・・・
いかがでしたか?このようにユダヤ人が日本に同化した痕跡を辿って行くと新たな古代史の真実が明らかになって行きます。
遠いユーラシア大陸の西から失われた10士族やその子孫たちが東の国・日本を目指していた事、そして国を追われ、世界各地で
迫害を受けていたユダヤ人たちは天皇に保護され、住む土地を与えられる事で、やがて日本に同化していったのです。
田中教授は、このように言います。「ユダヤ人なしに日本の古代史は語れません。何故なら古代日本が唯一ユダヤ人を受け入れ、
彼らと同化した国であるからです。元々ユダヤ人たちは国を滅ぼされ離散した民族ですが、各地で迫害を受けていました。
大陸の厳しい気候では食料は豊富に取れませんし、その取り合いで戦争が絶えない環境ですから、ユダヤ人たちが助けを
求めても「敵が来た」「異端の怪しい者たちが来た」と認識され排除されたのです。」
「ですが、古代の日本は違いました。大陸と違い、温暖な気候で食料も豊富に取れます。争いになる事もほとんどなく
穏やかな性格をした人々が住んでいました。ですからユダヤ人たちを快く受け入れましたし、彼らを差別することもなく
済む土地や政治的な地位まで与えました。これらの事は大陸で虐げられてきたユダヤ人たちにとっては衝撃だったでしょう。」
「日本に感謝した彼らは日本人と手を取り合い、世界に誇る日本独自の文明を作り上げ、国家の繁栄に大きな貢献を果たしました。
例えばその1つが巨大古墳の築造です。ユダヤ人たちは大陸で培った最先端のテクノロジーを駆使して、ピラミッドや
秦の始皇帝の墓よりも巨大な世界一のお墓・仁徳天皇陵を作り上げました。他にも・・・

「日本建国とユダヤ人到来の謎」
天皇の先祖が奈良に到着し、日本と言う国が建国されたのが紀元前660年と言われています。
しかし、田中教授は旧約聖書の記述から、ユダヤ人たちもこの頃に日本にやって来たと仰っています。
本当に縄文時代にもユダヤ人たちはやって来たのでしょうか?そしてもしそうならユダヤ人たちは太古の日本にどのような
影響を与えたのでしょうか?
知られざる日本建国とユダヤ人の関係を解き明かして行きます。

ヘブライ語が日本の和歌文化を生んだと言われる理由」
ユダヤ人の到来と共に日本にやって来たのがユダヤ人の言語・ヘブライ語
田中教授はこのヘブライ語が漢字が入る以前の日本の言語文化に重要な役割を果たしたと言います。
そして日本の代表的な文化である和歌誕生にもヘブライ語が大きくかかわっている事が分かって来ました。
今回はヘブライ語が日本語と文化に与えた影響について解説して行きます。

ユダヤ人埴輪から分かる高度な文明国家」
日本各地で出土する埴輪。人の形をしたものから、楽器を弾き埴輪、家の形をした埴輪など様々な埴輪があります。
これらの埴輪たちを丁寧に分析して行く事で先人たちが営んだ文化や生活の様子が浮かび上がり、古代日本が高度な文明を
築いていた事が分かって来ます。

ユダヤ系渡来人・秦氏と皇室の謎」
田中教授はこのように言います。
「皇室にはユダヤ系渡来人・秦氏の血が入っています。それにより天皇の性格が変わって来るのです」
一体なぜ天皇ユダヤの血が入っていると言えるのか?秦氏が皇室に入り、天王家にどのような影響を与えたのか?
秦氏と皇室の関係についても明らかにして行きます。

聖徳太子暗殺とユダヤ人」
ユダヤ人の到来によって、巨大な前方後円墳や壮麗な寺社仏閣が誕生し日本の分かは栄えました。
しかし、その一方で飛鳥時代になると、朝廷はユダヤ系の一族によって牛耳られるようになりました。
田中教授によれば、このユダヤ系の一族によって、聖徳太子やその子孫は殺害されたと言います・・・
聖徳太子を暗殺し、朝廷を牛耳った一族とは?そしてこの一族の末路とは?
などなど、このように彼らの痕跡を丁寧に辿って行く事で古代日本国家がどのようにして繁栄して行ったのか?
どのような文化を育んできたのか?国の歩みとも言える日本繁栄の過程が紐解けてくるのです。
しかし、このような歴史の見方はこれまでとは全くと言っていいほど伝えられて来ませんでした。
一体、何故でしょうか?
それは「そのような内容を語れる歴史家がいなかったから」だと考えられます。
これまで述べてたような考察をするためには日本の歴史に造詣が深い事はもちろん、
世界中の文化・宗教・言語・神話など・・・あらゆる分野に精通している必要があります。
しかし、現代の日本のアカデミアに、このような広い視点で研究できる学者を生む環境はありません。
学問分野を細分化し「特定の分野だけ」を深く語れる専門家が輩出される構造になっているのです。
その点、田中先生は「専門領域だけで解決できる問題などないと言って良い」「専門は広い学問の入り口に過ぎない」
と言った考え方を持っておられ、実際に西洋美術史建久でキャリアをスタートされた後、日本美術史、考古学、
神話学など、あらゆる学問領域をまたいで研究をされています。
これほどの広い視点から様々な学問を横断し、歴史を分析できるのは日本国内では田中先生を除いていないと
言っても過言ではないかも知れません。
ユダヤ人と古代日本の交流史を知る事で日本と言う国の歩みを知って欲しい。

以下、省略(有料講座の案内ですので)

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先日、日本人はユダ王国の子孫であると言うのをさくら子さんのぶろぐより引用させて頂いたのですが、個人的には日本人の祖先の
1つは北イスラエル人だと思います。
以前から田中英道東北大学名誉教授によると、ソロモン王が亡くなった後にユダヤ王国は北イスラエル王国と南のユダ王国に分かれました。
イスラエルは紀元前772年にアッシアリアによって滅ぼされてきたイスラエルの民は一部は西に向かいヨーロッパに移動して
迫害を受けて、大多数の10部族は行方不明になりました。アッシリア捕囚と言ってアッシアリア人に捕らえられて追放されました。
どうやら田中先生の説では日本に北イスラエルの10士族がやって来たのが本当のようです。遺伝子もユダ王国ユダヤ人とは兄弟関係に当たる
イスラエル人の遺伝子を持つ人が日本人の38%もいます。
なお、今現在ユダヤ人の大半を占めているのはハザール王国の白人の偽ユダヤ人です。アシュケナージユダヤ人と言います。
ユダヤ人ではないのに、南のビザンチン帝国とトルコに苦しめられていて、キリスト教徒から王様から奴隷までユダヤ教に改宗して
勝手にユダヤ人と名乗りました。髪の毛が黒いのが特徴です。そのアシュケナージユダヤ人はハザール王国滅亡後に、ロシアやポーランド
始めとしたヨーロッパに移住しています。
以降にヨーロッパで迫害を受けながらも経済力は豊かです。今世界を牛耳っているユダヤ人はこのアシュケナージユダヤ人です。
ヨーロッパに逃げた本物のユダヤ人はスファラディユダヤ人と言って本物のユダヤ人です。こちらは本家本物のユダヤ人ですが、
元は有色人種(中東の民です)でヨーロッパで白人と混血して純粋のユダヤ人はもういません。もしかしたらいるかも知れませんが。
後の日本にやって来て日本人化したユダヤ人はスファラディユダヤ人とは親戚関係になります。ユダヤ人埴輪など、埴輪時代から
ユダヤ人が日本に来ていた証拠は多数あります。ヘブライ語と日本語は不思議と共通している箇所があります。
日本神話にも旧約聖書に出て来る記述と共通した箇所があります。日本神話はギリシャ神話と共通する記述が多いのも日本人の祖先に
ギリシャ神話を知っていいる人々がいたからだと思われます。ギリシャ神話は名前こそギリシャになっていますが、ギリシャばかりでなくて
北アフリカやトルコや中東や黒海周辺や南ヨーロッパの神話などを集大成した神話です。

またイエス・キリストユダ王国が滅んだ後のイスラエルの2士族で、本物のユダヤ人ですが、十字架に架けられたのは実はイエスではなくて、弟だっととも言われています。
イエス・キリストは日本に逃れて来てイエス・キリストの墓は青森県にあるそうです。

2022年6月3日23時59分までの公開動画があります。

神話で読み解く日本の起源史 (newhistory.jp)

NEW HISTORY のメルマガより文字起こしです(途中まで)。

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2007年3月9日、日本から9000Km離れた土地からある調査団が日本にやって来ました。
彼らが調査していたもの、それは・・・「イスラエルの失われた10士族」です。
今kらおよそ3000年前には古代イスラエル王国には12部族が存在していました。
しかし、ソロモン王の死後、国は分裂。現在のイラク北部に当たるアッシリア帝国イスラエルの北王国(北イスラエル)を
滅ぼして、その国の民は捕虜となってしまったのです。それ以来、彼らはどこに行ったのか?どのようにして生き延びたのか?
10士族は忽然と姿を消し、真相は闇に包まれたまま。今では世界最大のミステリーの1つになっています。
その真相を探し、自らの子孫を探し求めるべくエルサレムに誕生したのが、特務機関「アミシャブ」。
何故か彼らは日本を本格的に調査する事に決め、日本の神社やお祭りなどを隈なく調査して行きました。
そして彼らはこのように言っています。
「日本には古代イスラエルとの繋がりを思わせるものがあまりにも多くありました」
一体、日本にはどのような痕跡が残されているのでしょうか。
あなたは、この日本とイスラエルに関する3つの謎をご存知でしょうか?

謎1:何故、日本の神社とそっくりなのか古代イスラエル神殿のミステリー。
この図をご覧ください(動画のために画像を保存できません。悪しからず)。
これは日本の神社の構図を表しているのですが、何故か非常によく似た構図を持つ神殿が神殿が見つかりました。
それがこの図です(画像は動画のために保存できず)。
入り口には鳥居のような門があり、さらに門を抜けると手や口を水で濯ぎ、心を清める手水舎のような洗盤があります。
また神社では礼拝をする拝殿とご神体を安置する本殿とに分かれていますが、こちらの神殿も「聖所」「至星所」の
2か所に分かれています。(動画なので図は保存できません)
この神社によく似た構図を持つ神殿・・・実は同じアジアの中国でも韓国でもなく、日本から遠く離れたユダヤ人の
国家の古代イスラエルにありました。さらに似ているのは神社の構造だけでなく、宗教儀式にまで及びます。
神社では、一般的にには拝殿の前で祈るとされていますが、イスラエルの神殿でも聖所の前で祈るとされていて、
神官や特別に許された人々しか拝殿の中に入る事が出来ませんでした。
また神社の拝殿雨には賽銭箱が置かれていますが、古代イスラエルでも同じように神殿に献金箱が置かれ、
神社で売られているお守りもユダヤ人が持っていた「アミュレット」に非常によく似ています。
これらの神社と同様の構造を持つ宗教儀式は、ギリシャ、ローマ、エジプト、もちろんアジアにも存在しません。
一体何故、古代イスラエルの地に日本に酷似した神殿や宗教儀式が存在するのでしょうか?

謎2:何故、日本のお祭りが旧約聖書の中に出てくるのか?
毎年4月15日に諏訪大社で開催されている不思議なお祭りがあります。
普通の神様へのお供え物と言うと、季節の旬な物や、酒、餅、魚、野菜、果物、菓子、塩、水などがありますが、
このお祭りでは鹿の頭を神様に捧げるです。この儀式から「御頭蔡」別名「ミサクチの祭」と呼ばれています。
いつ始まったのか定かではないほど太古の時代から連綿と受け継がれてきたこの祭りですが、明治以前は全く違う
形だったと言われています。
江戸時代の旅人「菅谷真澄」は当時の祭をこのように記しています。
8歳くらいの少年を柱に縄で縛り、神官が少年を小刀で切りつけようとすると神様の使者が現れ、神官を止め
少年を解き放って命を救った。そして少年の代わるに近く似た鹿を生けに言えとして捧げ、その首を神殿に供えさせた。
少し奇妙に感じるお祭りですが、非常によく似た話が旧約聖書にありました。
ユダヤ民族にとって忘れる事の出来ない偉大な父祖「アブラハム」と神との逸話「イサクの幡祭」です。
アブラハムは神の命令に従い、息子を生贄に捧げるためにイサクを連れてモリヤの山に行きます。
そして息子を縄で縛りつけて刃物を振り上げて息子を切りつけようとしました。この様子を見た神はアブラハム
強い信仰心を認め、天からの御使いに生贄を中止させます。そしてアブラハムはイサクの代わりに近くにいた山羊を
神に捧げました。
少年が殺されるのを中止させ神様が中止させ、代わりに動物を生贄にする・・・
これは諏訪大社のミサクチの祭りを表現してかのように酷似しています。
また諏訪大社で最古の御神体の山の名は、「守屋山(モリヤサン)」と言いますが、このイサク幡祭で登場する
大変神聖な山「モリヤ」と全く同じ名前です。
さらに酷似しているのはこの「ミサクチの祭」だけではありません。
ソロモン神殿の建設と諏訪大社のお祭り「御柱祭」。山鉾に描かれたバクダットの風景と京都の祇園祭
ヤコブと天使との戦い、愛媛の神事「一人相撲」も旧約聖書に出て来る逸話に非常によく似ているのです。
一体、何故、旧約聖書の中に日本のお祭りの様子が描かれているのでしょうか?

謎3:何故、日本語に非常によく似た文字があるのか?
これは日本語(カタカナ)と古代イスラエル人の公用語であるヘブライ語の文字の表記を比較したものです。
(動画なので画像を保存できません)
「コ」や「ク」や「カ」などなど・・・同じ発音をする文字の書き方が異様に似ていると思いませんか?
さらに日本語とヘブライ語が似ているのは文字の書き方だけではありません。
「かさ」はヘブライ語で「守る、覆う」の意味があり、「こおる」は「寒い、冷たい」を表します。
「まわる」は「通路、方向転換」を意味して、「ぐるぐる(グルグル)」は「回る、曲がる」を意味して
「からす」は「乾く、干上がる、枯れる」を意味して「かわ」は「水を運ぶ」を意味しています。
「はかる」は「探る、調査する」を意味し、「ゆるし(ユルシュ)」は「許されるであろう」を意味します。
また日本では由来不明とされてきた「囃し言葉(はやしことば)」もヘブライ語に当てはめてみると
言葉の意味が浮かび上がって来ます。
お祭りの時の掛け声である「エッサ、エッサ、ワッショイ、ワッショイ」は「運べ、運べ、神が来た。神が来た」
相撲の採り始めに行司が発す「ハッケヨイ、ノコッタ」は「撃て、やっつけろ、打ち破れ」
さいころからよく発する「ジャンケンポン」は「隠して、準備して、来い」
さらに「ヤーレンソーラン」は「1人で歌い喜ぼう」
「ドッコイショ」は「神よ困難をさらせて下さい」などなど、ヘブライ語に訳す事で言葉の意味と場面が一致するのです。
この日本語とヘブライ語の共通点は何を意味しているのでしょうか?

以下省略(有料講座の案内ですので)


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