林千勝のメルマガより
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昭和22年2月24日、風見章にGHQから出頭の命令が来ていました。つまり、彼はこの段階では、戦犯扱いになる可能性があったと言えます...
ですが、たった2時間半の会談を行い、その際、自己弁護を述べただけで「了」とされてあっさりとGHQからの追及は終わったのです。
なぜ、このようなことになったのか?
それは、白洲次郎がGHQに話を通し、風見章を戦犯扱いしないという締結を取り決めていたからです。
このことは、1945年2月25日の『風見章日記』に書かれています。
ですが、ここでまた、ある疑問が浮かんできませんか?
それは、白洲次郎がGHQに助言しただけでなぜ戦犯が取り消されたのか? という疑問です。
実は、この裏には、国際金融資本の影が見え隠れしていたのです。
驚くべきことに、白洲次郎をはじめとする近衛政権の中心人物の中には、ロックフェラー財団が出資する
太平洋問題調査会のメンバーが紛れ込んでいたのです。
この太平洋問題調査会は、長年、日本について研究してきたシンクタンクであり、真珠湾攻撃後には、
「対日占領政策研究」を開始していました。
そして、彼の「対日占領政策研究」を基にして、GHQは、対日占領政策を行ったとも言われているのです。
つまり、この太平洋問題調査会は、GHQに影響を与えるほど、大きな組織だったのです。
例えば、、、
・日本をどん底に突き落とした「ハルノート」の原案を作成したハリー・デクスター・ホワイト。
・ホワイトハウス経済顧問であり、親中・反日であったラフリンカリー。
・中華民国の蔣介石の私的顧問を務めていたオーウェン・ラティモア。
上記のように、太平洋問題調査会は、世界的な権力を持っているかつ、反日である人物たちが、多数所属している組織なのです。
そして、風見章について語る上で、欠かすことのできないある人物もこの太平洋問題調査会に所属していました。
その人物は、日本語が堪能なソビエト諜報部のスパイ工作員であり、熱烈な反日思想家だったのです。
そして、なんと彼は、GHQ対敵諜報調査分析課長として日本に来日していたのです。
風見章と密かに繋がっていた人物とは誰なのか?
PS
林千勝の講座第3巻
歴史教科書が教えない
「近衛文麿の大日本帝国滅亡計画」
-日本を戦争に導いた7人の日本人スパイの正体
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引用終了
ある人物とは「ハーヴァ―ト・ノーマン」と言うソ連のスパイ(風見章は宣教師のノーマン一家と軽井沢で家族ぐるみの付き合いをしていて、ハーヴァ―ト・ノーマンは宣教師のノーマンの息子です。しかも共産主義者です)です。第2次世界大戦前からソ連のスパイはアメリカ政府や
日本政府の中枢にいて、日本とアメリカを戦わせるように仕向けたのです。
また風見章は盧溝橋事件が4日間で停戦協定されたのを知り、自分の立場(近衛文麿に続くナンバー2の存在だった)を利用して国民党と戦うべし・・・
と元朝日新聞出身だったので、メディアを通じて日中戦争を煽り、当時、陸軍が要求していなかった5億円にも上る予算を計上させて日中戦争を煽って
実際に泥沼の日中戦争に日本と中国を向かわせた張本人です。
が、ハーバート・ノーマンのお陰でGHQから簡単な取り調べを受けただけで無罪放免になったのです。
風見章は戦後の日本を政界からは離れて幅を利かせて活躍しています。風見章もソ連のスパイです。瀬島龍三と同じです。
風見章は山本五十六と永野修身をそそのかして、軍令部も海軍も大反対していた真珠湾奇襲攻撃をさせた男です。
アメリカのフランクリン・ルーズベルトも共産主義に染まっていて、周囲はソ連のスパイだらけでした。
ソ連が日本とアメリカを戦わせるように事を運んだのです。
今も外国特に中国のスパイが日本中にたくさんいます。