tarobee8のブログ(戯言)

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東条英機の遺言

まさしく、東條英機の危惧した通りになってしまった。
 
 
 
 

まさしく、東條英機の危惧した通りになってしまった。


東條英機と言えば、バカで無能で大ウソつきで、日本を無謀な戦争に追いやった極悪人と思われている人が多いと思いますが、事実は正反対だったんです。
東條英機は1937年当時は樋口季一郎少将が大勢のアシュケナージユダヤ人を満州に受け入れる事を容認して、人ら0から怒られながらも「分かっております」と煙に巻いていました。
松岡洋右がドイツ・イタリア・日本と三国同盟を結んだためにユダヤ人を満州に向かい入れてユダヤ人たちの新天地にすると言う河豚作戦はパーになりました。
今でいう官房長官の風見章(ソ連のスパイ)が時の首相の近衛文麿に奏上して、ソ連をドイツと一緒に西と東から挟み撃ちにすると言う北進論を退けて、以下のような南進論を
立てて、戦争に大反対だった天皇陛下は戦争に渋々と許可を出されました。
陸軍は海軍と共に南に降りて、オランダ領インド(インドネシア)の石油を確保して、東南アジアのイギリス。フランス・オランダを駆逐して、西に進んでイギリスの補給路を断ち、
それと共に蒋介石を落として志那事変を解決して、中東でドイツ軍と合流する作戦を立てていたのです。そして、決してアメリカとは戦わないと言うのが日本陸軍と海軍の方針でした。
が、永野修身と風見章が山本五十六真珠湾攻撃をするように仕向けて、日本の思い描いていた戦争の構図は完全に崩れ去りました。

 

岩崎満さんのフェイスブック投稿より

 
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諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。
真骨頂とは何か。
忠君愛國の日本精神。
    これだけである。
我ゆくも
    またこの土地に
  かへり来ん 
  國に報ゆる
  ことの足らねば
  
さらばなり
    苔の下にて
われ待たん 
大和島根に
花薫るとき
東條英機(首相・陸軍大将)遺書全文
開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。
今回の刑死は個人的には慰なぐさめられておるが、
国内的の自らの責任は死を以もって贖えるものではない。
しかし国際的の犯罪としては無罪を主張した。
今も同感である。
ただ力の前に屈服した。
自分としては国民に対する責任を負って満足して刑場に行く。
ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、
又下級者にまで刑が及んだことは実に残念である。
天皇陛下に対し、又国民に対しても申し訳ないことで深く謝罪する。
元来日本の軍隊は、
陛下の仁慈の御志に依り行動すべきものであったが、
一部過ちを犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。
此度の戦争に従事してたおれた人及び
此等の人々の遺家族に対しては、実に相済まぬと思って居る。
心から陳謝する。
今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判を待つ。
もしこれが永久平和のためということであったら、
も少し大きな態度で事に臨まなければならないのではないか。
此の裁判は結局は政治的裁判で終わった。
勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。
天皇陛下の御地位は動かすべからざるものである。
天皇存在の形式については敢えて言わぬ。
存在そのものが絶対必要なのである。
それは私だけではなく多くの者は同感と思う。
空気や地面の如く大きな恩みは忘れられぬものである。
東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相あい協力すべきものである。
東亜民族もまた他の民族と同様に天地に生きる権利を有もつべきものであって、
その有色たるをむしろ神の恵みとして居る。
インドの判事には尊敬の念を禁じ得ない。
これを以て東亜諸民族の誇りと感じた。
今回の戦争に因よりて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら
幸いである。
列国も排他的の感情を忘れて共栄の心持ちを以て進むべきである。
現在日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、
どうか日本人の米人に対する心持ちを離れしめざるよう願いたい。
又日本人が赤化しないように頼む。
大東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにされねばならぬ。
実は東亜の他民族の協力を得ることが出来なかったことが、
今回の敗戦の原因であったと考えている。
今後日本は米国の保護の下に生きて行くであろうが、極東の大勢がどうあろうが、
終戦後、僅か三年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯くの如くである。
今後の事を考えれば、実に憂慮にたえぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上もないではないか。
今、日本は米国より食料の供給その他の援助につき感謝している。
しかし、一般人がもしも自己に直接なる生活の困難やインフレや食料の不足などが、
米軍が日本に在るが為ためなりというような感想をもつようになったならば、
それは危険である。
依って米軍が日本人の心を失わぬよう希望する。
今次戦争の指導者たる米英側の指導者は大きな失敗を犯した。
第一に日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。
第二には満州を赤化の根拠地たらしめた。
第三は朝鮮を二分して東亜紛争の因たらしめた。
米英の指導者は之を救済する責任を負うて居る。
従ってトルーマン大統領が再選せられたことはこの点に関し有り難いと思う。
日本は米軍の指導に基づき武力を全面的に抛棄した。
これは賢明であったと思う。
しかし世界国家が全面的に武装を排除するならばよい。
然しからざれば、盗人が跋扈する形となる。
(泥棒がまだ居るのに警察をやめるようなものである)
私は戦争を根絶するためには慾心を人間から取り去らねばと思う。
現に世界各国、何れも自国の存在や自衛権の確保を主として居る
(これはお互い慾心を抛棄しておらぬ証拠である)。
国家から慾心を除くということは不可能のことである。
されば世界より今後も戦争を無くするということは不可能である。
これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実は此の通りである。
それ故、第三次世界大戦は避けることが出来ない。
第三次世界大戦に於おいて主なる立場にたつものは米国およびソ連である。
第二次世界大戦に於いて日本とドイツというものが取り去られてしまった。
それが為、米国とソ連というものが、直接に接触することとなった。
米ソ二国の思想上の根本的相違は止むを得ぬ。
この見地から見ても、第三次世界大戦は避けることは出来ぬ。
第三次世界大戦に於いては極東、即ち日本と支那、朝鮮が戦場となる。
此の時に当たって米国は武力なき日本を守る策を立てねばならぬ。
これは当然米国の責任である。
日本を属領と考えるのであれば、また何をか言わんや。
そうでなしとすれば、米国は何等かの考えがなければならぬ。
米国は日本八千万国民の生きて行ける道を考えてくれなければならない。
凡そ生物として自ら生きる生命は神の恵である。
産児制限の如きは神意に反するもので行うべきでない。
なお言いたき事は、
公、教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。
今は既に戦後三年を経過して居るのではないか。
従ってこれは速すみやかに止めてほしい。
日本国民が正業に安心して就くよう、米国は寛容の気持ちをもってやってもらいたい。
我々の処刑をもって一段落として、
戦死傷者、戦災死者の霊は遺族の申し出あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。
出征地に在る戦死者の墓には保護を与えられたし。
戦犯者の家族には保護をあたえられたし。
青少年男女の教育は注意を要する。
将来大事な事である。
近事、いかがわしき風潮あるは、占領軍の影響から来ているものが少すくなくない。
この点については、我が国の古来の美風を保つことが大切である。
今回の処刑を機として、
敵、味方、中立国の国民罹災者の一大追悼慰霊祭を行われたし。
世界平和の精神的礎石としたいのである。
勿論、日本軍人の一部に間違いを犯した者はあろう。
此等については衷心謝罪する。
然これと同時に無差別爆撃や原子爆弾の投下による悲惨な結果については、
米軍側も大いに同情し憐憫して悔悟あるべきである。
最後に、軍事的問題について一言する。
我が国従来の統帥権独立の思想は確に間違っている。
あれでは陸海軍一本の行動は採れない。
兵役制については、徴兵制によるか、傭雇兵制によるかは考えなければならない。
我が国民性に鑑みて再建軍隊の際に考慮すべし。
再建軍隊の教育は精神主義を採らねばならぬ。
忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。
この点については、大いに米軍に学ぶべきである。
学校教育は従前の質実剛健のみでは足らぬ。
人として完成を図る教育が大切だ。
言いかえれば、宗教教育である。
欧米の風俗を知らす事も必要である。
俘虜のことについては研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。
辞世
我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば
さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき
『祖父東條英機「一切語るなかれ」』東條由布子 著 (文藝春秋) より
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東條英機 処刑前の遺書 「以て天日復明の時を待たれんことを」
英米諸国人に告げる
今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。
この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。
しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。
私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。
しかし諸君がもし、
虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、
その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。
我れ等はただ微力であったために
正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。
いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、
原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは
数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、
あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。
もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、
世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、
人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。
諸君はすべからく一大猛省し、
自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。
◆日本同胞国民諸君
今はただ、承詔必謹する
〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。
私も何も言う言葉がない。
ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、
私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。
この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、
太陽の輝きのように明白である。
ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、
その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、
彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。
不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、
正理公議は厳として我が国あるということは動かすことのできないことである。
力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。
人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。
諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、
天が定まる日を待ちつづけていただきたい。
日本は神国である。
永久不滅の国家である。
皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。
諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、
皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、
もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。
◆日本青年諸君に告げる。日本青年諸君各位
我が日本は神国である。この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。
私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、
胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。
現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。
しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、
正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。
また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、
彼らの英魂毅魄〔伴注:美しく強い魂魄〕は、
必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。
殉国の烈士は、決して犬死したものではない。
諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、
日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、
もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。
これこそがまことに私の最後の願いである。
思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、
おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。
しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。
真骨頂とは何か。
忠君愛国の日本精神。
これだけである。

 

また次のような逸話もあります。


2021/12/23
A級戦犯処刑の日」  歴史
1948年12月23日の午前0時1分に大東亜戦争アメリカに寄って太平洋戦争という名称にされた)のA級戦犯25名のうち東条英機を含めて7名が絞首刑にされた。
わざわざ当時の皇太子(後の平成天皇陛下)の誕生日を選んで処刑が実行された。
他のA級戦犯は禁固20年で重光葵だけは禁固2年だった。重光は本当は無実だった。その他全員も無実の罪で起訴された。
(なお処刑されなかった18名の他の松岡洋右は判決を待たずに獄中死して永野修身は寒いのに窓を割られて肺炎になって病院に送られたが、亡くなっている。正力松太郎はCIAのスパイになり
途中で釈放されて戦後の日本人を自虐史観で洗脳して3S政策で憎きアメリカを憧れの国にした。)

岸信介笹川良一児玉誉士夫もみなCIAのエージェントになりA級戦犯処刑後、釈放されて、アメリカに協力した。
イギリスのモーリス・ハンキー卿が嘆願文を書いて重光の釈放を求めた。
翌日のクリスマスイブの12月24日に残ったA級戦犯12名は釈放された。
東京裁判A級戦犯になったのは海軍では永野修身だけで他は陸軍の幹部とそれに協力した政治家(重光葵は本当は関係なかった)と外交官と民間人では笹川良一と児玉誉子夫と正力松太郎だった。
何故か海軍の永野以外の幹部は東京裁判中はGHQの幹部とどんちゃん騒ぎだった。
東京裁判では戦勝国が裁判をするというニュルクベルク裁判と同じような戦勝国が敗戦国を裁くと言う事態になった。
ドイツも日本も無条件降伏だった。無条件降伏と言う者がいかに無慈悲な結果をもたらすかハンキー卿の「戦犯裁判の錯誤」に書かれている。ただし、昭和天皇は無条件降伏ではなくて、ポツダム宣言を受諾すると言う事で幸福になっているので、本当は無条件降伏ではないのです。
東京裁判では有罪は多くても7対4か6対5で無罪を主張した判事が多かった。中でもパール判事は全員無罪の判決をしている。
マッカサーにとっては目の上のタンコブだった。
また東条英機の宣誓供述書には、日本は南進してインド洋に出てイギリスの補給路を断って、蒋介石を落として日華事変を解決して・・・西に進んでインドに出て・・・という事になっていたが、何故かそうならなかったとだけ書いてあってアメリカと戦うという気は最初からなかった。
本当なら日本は南進せずにドイツと共にソ連と戦って西と東からソ連を攻める事(北進論)に軍令部も陸軍も松岡洋右たちは意見していた。が、米内光政といった海軍のトップや風見章や尾崎穂積やゾルゲといったソ連のスパイによって
北進論は退けられて、近衛内閣は総辞職して自分たちが日華事変を引き起こして、日米開戦の下地つくりをしておいて、東條英機にドンと全責任を押し付けた。近衛文麿によって松岡洋右たちのの意見は圧し潰されてしまった。

近衛文麿は藤原摂関家の筆頭として、天皇陛下などクソとも思っていなくて、最初から日本を滅亡の道に導こうと考えていたのです。近衛文麿は盧溝橋事件で蒋介石が謝ったのに、陸軍を大量にシナに送り込んで本格的な日中戦争を起こさせて、自分は体調が悪いと仮病を使って政務を休んでいて、石原莞爾はあの時に近衛文麿蒋介石と対談していれば日中戦争などにならなかったと供述している。
日本政府にも竹中平蔵やデビッド・アトキンソンというスパイがいて財政緊縮論を煽って売国行為をやって日本を破滅する方向に導こうとしているのと似ていますね。
また東条英機ユダヤ人を数多く助けていて満州や日本各地にかくまっていた。また樋口喜一郎中将も多くのユダヤ人を助けている。日本では杉原千畝だけがユダヤ人を助けた
という事になっているが、実際は1番多くのユダヤ人を助けたのは東条英機です。次が樋口季一郎で次が杉原千畝です。その他の日本軍の幹部もユダヤ人を大勢助けています。
東条英機ヒトラーに怒られながらも「分かっております」と煙に巻いてせっせとユダヤ人を日本本土や満州にかくまっていた。
ユダヤのゴールデンブックには樋口季一郎がトップ5のユダヤ人にとっての大功労者という事になっています。東条英機A級戦犯だったという事もあり
ゴールデンブックには記されていません。東条英機真珠湾攻撃を命じたという強引な理由で有罪にされましたが、当時の東条英機は総理大臣になりたてで陸軍大将であって海軍に真珠湾を攻撃させる権限はなかったのです。東条英機山本五十六真珠湾攻撃を知ったのは2週間前で、説得しましたが、応じてもらえず。東条英機は開戦2日前に天皇陛下アメリカと戦う羽目になったと涙ながらに天皇陛下に報告しています。真珠湾を攻撃するのを許可したのは永野修身です。
ヒットマン山本五十六でしたが。
東京裁判によってウソが本当の話になって未だに日本では信じられているようですが、最近になって東京裁判史観を見直す動きが多々あります。
東京裁判史観という自虐史観に日本は未だに支配されて学校でもマスコミでもそれが本当かのようにされていますが、事実は正反対です。
昔、日本はアジア中を侵略して搾取した悪い国だという事になっていますが、あれはGHQによる東京裁判史観によるでっち上げです。
未だにGHQによるでっち上げが本当の事としてまかり通っています。許せません。
本当は日本軍が白人の手からアジアの人々を開放して大東亜共栄圏というアジア人のための戦いだったのです。
その証拠に戦後、アジア中の植民地は欧米から独立して、それにならって中近東やアフリカの国も欧米から独立しています。みんな日本が欧米と戦ってくれたお陰です。

日本が戦争犯罪として唯一裁かれるべきだったのはアヘンを始めとした麻薬の密造とそれらを販売して戦費を充てていたいた事です。
他はありもしない法律などを引き合いに出してありもしない罪状を濡れ衣を着せて強引に有罪にしただけです。

アメリカこそ民間人を大量虐殺したア大空襲を何回もやり、広島と長崎に原爆を投下した交際法違反をしていて、こちらの方は戦勝国として不問に伏しています。

また東条英機には次のような逸話があります。

そして、東條は軽々と死刑台へと上がっていきます。

今から絞首刑にあう人はどんな気丈夫な男でも看守に抱えられ、やっと十三階段を上がると言われます。

しかし、死に臨んでの東條の歌(辞世の句)には誰もが耳を疑いました。

「さらばなり ういの奥山今日こえて 弥陀のみもとに ゆくぞ嬉しき日も月も 
蛍の光さながらにゆくてに弥陀の光輝く」と言ったのです。

今の言葉で言うと、、、

「皆さん、さようなら。東条は、今晩、死んでゆくが、いよいよ弥陀の極楽へ
参らせて頂ける。なんと幸せ者か。」という意味になります。

さらには、自分を死刑にしたアメリカに対してまで「いま、アメリカは仏法がないと思うが、これが因縁となって、この人の国にも仏法が伝わってゆくかと思うと、これもまたありがたいことと思うようになった。」と、相手の幸せすら念じています。

つまり、東條の最期は後悔ではなく、幸せに思っていたということです。

しかし、なぜ東條は幸せの気持ちで最期を迎えられたのでしょうか?

普通の人ならば、戦争に負けて悔やみ、、無実の罪で捕まったことを恨み、、
敵国であったアメリカのことを憎んでも仕方がないはずです。

ですが、東條が後悔ではなく、幸せの気持ちで最期を迎えられたのには、ある秘密がありました。

それは、東條がある1冊の古典を読んだからです。

その古典の名前は、歎異抄(タンニショウ)。

なお、マッカサーはトルーマン大統領との対談で「東京裁判は間違っていた」と発言しています。
主席判事だったキーナン判事までもが「東京裁判は誤りだった」と公言しています。
パール判事は沈黙している日本の法律家に対して「どうしてあなた達は黙っているのか」と檄を飛ばしています。
結局、東京裁判は滅茶苦茶なこじ付けの理由により、無かった法律を取ってつけたように即席に作り上げて無実の人を有罪にした裁判でした。
アメリカは数々の国際法違反をして民間人を大量に虐殺しています。本当に裁かれなければいけないのはアメリカの方なのです。
ハッキリ言って東條英機は冤罪でした。罪状は「海軍に命じて真珠湾を攻撃させた」と言うものです。
東條英機は、陸軍大臣から内閣総理大臣になったのは開戦直前でした。山本五十六真珠湾奇襲を知ったのは開戦の2週間前でした。
その間に、東條英機山本五十六に待ったをかけましたが、永野修身山本五十六や背後で操っていた風見章は説得は応じずに、開戦2日前になって
天皇陛下に、アメリカと戦わざるを得ないようになったと涙ながらに報告しています。
東條英機はは南に降りて西に行くと言う作戦を実行しようとしていましたが、山本五十六永野修身のためにパーになりました。
そして、昭和天皇に対して開戦2日前にアメリカと戦うことになってしまったと涙ながらに報告しています。
そして、想定外の南太平洋での戦いを強いられて結局、兵站線も持たずに、惨敗を喫しました。
近衛文麿内閣の決定事項に従っただけですが、真珠湾奇襲と言う想定外の事が入って、日本軍の作戦は滅茶苦茶にされました。
東條英機は無罪の罪でA級戦犯にされて、絞首刑になりました。無念だたっと思います。

 

下の図の風見章の隣に近衛文麿がいます。近衛文麿はこの中に出て来る全ての人に太いパイプがあります。

風見章もこの図の中の人たちに大きな影響を与えています。これらの人が戦犯なのです。が、東條英機は蚊帳の外です。つまり東条英機は無罪なのです。