tarobee8のブログ(戯言)

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イエス・キリストは日本人だった?

あなたは、イエス・キリストは日本人だったと言う話をしたらどうウソだと思うでしょう。
イエス・キリストユダ王国ユダヤの2士族のユダヤ人だと言われていますが、少なくとも白人ではありません。
何故、十字架を見ても西洋の絵画を見ても白人のように描かれています。が、ユダヤ人は本来は中東の民であって、白人ではありません。
イエス・キリストは一説によると縄文人の末裔で、当時ローマ帝国に属していた中東の地にやって来て、ユダヤ教が一般的あった
ユダヤ人の世界にキリスト教を伝えました。が、ユダヤ人たちの手によって十字架に架けられて、亡くなったと言われています。
が、実は十字架に架けられたのはイエスの弟で、イエス・キリストは生まれ故郷の日本に帰って亡くなったとも言われています。
お墓は青森県のどこかにあるとも言われています。
下記のURLは日本とユダヤ人やキリスト教の関係についての動画です。ウソか本当かどうかは別にして見て見る価値はあると思います。

<a href="https://www.bing.com/videos/search?q=%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%a8%e5%8e%9f%e5%a7%8b%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e6%95%99&qpvt=%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%a8%e5%8e%9f%e5%a7%8b%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e6%95%99&FORM=VDRE">https://www.bing.com/videos/search?q=%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%a8%e5%8e%9f%e5%a7%8b%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e6%95%99&qpvt=%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%a8%e5%8e%9f%e5%a7%8b%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e6%95%99&FORM=VDRE

 

ルネサンスのメルマガより

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いつもルネサンス<夕刊>メルマガをお読みいただきありがとうございます。

今回初めてメールを書かせていただきますダイレクト出版の森田です。

いつもは在宅で勤務しておりますが、この度、念願叶って田中英道先生の京都収録に参加して参りました。

今回の収録は、応神天皇の時代に弓月国から渡来したとされている謎多き渡来人・秦氏ゆかりの神社を田中先生の解説を交えながら巡るものです。

<① 松尾大社
 

壮大な自然の中に佇む神社です。田中先生は学生時代から何回も訪れたことがあるそうです。

<② 木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ):蚕の社
 
 
 
秦氏らしい雰囲気を醸し出す三角形の鳥居(この秘密は講座内でお話ししています)

<③ 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ):上賀茂神社
 
広報担当の方との対談が叶いました

<④ 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ):下鴨神社
 

などなど、約8ヶ所の神社や古墳を訪れ、田中先生に解説していただきました。

本を読むだけでは、理解しきれないものも実際に目にすると、より理解できるのだなと
感動したものです。

本日は、その中でも観光客が非常に多い人気の「伏見稲荷大社」について秦氏がどう関わっていたかが分かる田中先生の解説をお届けいたします。

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>From 田中英道
東北大学名誉教授)

稲荷神社は、京都の代表的な神社で、近畿地方では初詣で最も多い参拝者を集め、全国に3万社以上ある神社です。

稲荷山の神は山の神として古くから信仰されてきましたが、総本山である伏見稲荷大社の創建には秦氏が大きく関わっています。
 

秦氏が社殿を建て、「伊奈利社」として祀ったのです。

奈良時代初期の「山城国風土記」は、なぜ「イナリ」と呼ぶのか、その由来を語っています。

すでに秦忌寸(はたのいみき)など大勢の秦氏が京都にいましたが、その遠い祖先である秦伊呂具(はたのいろぐ)が稲作をして裕福な生活を送っていました。

ある日、伊呂具が米でつくった餅を的として矢を射ったところ、その餅が白鳥に変わって飛び立ち、神社のある山に降りて稲が成長したため、

「稲成」から「稲荷」という名が付いたということです。

これが伏見稲荷大社のはじまりであると「山城国風土記」には書かれています。

漢字の「稲荷」は、稲の魂を担っているという意味にもとることができます。
つまり、豊穣を表しているのです。

そのため、今では稲ばかりではなく、漁業や大漁祈願など、さまざまな糧、多くの利益を望む人々に祈られています。ですから、会社の神棚はだいたい稲荷神社なのです。

山城国風土記」によると、「イナリ」の表記はもともと「伊奈利」という字を当てていました。

この「伊奈利」は万葉仮名で、漢字ではありません。万葉仮名で書くということは、
「これは外来の言葉である」ということを示しているわけです。

外国の言葉を使うことで、わざと日本人ではなかったということを強調したと考えられます。

イナリの語源が、秦氏の祖であるユダヤ人原始キリスト教であること、稲荷神社の鳥居が赤いのはキリストの血の色だという解釈もありますが、
秦氏の一族は神社を使って日本人をキリスト教化しようという意図はもっていませんでした。

日本の思想の源流は「縄文精神」と「やまとごころ」ですから、西洋のキリスト教
入る余地はなかったのです。

記紀」に書かれているような自然信仰、天皇家を中心とした社会に別の神をもち込むのは不可能だということに、秦氏は気づいたのでしょう。

そのため秦氏は、逆にしっかりとした日本の思想体系の中に入り込み、それを強化するという、非常に知恵の深い思慮で日本に定着したのです。