長崎原爆祈念日

1945年(昭和20年)8月9日11時2分に長崎市上空で原爆が爆発した。
テニアン島を飛び立ったB29が新型のプルトニウム爆弾を投下したのだ。
この日は長崎市は雲が多くて目標地点から原爆が大きく外れて海側にそれて爆発した。
そのために本来なら広島市よりも被害が大きくなるはずが、少なくて済んだ。
が、72000人が原爆で即死かその年のうちに苦しんで亡くなった。
その後も次々に被爆者が亡くなっていった。
今でも後遺症で苦しんでいる方が多いです。
また樋口季一郎東条英機杉原千畝によってナチスドイツから逃れて長崎に住んでいた多くのユダヤ人も被曝して亡くなりました。
長崎市に投下された原爆は圧縮爆発型のプルトニウム爆弾で真ん丸で大きかった。
ファットマン(肥った男)と呼ばれた。原爆開発をアメリカに委ねたチャーチルのあだ名でもあったそうだ。
威力は広島市の原爆よりも大きかったが、雲が多くて投下地点が海寄りにずれたたために
被害が広島市よりも少なかった。が、それでも広島市と同じく壊滅地域では
浦上天主堂(これも骨組だけになった)などを残して家屋は壊滅した。
人への殺傷力も広島市と同じくらいだった。
長崎市への原爆は広島市の時と違って、より建物や人への破壊力が増すように
爆発高度などが見直されて投下された。

また長崎在住の永井博士宛の郵便物が後で落下されている。永井博士は読んでいる。

手紙の内容は失念したが、原爆投下で死ぬかもしれない永井博士にメッセージを送るとはアメリカも卑怯旋盤だ。永井博士はその後、原爆症で亡くなっている。
広島市では8月6日の8時15分に黙とうのサイレンが鳴らされるが、8月9日の11時2分
にも黙祷のサイレンが鳴らされます。