tarobee8のブログ(戯言)

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人権擁護と言うプロパガンダ

ジュリアン・アサンジュ氏。

 

【人権擁護というプロパガンダ
 人権擁護に貢献した人物に与えられる欧州議会のサハロフ賞に、今年はあろうことかウクライナ大統領ゼレンスキーがノミネートされたそうだ。もう一人の候補者は、ジュリアン・アサンジュ。ジュリアン・アサンジュは、アメリカ軍がイラクで市民を無差別攻撃していたことを暴露して、何年も前からロンドンの刑務所に入れられている。それに対してゼレンスキーは、ウクライナ東部ドンバスで、ウクライナ軍に市民を無差別攻撃させている。人権擁護とはまさに対極の人物だ。その二人が、今年の人権賞を争うことになるという。
もしもジュリアン・アサンジュに賞が与えられたら、サハロフ賞は信頼性を取り戻すことになるのだろう。しかし、その可能性はまずないだろうと、ロシアに住むドイツのジャーナリスト、トーマス・レーパーは言っていた。
それというのも、このサハロフ賞、欧州議会が与えるといっても、議員に評決権があるわけではないのだそうだ。議員は候補者を出すことができるだけで、それには40人以上の議員の署名がいる。そうやってノミネートされた人物のうちから、欧州議長と政党党首が会議を開いて決めるのだそうだ。それで結局のところ、アメリ覇権主義に忠実な人物ばかりが選ばれることになるという。
それにしても、よりにもよってゼレンスキーに人権賞を与えようという発想には驚かされる。もっとも、西側の主流メディアの報道では、ゼレンスキーはロシアの暴虐からウクライナ市民を守っているということになるのだろうから、人権擁護に貢献しているということになるのだろうけれど。
しかし、ゼレンスキーは昨年からもう政府に批判的な報道を禁止していたし、9月15日にはウクライナ最大の野党も禁止してしまったそうだ。ウクライナは2014年のマイダン革命のあとでできたアメリカ寄りの政権が、ウクライナ民族至上主義を取っていて、同じウクライナ国民でも、民族によって与えられる権利に格差がある。ロシア語を母語とするロシア系住民がかなりの部分を占めるのにもかかわらず、ロシア語の使用は公の場で禁じられており、彼らは言わば二級市民の身分なのだ。そうしたウクライナ民族独裁主義に反発したドンバス地方の住民は、住民投票を行って独立を宣言したが、ウクライナ政府はそれを反逆行為として、2014年からずっと市街への無差別攻撃をし続けている。つまり、ウクライナには表現の自由もなければ、政治的な自由もない。民族自決の原則を尊重してもいなければ、武装していない市民への攻撃を禁じている国際法にも違反している。そのすべてを率先している人物に、よりにもよって人権賞を与えようというのだ。
ところでこのサハロフ賞、これまでの受賞者を見てみると、ロシアのナワルヌイやミャンマーアウンサンスーチーアラブの春の活動家たちなどの名前がある。ウクライナの戦争で真相が表に出て、これまで世界で起こってきたいろいろなことの裏が見えてきたのだけれど、それで、これまで世界中で民主化運動にかこつけて、テロリストが送り込まれ、アメリカ寄りの政権へのレジームチェンジが強行されてきたということがわかってきた。アメリカ寄りに方向転換すれば、国が豊かになるかのような幻想を与えられて、大衆運動が組織され、そこにテロリストが送り込まれて、紛争状態が作り出されるということが行われてきたのだ。そして、政府がそれに軍隊を出動させて対応すると、国際的に独裁主義者だというようなレッテルを貼って、事実上のクーデタを強行し、それを「民主化」と呼んでいたのだ。
そうしたことが、ミャンマーでもアラブ諸国でも行われてきた。そして、その「民主化」に貢献した人物が、サハロフ賞の受賞者たちだったのだ。
それを思えば、ゼレンスキーはまさにサハロフ賞にふさわしい人物だと言えるのかもしれない。彼はアメリカの支配層との関係が深く、アメリカDSによって送り込まれた工作員であるということはまず間違いない。そして、影の支配者の意向通りに、ロシアを戦争に巻き込んで、ロシアに国際的な批判を浴びせさせることに成功したのだから。
ノーベル平和賞にしても人権賞にしても、もっとも平和を壊し人権を侵害した人物が受けているように思えるのだけれど、それはまさにこうした賞が、人権侵害の行為を隠すために作られているからなのだろう。国際的な賞を受賞したと言ったら、多くの人は実際に何をしたのかなど考えずに、尊敬に値する人物なのだろうと思い込む。まさにそれによって、その人物が実際に行った犯罪を正当化してしまうのだ。
そして、ナワルヌイのような「政府から弾圧されている」人物に賞を与えることで、その政府が独裁国家であるかのような印象を作り出している。昨年サハロフ賞を受賞したナワルヌイは、ロシアの刑務所に監禁されているけれど、それを西側メディアはあたかも彼が政府を批判したために言論弾圧を受けているかのように報道している。ところが彼が監禁されている理由はそんなこととはまったく関係がなかったのだという。
ナワルヌイは、10年ほど前にフランスの会社のロシア進出に口をきいてやると言って、お金をだまし取った。それでその会社に訴えられて、保護監察処分を受けたのだけれど、月に一回出頭する義務を怠ったので、逮捕されたというだけのことだったのだ。そのときナワルヌイは、飛行機の中で毒殺されそうになったといって、ドイツの病院で手当てを受けていたのだけれど、この毒殺未遂というのも、どうも作り話だったらしい。
飛行中にナワルヌイが中毒症状を起こしたというので、ロシアのある空港に緊急着陸して手当てを受けたというのだけれど、このときは循環系の障害だったということで、中毒の治療は受けていなかったのだそうだ。その後ドイツの病院で、神経毒ノビチョクが検出されたというので、毒殺が企まれたのだということになったのだけれど、ノビチョクだったら、飛行機で盛られていたらドイツまで行き着けたはずはないとトーマス・レーパーは言う。それに、その後何の後遺症もなく回復しているというのもまずあり得ないことなのだと。
そうした背景を見てみると、ナワルヌイの毒殺未遂事件というのも、実はロシアが独裁国家であるという印象を演出するための作り話だったらしい。ナワルヌイは、プーチンの腐敗を暴露したために政府に追われているというような話になっているのだけれど、彼はもともと人種差別的な発言をはばからない右翼過激派みたいな人物で、特に影響力が大きいわけでもなかったそうだ。ところが、腐敗でプーチンに追い出されたユダヤ系ロシア人のオリガルヒ、ホドルコフスキーが、裏で糸を引いていて、ナワルヌイを反体制の英雄に仕立て上げたらしい。それで、もともとはネトウヨの類だった男が、自由と民主化の闘士であるかのように祭り上げられることになったのだ。
ナワルヌイは、ドイツの療養生活を終えて、しばらくしてからロシアに帰国したのだけれど、すると帰国したところを待ち構えていたように、逮捕されることになった。それがいかにも政府に追われている反体制派といった風に見えるのだけれど、この逮捕理由は、詐欺罪で監察保護中に出頭しなかったからというだけのことだったのだ。もし、ドイツの病院を退院してすぐに帰国していたら、出頭する期限を過ぎていなかったので、逮捕されることはなかったそうだ。すぐに帰国しないで、何週間かドイツに滞在していたのは、空港で逮捕されるという劇的な展開を演出するためだったのだろうとトーマス・レーパーは言う。実際、西側メディアはロシア政府がナワルヌイを刑務所に閉じ込めたくて待ち構えていたかのような書き方をしていた。それで、一体どんな理由で逮捕されたのかについては触れないで、表現の自由のために戦う英雄が弾圧された、というような感情に訴える場面を描いて見せたわけだった。そして昨年のサハロフ賞は、服役中のナワルヌイに与えることで、強く感情に訴えるドラマチックな効果を演出するのに利用されたわけなのだ。
人権賞が実はペテンだったというようなことは、世界に良心というものがあることを信じていたい気持ちが踏みにじられるような、痛みを伴う感覚なのだけれど、そうした痛みのプロセスを通してこそ、私たちはマトリックスが見せる幻影から解放されていくのだ。人権とか民主化とか自由とか、そうした言葉がいかに逆のものを正当化するために使われていたのかということを、私たちはそれによってついに知ることになる。そしてそれによって、私たちはこうした言葉、人権とか自由とか民主主義といったことが、本当にはどういうものなのかをようやく知ることになるのだろう。それまでは、まるで絵に描いたモチのように薄っぺらかったものが、本当にはどのような手触りがあるものなのかを、知ることになるのだと思う。そして、そうしたものを本当に生きることができる世界が、もうすぐ現れてくるのだと私は思っている。
それを思えば、今回ゼレンスキーがサハロフ賞にノミネートされたことは、目覚めるためのすばらしい機会だと言えるのかもしれない。