西尾仁さんのフェイスブック投稿より
【幸・不幸は人間が頭の中で決めている】
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誰がなんといおうが、
本人が「有り難い、幸福だ」と思っていたら、
不幸などありえない。
だから幸福は、
人間の心が生み出す
きわめて主観的なものなのだ。
・・・中村天風
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【相対の幸福】
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「相対の幸福」とは、比較する幸福です。
以前と比較して幸・不幸を感じるのが、
他者と比較して幸・不幸を感じるのが、
殆どの私たちなのです。
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比較する慣習を持つ私たちは
比較した結果の幸福しか分からないのです。
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一本の棒だけでは、「長い」とも「短い」とも言えません。
違う棒と比較対照して、長い棒だ、短い棒だと判断できます。
軽重、長短、高低、遅速、すべて比較しないと判断できません。
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幸福感も同じです。
幸・不幸は比べて、感じているのです。
昔から「上見て暮らすな 下見て暮らせ」といわれますが、
幸福感が相対的だからこその教訓です。
幸せそうな人を見ると、自分の境遇が惨めで寂しくなり、
おもしろくない心が出てきます。
「みんな幸せになってもらいたい」という理念を
政治家も、教育者も、経営者もこぞって口にしますが、
その理念と反する心が自分の中に見え隠れしているのは、
真面目な人なら、既に気付いているでしょう。
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同期の友人が出世すると、どんな気持ちになるでしょう。
同級生にどんどん抜かされて、
それでいて友人の幸福を喜べるでしょうか。
口では「良かったなあ」と友人を祝福しますが、
腹底ではそう思えない心がうごめいています。
幸福そうな人を見ると、複雑な気持ちになり、
その醜い心に気づき、自己嫌悪に陥ることも多々あります。
だからそんなマイナスな心にならないよう
「上見て暮らすな」という教訓があるのでしょう。
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逆に人の災難、不幸を見ると、どうでしょう。
「まだ自分はましだな」「不幸に出会わなかったことに感謝しなければならないな」と
どこかホッとしている心が出てきます。
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「毎日不満ばかり口から発していたけれど、
感謝の日々を過ごさねばと思いました」
と前向きな意見が聞かれるのは、そんな時です。
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アメリカの銃乱射も、北朝鮮のミサイルも、凶悪犯罪も、
眉をひそめて、ひどいねと口々に言いながら、
それが自分に降りかかることのない惨劇であった場合、
ニュースやワイドショーを刺激的な娯楽として、眺めている心があります。
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比較する相対の幸福しか知らないのが、
赤裸々な私たちの実態です。
そういう幸福しか知らない人たちに
相対の智恵しか持たぬ私たちには、
想像もできない絶対の幸福を
「不可称・不可説・不可思議の信楽」と教えられています。
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親鸞聖人ご自身が絶対の幸福になられた喜びを
「不可称・不可説・不可思議の功徳は行者の身に満てり」
「筆舌尽くせぬよろこびが、煩悩に汚れ悪に染まった親鸞に、
常にからだ一杯あふれている」
と合掌しておられます。
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仏教講師、菊谷隆太の『親鸞に学ぶ幸福論』(抜粋)
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Good Day!!
2022年12月6日