tarobee8のブログ(戯言)

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価値観を押し付ける社会とそうでない社会

西側諸国とロシアでは考え方が対照的なようです。

Chihiro Sato-Schuhさんのフェイスブック投稿より

【価値観を押しつける社会とそうじゃない社会】
ロシアに住むドイツ人ジャーナリスト、トーマス・レーパーの新しい本「プーチンの計画」が数日前に届いてきて、今読んでいるところだ。西側がグローバリズムネオリベラリスムによる「新しい世界秩序」という一極支配を計画しているのに対して、ロシアには世界に対して別な計画がある。それは、多極的なネットワークで成り立っていく世界だ。トーマス・レーパーの新しい本は、それがどういうものなのかを書いている。
一極支配とは、つまりすべての国々、すべての民族が、同じ一つの価値観に従うべきだというもので、それは西欧ではローマ帝国のときからすでにあった。ローマ帝国は、ローマ人以外の民族を野蛮で遅れた民族だとみなして、ローマの文化をすべての属国に押しつけることで支配したのだ。多民族の聖地を破壊し、聖なる森を焼き払ったりさえした。
それぞれの民族には、それぞれの生活様式があって、それはその土地、その気候に合っていて、合理的なものだったりする。だけど、外からやってきて、それがわからない人たちは、野蛮なやり方だと思い込んだりする。
かくして西欧諸国は、アジアやアフリカに行って、植民地支配を始めたときも、その土地の文化を野蛮だとみなして、キリスト教に改宗させ、洋服を着せて、彼らのプランテーションで働くようにさせた。そして、そうすることによって、西洋文化の方が高いのだという意識を植えつけたわけだ。
それは、今日グローバル化と呼ばれているものでも、同じことだ。自由化とか民主化とかきれいな言葉を使っているけれど、つまるところ西側資本主義の消費生活を押しつけ、もともと機能していた地元の経済や生活様式を破壊してしまい、西側のお金に依存するようにさせている。
私たちはそうしたことにあまりにも慣れてしまっていて、それ以外の世界秩序のあり方などないように思えている。これが誰にとっても最良だというような生活様式があって、それを世界中の皆ができるようにするのが進化なのだと思い込んでいるようなところがある。
ところで、ロシアはそうではないのだとトーマス・レーパーは言う。ロシアは、西側諸国と違って、多民族国家だ。それも、何百という民族がいて、宗教もそれぞれに違い、何百という言語がある。ロシアは、過去数百年の歴史でも、この人たちにロシア語を強要することもなく、宗教を押しつけることもなかったのだそうだ。そして、それぞれの民族にそれぞれのやり方で生きさせ、それを尊重することによって、ロシアはこの多民族国家を支えていくことができたのだという。
それは、ソ連の時代でさえもそうだったのだそうだ。共産主義国家といったら、誰もが同じような生活様式を強制されているというイメージがあるのだけれど、それもあるいは一部だけを見せられていただけなのかもしれない。ロシアには広大な土地があり、シベリアや、極東、中央アジアコーカサスなど、さまざまな民族が住んでいる。トナカイの群れとともに遊牧生活をしている民族もいれば、シャーマニズムの伝統を持つ民族もいる。イスラム教徒も2割くらいを占めている。ロシアは、そうしたさまざまな民族が、それぞれのやり方を続けていけるようにしてきたというのだ。
実際、そうでなかったら、これほどの大国を保っていくことはできないのかもしれない。皆が同じような生活をというグローバリズムは、とたんに資源の枯渇だとか、環境汚染の問題だとか、格差や貧困、そしてそこから来る争い、といった問題を引き起こす。ロシアはものすごい多民族国家であるにもかかわらず、民族差別の問題や争いもほとんどなく、分裂することもなくやってこれているのは、どんな民族もそれぞれのやり方で生きていけるようにしているからなのらしい。
ロシアでは、どんな思想も趣味も宗教も自由だけれど、ただ他の価値観を否定して自分の価値観を攻撃的に押しつけるようなことだけは禁止されている。だから、たとえばエホバの証人だけはロシアで禁止されているのだそうだ。他の宗教を否定して、攻撃的に勧誘しているからなのだと。しかし、禁止といっても、逮捕されて牢屋に閉じ込めたりしているわけではなく、罰金が科されるだけだ。
だから、LGBTについても、それぞれの自由だし、こういう人たちを差別することは厳しく取り締まられているのだそうだ。しかし、性について保守的な考えを守りたいという人たちも、その自由を尊重されるべきだと考えられていて、だからこうした性のあり方を子供に教えたりするのは禁止されている。
ところで、西側では、ロシアはLGBTを弾圧しているみたいに報道しているらしい。ロシアは共産主義だから自由がなくて、というイメージを持たせたいのだ。そして西側では、自由を守るために、と言って、保守的な性のあり方を守ろうとする人たちに揺さぶりをかけているというのが、実際のところだ。それは、特殊な性のあり方を求める人たちのためなどではなく、多くの人たちに極端なことをしてみなければ自分は自由ではないかのように思わせて、自分に対する自信を失わせ、保守的な生活様式を破壊して、いいように支配するためなのだ。
してみると、ロシアでは何がいいとか正しいとかいうことを指示するのではなく、それぞれの生き方を尊重することを徹底しているということになる。実際、それはうまく行っているらしくて、ロシアの人は相手がどこの国の人だとか、どの民族だとかいうことを本当に気にしないらしい。ドイツ人なんていったら、戦時中にはロシアの最大の敵だったわけだけれど、それで差別的な対応を受けたことは一度もなかったとトーマス・レーパーは言っていた。国がしたことと個人は関係ないし、あなたはあなたでしょ、という感じの対応なのだそうだ。
人というものは、どっちが偉いとかどっちが進んでいるとか、どっちが上だとか、そういうことを言われて育っていなかったら、自然に相手を尊重するものなのかもしれない。実際、自分を卑下する気持ちを持たず、自然に自分のことを信じられている人は、人のことも見下したり、どっちの方が上だとかは考えないものだ。だからロシアでは、違う価値観を差別したり攻撃したりすることだけが禁止されているのだ。
それぞれの土地、それぞれの気候で、効果的な生き方というのは違ってくるし、それはその土地でしばらく暮らしてみないとなかなかわからない。同様に、それぞれの人にはそれぞれの性質があって、何が効果的なやり方なのかは、それぞれに違うのだ。それも、別の性質を持った別の人にはなかなかわからない。だから、つまるところは、それぞれのやり方にまかせておけば、一番効率がいいし、すべて丸く収まるということになる。
今、西側世界で世界経済フォーラムの「新世界秩序」なる世界の一極支配化が進められているのだけれど、実のところはもう一つの新世界秩序が一方では進められていて、それがロシアを中心とした多極的な世界、つまりそれぞれの民族のあり方を守って尊重する新しい世界なのだ。今ウクライナで激しく行われている戦闘は、実のところはロシアとウクライナの戦争などではなく、一極支配を進めようとする西側権力と、多極的な世界を作ろうとするロシアとの生き残りをかけた戦いだ。そして、ロシアの側には、西側以外の国々や、一極支配を望まない西側の人々もついている。
一極支配は、支配するためにつねに人々に圧力をかける必要があってストレスが大きいから紛争も起こりやすく、効率も悪いので、結局のところは長続きしない。ロシアがあれだけ世界中から経済制裁をかけられていながら、経済が安定し続けているのは、それぞれの民族にそれぞれの生き方をさせるという効率のよさがあるからなのかもしれない。それは、外から見ると奇跡のようにも思えるけれど、やってみたら、今までどうして気がつかなかったんだろうと思うようなものなのかもしれない。
私たちは、どういう生活がまともな豊かな生活、進んだ生活なのかと考えて、ただ一つだけの価値基準で測ろうとしてしまうのだけれど、そろそろこの考え方を変えるべき時が来ているのかもしれない。それぞれがそれぞれに最適な生き方を知っているのだと尊重できたら、つまるところ自分も自分の生き方に満足できるし、人の生き方をとやかく言う気も起こらなくなる。多極化への移行とは、実はそんなことから始まっていくのかもしれない。
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画像は、ロシアのトゥヴァ共和国の風景。ネットからの借り物。