tarobee8のブログ(戯言)

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敵兵を助けた日本の軍人

インテリジェンスメルマガより

あなたは
この人物を知っていますか?



(出典:Wikipedia


日本では
あまり知られてないかもしれませんが、
"とある国"ではとても有名です。

その国とは、、





親日国として知られるインドネシアです。

実際、
インドネシアの独立50周年に
この日本人の慰霊碑が建てられました。

なぜ、
インドネシアの独立記念で日本人の慰霊碑?

もしかして、
インドネシア独立戦争で活躍した人?
と思われるかしれません。

いいえ、
この方がインドネシアにいたのは、
独立戦争よりも前の第二次大戦中。

さらに、
滞在期間はわずか3ヶ月…

一体この人は誰なのか?
当時のインドネシアで何があったのか...

時計の針を巻き戻しましょう。


時は、1942年1月11日。
日本初のパラシュート部隊が
インドネシアに降り立ちました。


(出典:空挺兵_Wikipedia

目的はオランダからの植民地解放。

そして、
日本軍の怒涛の攻勢によって、
たった数日でオランダ軍を降伏させました。

しかし、
部隊長である堀内豊秋 海軍大佐は、

オランダ軍による
インドネシア統治を見て唖然...

「これが人間のすることか、、」
現地人の足は鎖で繋がれ、奴隷のような扱い...

当時のインドネシア
まさに地獄絵図のようでした。

この現状を見た堀内大佐は、
インドネシアに残ることを決めます。

「なんとかして、
 現地の人々を助けたい、、」


現地司令官として善政を敷き始めました。

堀内大佐がまず行ったのは、
敵に従軍して日本兵を殺した人々の解放。

もちろん、
戦死した仲間の無念を晴らすために、
激昂する部下もいました。

しかし、
堀内大佐には"ある信念"の下、
部下たちを宥めます。

「投降した者は、もはや敵ではない。
 投降兵にも博愛を持って臨む」


実は、
今回の戦闘では、
堀内大佐は最も信頼している部下を
殺されていたのです。

しかし、
この信念に則り、
自分達を攻撃したインドネシア兵を
処罰しませんでした。

それだけでなく、
彼らに貴重な塩を与えて、
それぞれの故郷へ帰します。

すると、
解放されたインドネシア兵たちは
全員が笑顔で戻ってきたのです。

さらに、日本軍の仕事を
一生懸命手伝ってくれるようになりました。

それから1か月後、
週に一度はパーティーが開かれるほど、
堀内大佐は地元住民に愛されていました。

あっという間に3ヶ月が経ち、
堀内大佐が別の戦地に移動となる日。

別れの際には、
数千人の住民が集まり
道を埋め尽くします。

辺りを見渡せば、
・両手を高々と上げてバンザイする者
・「堀内大佐を讃える歌」を歌う者
・60キロの道を歩いて見送りする者

などなど…
現地の人々は思い思いの表現で
堀内大佐への感謝を表現しました。


そして時は流れ、
インドネシア独立50周年の際、

現地の住民たちは、
堀内大佐への感謝を込めた慰霊碑を建立。

堀内大佐の精神は、
今も現地住民の心の中に
生き続けているでしょう...


この話を聞いていかがでしたか?

「勝者は驕ることなく敗者を労う」

堀内大佐はこの信念に則り、
日本兵を殺した相手でさえも許しました。

生きるか死ぬかの戦場において、
"武士道の精神"を貫いたのです。

その結果、
多くの人から感謝や尊敬を集めて、
インドネシアの英雄になりました。

このように、
「武士道の精神を持ち、
 海外で尊敬される"誇り高き日本人"」
は他にもいます。

しかし、
「武士道の精神は日本人の"力の源"だ…」
GHQにバレてしまい、
歴史の闇に葬り去られました。


もし、
このまま先人たちの活躍を知らなければ、
日本人が世界に誇る
「武士道の精神」はわからないまま…

不景気や不透明な政治によって、
国内の活気が落ち込んでいる今だからこそ、

海外で称賛される
偉大な日本人を知ってほしい、

日本人が持つ”力の源”を取り戻してほしい、、

このような思いで、
"ある日本人"に関するビデオを作成しました。

第二次大戦中、
自分の危険を顧みずに
敵兵を助けた"ある日本兵"...

米軍の機関紙や英タイムズ紙で特集され、
世界中で称賛された人物とは一体なのか、、

>世界中で称賛された日本兵とは?

https://in.intelligencereport.jp/meed_2301_vsl_new?cap=HS3

2月4日23時59分まで




p.s

実は、
堀内大佐と敵兵を助けた"ある日本人"には
共通点がありました。

なんと、
同じ学校の出身だったのです。


他にも、
・イギリスの高校で、
 リーダーシップの教科書に使われている者

シドニーの博物館で
 「見よ、この勇気を」と称えられている者

などなど、
この学校の出身者たちは、
皆一様に世界的な称賛を集めています。

一体この学校とは何なのか、
どのような教育がされていたのか、、

>偉人を輩出する学校を知る
2月4日23時59分まで

p.p.s

実は、
インドネシアの地元には
"ある逸話"が古くからありました。

「国家が危機に瀕した時。
 空から白馬に乗った獅子たちが
 救いに現れる」

現地の人々は、
突如、空から現れた日本軍たちに、
この伝説を重ねたのでしょう。

そして、
堀内大佐自身もこの伝説に沿うべく、
誠意ある行動を取ったのかもしれません。


堀内大佐が育った学校教育を知れば、
彼が大切にしていた"日本人の精神性"
見えてくることでしょう。

>日本人特有の精神性を知る


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PS:ある学校とは、広島県江田島にある「江田島海軍兵学校」の事です。
現在は「江田島海上自衛隊術科学校」と名前を変えて存続しています。
2回、見学に行った事があります。