tarobee8のブログ(戯言)

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医療機関が薬が病気を作っている(医原病)

私も色々とありまして、親が騙されて精神療法をするからとある医師から言われて、私は断りました。が、母親が頼んで母から頼まれて予約に行った父から「頼むけえ。わしの顔を立ててくれ」と言われてしょうがなく東京で開業した医師の所に行くことになりました。私は嫌だったんですが、数学の授業で数学の教師のやり方が悪いので、「数学がよー分からん」と愚痴をこぼしていただけなのですが。母は過干渉で私がクラス1の成績でないといけないという人でした。母が付いてきました。監視役。で、精神療法はオトリで、向精神薬の新薬の人体実験(治験ではない。説明もなく、私はサインもしていません)でした。私は飲みたくなかったけど母がどうしても「飲みんさい」というので仕方なく飲んでいて、眠い眠い。お陰で夏休みの終わりには広島に帰って来ていたんですが、宿題が出来ていない。眠くて宿題をする暇もない。そして、家族は大阪万博に行って留守。その間に異変が起きた。急に過去にウソを付いて悪かったとか、体が真っ二つになるんじゃないかとかの被害妄想が出始めてだんだん酷くなって苦しくなって、そうこうしているうちに夏休みが終わって学校に行くも、妄想や強迫観念が付きまとい、何をしていても落ち着かず苦しくて。そう、メジャートランキライザ―の副作用による症状です。苦しくてやれんので、ある精神科の病院に行くと薬を処方されて飲んでもダメ。翌日、病院に行って相談するも無理やりに入院させられて、筋肉注射を1発打って1日中眠っていたら翌朝目が覚めて、それまで悩まされていた症状は雲散霧消。助かった。治ったよと家族に電話をかけに行こうと病棟のドアが開いていてそこから受付に行き「電話をしたいんでお金を貸してもらえませんか」と言ったが最期。病棟に連れ戻されて、叱られて、そこから毎日薬漬け。院長に退院させてくれと訴え続けてやっと話を聞いてもらえて、3週間で退院しました。そうです、精神病ではないんです。精神病でもないのに、変な薬を飲まされて、副作用として精神面での苦しい副作用が出ていただけなんです。それを病院は金儲けのために精神病と言う事にして、一生精神病患者として儲けの材料に使おうと言う魂胆です。毎週土曜日の午後学校が終わってから、JRに乗って病院へ通っていました。が、もう病院通いは疲れます。もう精神薬は断ちたくて通院するのを止めました。そして、学校に行くのもおっくうになり不登校。そして卒業前に数名の男の人が来て「保健所から来た。今、検査をして回っているので、血液検査をさせてください」と言われて左腕を出すと採決でなくて静脈注射。制止しましたが、気を失い気が付いたら檻の中。数名の男を相手に格闘していたような記憶が。

結局は、当時の精神科の病院はいい患者を見つけたらお互いにシェアする方式で、通院を止めた患者が主なターゲット。で、別の精神科が係になって連れに来た。ここでも分かってくれない。やっと退院して通院していたが、また通院するのが面倒で止めたら、ある日眠っている処に目が覚めたら周囲は男の人が数名。また騙されて注射を打たれて車で遠くの病院に連れていかれました。ここは最低の病院でした。結局1番長く入院していてやっと退院。そして、通院。その間に大学受験しようにも願書をいくら出しても受験票が届かず。そしてある夏の日に妹とケンカして翌日、病院に行くと血液検査するからと言われて、腕を出していたら採決でなくて静注。私が言うと「血液検査するのに薬剤を注射してそれからまた採決するんよ」とい言われて信用していたら眠っていて気が付いたら布団の中。騙された。そしてすぐに退院。その後、その病院に雇ってもらえたと思ったら大間違い。いつまで経っても給料出ない。ある時院長と話をしたらケンカになって、荷物も何もかも持ってタクシーでIRの駅まで行き、帰宅した。父が持ってきた話で、確かに管理人として雇うと言ったと言う。何で私が「あの院長は大ウソつき」というのかが分かったと父が電話で院長とケンカになって言った。「もう行かんでもええけえの」分かってます。荷物も全部持って帰った。院長が言うには「精神療法の一環として・・・何かいい仕事があればええんじゃがねえ・・・と皮肉を込めて言っていた。病院は広大の医学部付属病院に替えて親戚の病院に透析の仕事で雇ってもらう事にして、准看護師の養成学校に入った。そして、薬もどんどん減量して行った。正看護師の養成学校にも入って、ついに正看護師(当時は男性なので看護士)の資格も取った。

その後色々あって、また担当医との意思疎通が上手く行かずに、トラブった。

何とか凌いだ。その後、クリニックに替えていったんは薬を全部止める事が出来た。

が、2006年に母の懇願で看護師を辞めて、母の介護から母の仕事の代理から、その他母がやってきた全ての事を私1人が誰の援護もなくてたった1人での孤独な戦いで、酷いストレスの連続で色々な病気に罹って複数の医療機関に受診するようになった。その中に、心療内科もある。母が死に、その後も私が何もかもしてやっと私のお陰で遺産分割が出来た。そして、その後も色々と何かあり、やっとストレスの少ない自由な時間を手にする事が出来た。まずは血圧の薬から減らし始めている。びらん性胃炎はもう治っている。肝臓も良好。血圧の薬を飲まなくてもよくなれば、もう内科には行かない。今は、極端なストレスから飲んでいるメジャートランキライザ―とマイナートランキライザ―とエスタゾラム2mg2錠を1錠にして減量中だ。もの凄い威力で無理やり眠らさせていたので(それだけ想像を絶するストレスの連続だった)1錠にすると押さえつける威力が足りなくて夜間に時々活動が活発になる軽いせん妄状態になる。これを突破すれば、睡眠薬なしで続けて、上手く行けば、今度はメジャートランキライザ―(コントミンハロペリドールを夜1錠づつ)を片側から減量を始めてリバウンドが起きないようにして減量して、やがて飲まなくてもいいようにして、そしてもう片方のを同じく減量して飲まなくてもいいようにして、マイナートランキライザ―は元々必要なし。時間はかかるが、薬は全部止める。辞める事が出来た薬には極端なストレスから耳の器官である蝸牛に血流が悪くなって絶えず、蚊が飛んでいるような耳鳴りがする(時には色々な音を拾ってオーケストラのようにうるさかった耳鳴りだが、ステロイド剤で一気に治してしまった。それで分かった事は「シーン」という音が静かな時に聞こえる。これが正常なんだそうです。兎に角、薬によっては依存性のある薬があるので、1度で全部止めれるのは最初の初期のみだ。1か月以上飲み続けた薬は急に止めるとリバウンドが来る。最初に入院した病院が良心的ならば、1発の筋注で症状が1発で治ったので、その時に薬も通院も開放(中止という意味)してくれていれば、このような凄く遠回りの人生を送らなくて済んでいた。本当に日本の医療はどうにかしているといつも思う。

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