tarobee8のブログ(戯言)

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自民党の改憲案とは?

 

自民党改憲案は、こういう事を逆手に取り、自分たちが好き勝手にしてもお構いなしという事を保障するための独裁国家憲法です。

自民党改憲案とは

 

現在の憲法から

基本的人権を保障した憲法97条と

言論の自由を保障した憲法96条を削除して、

緊急事態条項(国会機能維持条項という名称に変更して、分からないようにしてある)

憲法に盛り込むという、

無法者国家のための憲法です。何でも自分たちの好き勝手にしてもお咎めなしという

歯止めの効かない悪法です。

 

Chihiro Sato-Schuhさんの投稿より
8時間
 ·
憲法と法律はどこが違うのか?】
参院選挙で、改憲派議席が2/3を越えて、もはや改憲を妨げるものはなくなったらしい。それでこの頃、改憲派の人たちと議論することがあったのだけれど、多くの人は憲法が何なのかをよく知らないようだった。そのことに私はかなり驚いた。憲法は、普通の法律とは違って、容易には変えられないようになっているし、容易に変えてはならないものだ。ところが、その重大さを理解していない人が増えているようなのだ。
学校でも、この頃は憲法についてあまり教えなくなっているのかもしれない。GHQに押しつけられた憲法だからとか、日教組が偏向教育をするとかいう話で批判が強くなって、憲法について語りにくい雰囲気ができてしまっているのかもしれない。
憲法とはもともと、議会君主制になったときに、君主に国民の権利を守らせるために作られたものだ。当時は君主が支配権を持ってはいたけれど、そこで議会ができて、君主は議会の決定を考慮しなければならないことになった。それで、議会にどういう権限があるのか、支配者は国民のどういう権利を守らなければならないのかということを定めたのが、憲法だ。
だから憲法には、国民が不当に拘束されたり奴隷労働させられたり虐待されたりすることなく、それぞれの幸せを自由に追求する権利や、思想や信条、表現の自由などがあることが定められている。そして、こうした権利は、政権がどれだけ変わっても、必ず守られなければならない。だから、憲法は政権が作るすべての法律の上にあるもので、法律が憲法が定める人権を侵す場合、憲法違反として、その法律を無効にすることができる。
コロナの頃に、多くの国の政府がマスクやワクチンの義務化を法律化したけれど、これは憲法が定める基本的人権に違反するものだった。だから、憲法違反だということで、人々は政府の押しつけから身を守ることができたのだ。世界中で多くの憲法裁判が行われ、法律を無効にしたり、罰則を取り消しにすることができた。憲法が国民の人権を定めていなかったら、国民は政府から身を守ることができなくなってしまう。
しかし、コロナの頃から、西側諸国では、だんだんと司法機関までが腐敗させられてしまい、憲法裁判さえ、憲法を守った判決を下さなくなっていったりはした。とはいえ、憲法があるからこそ、人々は、司法の方がおかしいということがわかるわけだし、自分たちにどういう権利があるのかということを、知ることができるのだ。憲法が人権を明記していなかったら、私たちはどれだけ政府に蹂躙されても、それが不当だということにも気がつかなくなってしまうかもしれない。実際、この数年で、いったいどれだけの人権が無視されて、それが当たり前のように受け入れられるようになっていったかわからない。
ある意味、憲法は免疫システムのようなものだと言えると思う。人の健康を守るのが免疫システムだけれど、国の健康を守るのが憲法だ。政府がどんなに国民を搾取して、権利を奪おうとしても、憲法があれば、戦うことができ、再び権利を取り戻すことができる。その保障になるものが、憲法なのだ。
だから、憲法から国民の権利についての条項を削ってしまうということは、免疫システムを薬で壊してしまうようなことと似ている。それでも、政府が国民の利益を考えて動いているかぎりは、別に問題は起こらないわけだけれど、政府が腐敗して国民を搾取しようとし始めたら、私たちは身が守れなくなってしまう。それは、免疫システムが落ちているときに、病原菌に接触するようなものだ。
コロナのときには、医療従事者までもが、免疫システムについてほとんど理解していないということに、多くの免疫学者たちは驚愕していた。免疫システムについて少しでも知識があったら、感染対策に意味がなく、かえって感染の危険を増すだけだということは、容易にわかるのに、そのように考える人々が、あまりにも少なかったのだ。
すると、もう10年以上も前から、医学部でも免疫システムについてほとんど教えなくなっていたことがわかった。感染症やワクチンについても、教える内容が変えられていて、ワクチンだけが感染症を防ぐかのような内容になっていた。そのため、政府の感染対策が、人々の健康を逆に壊すことになっていたのに、そのことに気づいて対処することができなくなっていたのだ。
憲法についてちゃんと教えなくなっていたのも、免疫システムについて教えなくなったのと、同じことのようだ。憲法についての知識がなければ、私たちにどういう権利があるのかがわからない。政府が人権を奪おうとしても、それに気づかず、奪われたままになってしまう。そこで、国民の権利について明記されず、国民の国家に対する義務だけが書かれているような憲法案が出ても、そうしたものもまたいいのではないかと考える人たちが、少なからずいるような事態になっている。これは、国の免疫システムが落とされている状態だと言えると思う。
しかしながら、今、問題になっている改憲とは、国民の権利に関するものではなく、憲法第9条に関するものだ。日本の憲法では、国際紛争を解決する手段としての武力行使を放棄する、と決めていて、そのための軍隊を保持しない、としている。これは、かなり過激な平和主義だと言える。永世中立国を定めている国は少なくないけれど、軍隊を持たないと決めている国は、日本の他にはまずないからだ。
だから、これは敗戦国が非武装化を強いられるのと同様に、占領軍が押しつけた条項なのだと言われるのも、無理もないかもしれない。しかし、当時の日本人は、戦争にはあまりにも苦しめられたので、戦争に関わるのはもう絶対に嫌だという気持ちがあったのも事実だ。
国民を豊かにするための戦争だと言われ、英米は鬼畜だと教えられて、多くの若い日本人たちが命を犠牲にして戦った。しかし、いざ負け戦となったら、政治家たちは国民を守らずに軍隊を撤退させてしまい、軍隊の幹部だけが帰国して、残りの兵隊たちは、現地に取り残されたのだ。それで、多くの日本人は、騙されたことに気がついた。今のウクライナと似たような状況だ。国を守るためだと思って戦ったのに、政府は実は国民の利益など考えておらず、いくらでも犠牲にするつもりで、戦争を始めたのだ。
とはいえ、非武装化はあまりにも非現実的だという話もある。しかし、例えばクエーカー教徒は、たとえ自分が殺されるとしても、人殺しは絶対にしない人たちなので、アメリカでは兵役免除になっている。そんな平和主義者を軍隊に入れても、使い物にならないからだ。それによって、クエーカー教徒たちは、戦争に関わることから身を守ることができたわけだ。つまるところ、攻撃性がない人間は、攻撃を引きつける危険も少ない。銃を構えている人間は、確実に撃たれるけれど、無防備な人は、撃たれない可能性も大きい。
憲法第9条が、平和憲法として、多くの日本人が誇りにするものだったのは、こうした過激さがあるからなのだと思う。何があっても戦争は嫌だと言い、無防備で平和を守ろうとする強い姿勢があるからだ。そして実際、日本はこれまで憲法で戦争を放棄している国であるがゆえに、戦争に巻き込まれずに済んできた。朝鮮戦争でもベトナム戦争でも、日本の米軍基地から戦闘機が飛び立ちはしたけれど、日本人が戦地に行くことはなかったのだ。
しかし、日本にはちゃんと軍隊はある。自衛隊というものは、軍隊とは別物だということになっているけれど、他の国の軍隊も、防衛軍とか防衛部隊とか言っていて、特に中立国では、それは領土が攻撃された場合にだけ、戦闘を行うことになっている。基本的に、日本の自衛隊も何ら変わるところはない。もちろん、自衛隊憲法違反ではないのかという議論は何度もあった。しかし、自衛隊は、憲法で禁じている国際紛争を解決するための軍隊ではないからという理屈で、憲法違反ではないということになり、今日まで至っている。
国際紛争を解決する手段としての武力行使というのも、何のことだかわかりにくいのだけれど、たとえば日清戦争は、中国と朝鮮の間の国際紛争を解決するために、日本軍を出動させたことが始まりだった。コソボ戦争も、ユーゴスラビアの内紛にNATOが関わる形で始まったわけだし、シリアやリビアで起こったこともだ。他の国の内紛や国際紛争に軍隊を出すことは永久に放棄するということを言っているのだとしたら、つまりは永世中立国と同じだということになる。
憲法第9条を変えなければ、日本は防衛ができないと思っている人が多いけれど、それは正しくない。ただ、たとえば台湾と中国の間が紛争状態になったときに、日本は自衛隊を派遣できない。実際には、海外派遣はすでに当たり前のように行われているけれど、違憲行為だとは言える。
もし改憲して、自衛隊を正式に認めるのだとしたら、他国への侵攻に加わらないことをはっきりさせることが必要になる。永世中立国にするとかだ。この場合、軍事ブロックになる安全保障協定はすべて破棄することになる。オーストリア永世中立国だから、軍隊もあり徴兵制もあるけれど、NATOに加盟することはできず、NATOの戦闘機が上空を飛行することも許さない。しかしそれゆえに、オーストリア国際紛争の停戦交渉の仲介をすることもできたのだ。そしてオーストリアの多くの人たちは、永世中立国であることを誇りに思っている。
今の国際情勢を見るならば、軍隊があるから強くて守られているとは、まったく言えないと思う。武装していて、ある国と敵対していたら、その国は日本に対して武装を強めることになるからだ。それは、銃を構えていたら撃たれる可能性が増すというのと同じ原理だ。だから、武装するならば、あくまで中立で、攻撃されないかぎりは武力を使わないということを、はっきりと示す必要がある。そうでないと逆効果になる。
もし、核兵器保有していたら守られるなどと思っている人は、イラク大量破壊兵器を持っているという理由で、爆撃されたことを考えるべきだ。危険な武器を持っているとなったら、敵対している国は、自衛のために政権まで変えようとするだろう。そうでなければ、国民を守れなくなるのだから。ウクライナだって、アメリカの生物兵器を持っていたりしたからこそ、ロシアが特別軍事作戦を行うことにもなったのだ。そして、当時のアメリカ政府は、まさにロシアを挑発するために、ウクライナを危険な武器で武装させていたので、ウクライナ国民を守る気などはまったくなかったのだ。
そうしたことを考えるなら、日本の平和憲法が日本を弱くしているなど、まったく言うことができないことがわかる。それどころか、戦争を放棄している国だからこそ、日本は守られてきたのだ。そのことを知って、そこに誇りを持つこともできるのだということを、私たちは今、考えるべきだと思う。