要するに「幸せの青い鳥」のストーリーと同じなんですね。
チルチルとミチルが幸せの青い鳥を求めて、旅をしましたが、見つからずにガッカリして家に帰ったら、自分たちの家に「幸せの青い鳥」がいたのを見つけてたというお話。
「灯台の下暗し」と似ていますね。
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会話
なぜお金が欲しいのか
なぜ結婚したいのか
なぜ希望高へ入学したいのか
なぜ恋人が欲しいのか
なぜ持ち家が欲しいのか
理由はそれ自体を所有することが目的ではなく(安心)したいのが目的です
(ホッとしたい)のが目的です
(幸せな感情を味わいたい)が目的です
みんな (幸せな気持ちになりたい)から色々なツールを所有してこの感情を味わいたいんですね
安心したいホッとしたい幸せな気持ちになりたいのです。
その手段が金持ちになるとか企業で成功するとか言うツールなだけでそれ自体が幸せそのものでは無いってことです
深掘りすれば上記のような目標を達成しなくても良いんですね
お金持ちでなくても毎日納豆と味噌汁がうまい、美味しい、幸せであればその人は幸せそのものなんです
結婚しなくても独身である自由を満喫して幸せな気持ちを満喫していれば幸せそのもの
希望高へ行かなくても違う高校で充実した生活を送るならその人は安心で幸せそのものです
恋人が居なくても全然心が満たされていて平和で穏やかで楽しい毎日を送っていればその人は幸せを手に入れているんです
狭いアパートで暮らしていても毎日が幸せでいればその人は特別に何かツールを手に入れなくても望みを達成しているんです
このように幸せとは これが幸せ!と言う定義はなく人がこれが幸せ〜と思えればそれが幸福を手にしたことなんです
物質欲を満たしたり知名度や財産や権力を得るのは(ホッと安心して幸せ〜)を感じ味わうための手段のひとつでそれが目的ではないと言うことです
その証拠に一旦上記の願いを達成ししばらくは幸福感の余韻に浸るのですがやがて又新たな欲望が出たり今の現状に飽きたりするんです。
その得たモノが幸せそのモノでは無かったからですね
幸せとは何かを達成してもしなくても何かを得ても得なくても
自分のすぐ足元に沢山の幸せが転がっているんです
人は 遠くの幸せを求めて近くに幸せがあったことに気がつかないものなんですね
DaiFit