tarobee8のブログ(戯言)

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平家の落ち武者狩りの終焉

2022年2月27日

平家が壇ノ浦で滅亡した後も、運よく生き延びた残党は各地に散らばって集落を作り、
ひっそりと隠れるようにして生活していた。落ち武者狩りは厳しくて、落ち武者の見張りも厳しくて、敵が攻撃してきたら
縄で作った橋を切り落としたり、その他色々な方法で生き延びてきた。
が、頼朝が亡くなるとだんだんと落ち武者狩りは緩くなって行った。義時が執権になる頃は平家の落ち武者狩りは止めて、
逆に「名乗り出て来た者には幕府の御家人に取り立てる」と宣伝していた。
が、誰1人として名乗り出なかった。そりゃ、落ち武者やその子孫からしたら、これは自分たちを捕まえて殺すための策略じゃないのかと思うのは至極当然だ。
今でも落ち武者の里として残っている集落跡や平家(伊勢平氏)の子孫を名乗る人たちもいる。平家の落ち武者と言われる人たちは平家の公達ではなくて、その家人だと言う
人もいるが、実際には平家の公達が生き残っていたケースもあったようです。集落跡を見るとその守りの固さ(陣構え)の様子から家人ではなくて、平家の公達が隠れ住んでいた
としか思えない集落もあるそうです。