tarobee8のブログ(戯言)

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マリアナ沖海戦の意味

戦艦「長門」の画像もありましたが、「このコンテンツは現在ご利用できません」となっていました。

 

永井 とさんのフェイスブック投稿より

(久野先生より抜粋)
【歴 史】 
6月19日は、マリアナ沖海戦が行われた日だ。(昭和19年
サイパン島を占領されれば、帝都東京が空襲されるため、「絶対国防圏」として死守する構えでした。
今や本を読むまでもなく、ネット上で拾ったレベルの情報だけで「日本軍はこうすべきだった」などと批評する論者がいる時代です。
歴史学者のみならず経営学者も、「日本軍は組織として…」「日本軍の意思決定過程が…」とその“欠陥”を他人事のように考察します。
しかし、私は研究者である前に日本人として、
日本本土だけでなく南洋諸島(の人々)まで命がけで救おうとした先人たちにまずもって感謝と敬意をもちたいと切に思っています。
史書などでは「マリアナ七面鳥撃ち」などとバカにした表現ばかりが目につきますが、
このマリアナ沖海戦は世界最後にして世界最大の空母決戦です。
日本側は空母9隻/艦載機439機(アメリカ側は15隻/891機)という、真珠湾攻撃時の空母6隻/艦載機350機をはるかに上回る大戦力を展開しました。
これだけの戦力は、世界史上アメリカと日本しか展開できなかったという史実を、
現在の日本人は知りません。
それをすっ飛ばして、
「負けた」という結果だけから逆算して、
戦前の陸海軍をとにかく揶揄する向きには私は賛同できません。
大学での講義の傍らで、そんなことを考えて本日を過ごしました。
マリアナ沖海戦の戦没者英霊に対し、慰霊顕彰の誠を捧げつつ。