日本のガン利権は凄いですよ、悪い意味で。
ガンで死ぬのではなくて、ガン治療と称する合法的殺人により殺されているのです。
この方は死なないまでも、検査でガンを捏造されて、医師が執拗に勧めるので、
仕方なく応じたために、不幸な人生を歩むようになったようです。
人間ドッグなんて、止めておいてください。早期発見早期治療は医療利権の最たる
ものです。
健康診断も日本の企業とそこで、働く人には義務付けられているのも日本だけです。
医療と称した狩猟です。
斉藤 一治さんのフェイスブック投稿より
7時間 ·
Nさんは毎年人間ドッグで精密検査を受けていた。
そんななか1999年、超音波検査で左乳房の乳腺に影が発見されたため、
マンモグラフィ(乳房X線撮影)を受け、
さらに医師から穿刺吸引細胞診を勧められた。
その結果はシロで何も出なかったが、医師からは
「どうも形が気になるので、生検をうけてみないか」と強く勧められた。
だがNさんにはしこりの自覚症状が全くなく、
痛みはもちろん、その他の症状も全くなかった。
そればかりか穿刺吸引細胞診の結果で「異常なし」と出たのだから、
これ以上の検査はもう不要と思っていた。
しかし医師から
「しこり部分の周囲がはっきりせず、形としてかなりガンの疑いが濃い」
と指摘されたため、ついに生検に踏み切った。
その結果、なんと「乳ガン」が宣告された。
Nさんの病期はステージ1(1期:初期ガン)で、約1センチのしこりがあり、
ガン細胞が乳管等を包む基低膜を破って外に出る浸潤ガンと呼ばれるものだった。
Nさんが医師から説明された治療方法は、まず手術だった。
生検でしこりの一部は切除していたから、
そこを中心にさらに切除し、同時に腋下リンパ節も切除する。
だが温存した場合には、再発予防のための放射線照射やホルモン療法、
化学療法(抗ガン剤)等が必要になる。
つまり、手術で乳ガンが完治するわけでも治療のすべてが終わるわけでもなく、
その後も抗ガン剤治療を含めて最低1年間は治療を受けなければならず、
「完治まで10年」と医師に言われた。
Nさんは入院し手術をした。だが術後の痛みがひどく、手術箇所が腫れていた。
そこで内出血が懸念され、再び手術をした。
再手術で辛かったのは、胃の内容物を出すために鼻から管を通し、
気道確保のために管を通す一連の処置だった。
辛く苦しい再手術が終わった後、傷は順調に回復していったものの、
人工呼吸器を付けていたためにのどが痛いし手術の傷も痛い。
さらに頭痛、胃、背中、腕とあちこちが痛く、しびれや違和感もかなりあった。
また肩から手首にかけてはブタのように厚ぼったくむくみ、
リンパ節を取り去ったために体液やリンパ液の流れが極端に悪くなっていた。
しかもまだ貧血が続いていた。が、やがてNさんは退院の日を迎えることができた。
退院後Nさんは外科を受診し、医師と今後の治療方針について相談する。
そして「温存した乳房にガンが再発する危険性がある」ということで、
続けて放射線治療を施すことになった。
こうして放射線照射が月曜から金曜までの週5回、それが5週間の全25回続いていくが、
その途上、Nさんはひどく副作用に悩まされる。
放射線治療が終わると、今度は抗ガン剤治療が始まった。
抗ガン剤は1週目2週目に点滴と薬を服用し、その後2週間は薬を休む。
この4週間を1クールとして6クール受けることになったのだ。
しかし副作用が心配になったNさんが医師にたずねると、
「生理が止まり、更年期症状がでることがある。
吐き気、食欲不振、白血球の減少等が考えられるが、
体質や症状によってかなり違いがあるので、始めてみないとわからない」という。
Nさんは「抗ガン剤は吐き気や脱毛、倦怠感等の副作用が強いもの」だとは知っていたものの、
「私はきっと大丈夫」と自分に言い聞かせて病院に通い続けた。
さて、抗ガン剤投与の副作用はどうだったのだろう。
肩こりと動悸に悩まされ、不快感は収まらなかった。
その症状が軽くなったと思ったら次に動悸が始まった。
夜中に息苦しさで目覚める。動悸と胸の圧迫感があり息苦しい。
そのまま緊急入院。ついに当初6クール受ける予定の抗ガン剤を3クールで中止。
1999年に「乳ガン宣告」を受けたNさんは、こうして入院、手術から始まって、
以来まる5年に及ぶガン治療を受けてきた。その内容は、
「25回の放射線治療・CMF療法・ゾラデックス2年・ノルバデックス5年」であり、
医師が予定した治療計画を2004年6月末に終え、その後は経過観察を受けているという。
医師が勧めた生検から初期がんを発見したNさんは、
「早期発見・早期治療」に基本的には感謝しているようだ。
だがその一方で、ふと思うことがあるという。
「私、元気だったのに…。
手術を受けるまでの私は、何ともなかったのに」と。