2021年10月3日
板東義宣の投稿より
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【中川昭一という政治家】
『対馬がこんな脆弱な状況に置かれているとは知らなかった。常に平和と安全を守る努力をしなければ、気付いたときには危機が間近に迫っていることになりかねない』
これは中川昭一氏の発言ですが、亡くなられて既に凡そ13年になる。経済通は知られているが何より国防について語気を強めて話すのを、印象的に記憶する。
尊敬する政治家は誰か、の問いに、真っ先に上げたのが、父中川一郎だった。次に中曽根康弘、そして19世紀のイギリス首相パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルを挙げていた。
父一郎は自らの政治家生活の原点として、中曽根康弘は綿密な情報収集と分析力で身の丈にあった政策を実現できる政治家として(この判断ができない政策は実現できないか低レベルに終わるが、判断ができれば国鉄民営化のように不可能といわれたことでも遣り遂げることができると述べる)パーマストン子爵はヴィクトリア女王に嫌われてでもイギリスの国益を追求した政治家としてそれぞれ評価している。
趣味は水鉄砲とサッカー、自宅で花を育てることであり、特技はテニスであった。政界きっての読者家としても知られた。
中川の周囲から遺書は発見されていない。法名は「青邦院釋昭尊」夫人と長女が「青い政治を貫いた」意味を込めて命名、鎌倉の高僧の承諾を得て付けた。
告別式では自民党総裁谷垣禎一が弔辞を述べ、続いて所属した志帥会会長・伊吹文明の弔辞を紹介する。また友人代表安倍晋三、後に帯広で「哀悼の会」が開催され盟友麻生太郎の弔辞も紹介したい。
日本自民党にとって大きな損失。保守主義は人間の作り上げた良き伝統的規範や自己抑制、矜持に期待する政治思想。あなたの政治的無念を晴らすためにも、自民党は正しい保守のあり方を体系的に理解し、保守政党として国民の信頼を取り戻す努力を誓う。
伊吹文明
今日はいつも通り昭一さんと呼ばせて頂きます。
昭一さんは常にリーダーだった。自虐的な歴史観を正し、子どもたちが日本に生まれたことに誇りを持てる教育に変えたい一心で、教科書問題にも取り組んだ。困難な問題に立ち向かい、世の中を変えて行く戦う政治家の姿を学んだ。最愛の奥様と夢だったエジプト旅行に来週出発すると聞いていた。郁子さんは昭一さんとの幸せな日々を胸に、中川家を守っていくと思う。
安倍晋三
昭ちゃんまさか貴方の弔辞を13歳も年上の私が読むことになろうとは。(中略)「政治家我が身無念と思えども、国のためなら本懐なり」。あなたにこの言葉を贈りたい。(中略)我々は中川先生の遺志を継ぐ義務と責任がある。「死せる中川、生ける保守を走らす」これが貴方が最も望んでいることだろう。残された我々は、歯を食いしばって頑張る。
麻生太郎
本日十月三日は微妙くも十三回忌
中川昭一氏の命日です。黙祷 合掌
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中川昭一氏のような政治家が健在なら今の日本はずっと違ったいい方向性にいたはずです。
無念な想いです。