ルネサンスのメルマガより
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// 編集部からのお知らせ //
私たちが同盟国として信頼しているアメリカ。
しかし、その同盟国は戦後日本が力を持たないよう数多くの楔を埋め込んでいることをご存知でしょうか?
日米同盟だけではありません。
戦後日本が抱える課題を解決し、自立した強い国を目指すためにどうしていけば良いのか?
中東、アフリカの危険地帯で熾烈な情報戦を戦い抜き、日本戦略の政策提言も行っている丸谷元人氏に徹底分析していただきました...
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※ページの公開は6月13日まで
ロシアのウクライナ侵攻が、北方領土問題に暗い影を落としています。
ロシアが日本との平和条約交渉を中断し、元島民がビザがなくても故郷を訪問できる、いわゆる「ビザなし交流」の事業を停止すると表明したのです。
アメリカに追従し、ロシアに制裁を加えた日本への報復との見方が強く、北方領土返還がさらに遠のく結果となりました。
そんな北方領土問題ですが、戦時中の歴史を振り返ると衝撃の事実が浮かび上がってきました。
どうやらこの領土問題の裏ではアメリカが裏で糸を引いていたようです。
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From:危機コンサルタント・丸谷元人
北方領土問題というのは、ドイツ降伏から3ヶ月後にソ連軍を対日戦に投入するという、ルーズベルトとチャーチルとスターリンの間で交わされたヤルタ会談から始まっているわけです。
しかし、この北方領土や樺太などそういう所、それから満州への侵攻に関して誰が背後にいたのかということを考えると、実は非常に興味深いことが見えてきます。
20年以上前、私自身がある資料を読んだ時にこれを少し見たことがありまして、当時最初は「えっ、こんなことがあったんだ」と思いました。
北方領土や千島列島、樺太などに艦隊でやって来て、上陸して占領したソ連兵というのは、実は米国によって訓練されていたということなのです。
この極秘の軍事作戦を「フラ計画」または「プロジェクト・フラ」と言うわけなのですけれども、実は昭和20年の5月から約3ヶ月間、アラスカのコールドベイ基地という米軍の基地で、
12,000人のソ連兵がいろいろな訓練を受けていました。
これは何の訓練かというと、当然対日戦の訓練を米軍によって受けているということです。
掃海艇というのは海にある機雷を掃除する、海の艦隊の航行の安全を確保するMine Sweeper(マイン・スイーパー)という船のことです。
昭和20年5月~9月の間、アメリカはソ連に対して掃海艇55隻と、映画『プライベート・ライアン』などでもありますけれども、港にドンと付けて
兵士たちを上陸させるため上陸用舟艇30隻、駆逐艦やフリゲート艦28隻といった、合計145隻の艦船をアメリカはソ連に無償供与します。
アメリカ軍のスタッフ1,500人が1万2,000人のソ連兵をこの間対日戦に向けて、みっちり教育、訓練をしたというふうなことがあります。
つまり北方領土問題は今日本とロシアの長年の課題になっていますが、この問題を作り上げた背後にはやはりアメリカがいたということです。
そもそもよく考えてみますと、ソ連というのは大陸国家でありますので、上陸戦闘をあまりやったことがないということがあります。
その一方、アメリカは海洋国家でありますので、アメリカ海兵隊というのを持っておりまして、太平洋戦線でマキン、タラワの戦いや、ガダルカナル、マーカス岬、もしくはニューギニア、
さらには硫黄島やフィリピンなどのいろいろな所で米海軍は上陸作戦をやってきたので、非常に慣れている、経験が豊かであるという背景があります。
そのような海上からの長距離兵力とか大量の物資を海上輸送して、それをまとめて一気に歩兵と共に上陸させるという海上侵攻作戦というのを、千島列島というものすごく距離の長い、
1,000キロ以上もある列島間でソ連がどのように成し遂げたのだろうというふうなことを考えた時に、そのバックには上陸戦闘に経験豊富な米軍がいた。
彼らがソ連兵を教育したということを聞いて、私はなるほどと思ったわけなのです。
なので、今も引きずっております北方領土も、結局は米軍の船を使って米軍に訓練をされたソ連兵が、米国のルーズベルト大統領などの意思のもとやってきたというのが
その背景にあるということなのです。
それが今日もなお、日露の間の潜在的な問題になっているということです。
ちなみにソ連時代からもそうですけれども、ロシアと日本が北方領土を返還しようという時に、必ず「四島一括返還論」という話が出てくるのです。
つまり、択捉、国後といった島々の四島を一気に返すという案と、まずは歯舞、色丹という小さな島々の二島から返してもらうという案が
必ず問題になってつぶれてしまうということを繰り返しています。
四島一括で返ってくれば一番いいのですけれども、やはり物事の交渉というのは少しずつやっていくのが常道であります。
最初から「100くれ」と言ってもくれるわけはないので、「100をくれ」と言いながら、最初は仕方ないから二島でいいから、そのうち残りの二島も時間の問題で
返してもらわなきゃいけないよというところで、二島返還でも私は全然いいと思っております。
実際中国のサラミ・スライス戦略を見てみますと、ジリジリジリジリきているわけです。あれは非常にうまいやり方なのです。
日本もそういったうまいやり方をすればいいのですけれども、二島返還論という話が出てくると、
必ずマスコミが「四島返還じゃないとダメだ」ということを言い出したり、アメリカの方から圧力がかかって「四島返還じゃないと許さん」ということが起きるのです。
日ソ平和条約を結ぼうという時も、1950年代に日本がソ連と「まず二島返還から始めよう」と言った時に、それをつぶしたのはアメリカのダレス国務長官だったのです。
「もし日本がソ連との間で二島返還で合意するならば、 沖縄は返さんぞ」と言ったのです。だから「ダレスのどう喝」というふうに言われておりまして、
時の重光葵(まもる)外務大臣がダレスはひどいというふうに憤慨したということがありました。
つまり、ソ連、ロシアにとっても、いきなり四島返還と言ってやってしまえば、国民の世論の問題もありますし、なかなかできないのです。
二島だったら何とか厳しい交渉のうえにまだ認めてもいいかもしれないといった時に、日本側から「いや二島じゃダメだ。四島じゃないといかん」
というふうにごり押しをされると、もう会談はつぶれてしまうわけなのです。
そういうことを繰り返してきたのです。
一回目の日ソ平和条約の時には、ダレス国務長官がそれをつぶしたわけですけれども、それが繰り返されてきたいうことです。
現在、ウクライナ侵攻で日本はロシアと敵対する立場を取りましたので、ロシア側も日本を非友好国として認定しました。
北方領土返還の可能性は限りなくゼロに近づきましたが、こういうときだからこそ日本の領土問題・外交の姿勢を見直してみてもよいかもしれません。
<著者紹介>
世界の危険地帯を渡り歩き、危機管理・テロ対策現場の第一線で活躍するプロフェッショナル。
オーストラリア国立大学卒業後、オーストラリア国立戦争記念館の通訳翻訳者を皮切りに、長年、通訳翻訳業務に従事。
その後、パプアニューギニア、ナイジェリア中東など、毎週のように誘拐や人殺しがあるような治安が悪い地域での企業の事業展開支援・危機管理業務を
数多く請け負ってきた。
時には自ら防弾車に乗り、銃を片手に現地部族との交渉・要人の警護の業務を行なった経歴を持つ。
自らのネットワークを活用して独自の情報を集め、安全対策・政治経済の動向など幅広く分析を行う。
現在は、危機管理コンサルタントとしてグローバル外資系企業を中心に活動しつつ、自身の運営する「月刊インテリジェンスレポート」にて
国際情勢の最新分析を発信している。
丸谷 元人先生について、もっと知りたい方は、こちらの紹介ビデオをご覧ください。
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白人だらけの世界で見つけた、日本の誇り
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