小栗上野介

2021年11月10日

ダイレクト出版のメルマガより

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「これはアジア人ヨーロッパに対する初めての勝利だった。」

「アジアの全民族は、大きな驚きと喜び、そして希望を抱いた」by孫文

1905年5月27日。

近代国家として歩み始めたばかりの日本が、大国ロシアに勝利を収めた「日露戦争

その勝利を決定づけたのが、「最強」ロシアのバルチック艦隊を、日本の連合艦隊が破った、日本海海戦の大勝利。


東郷平八郎の「T字戦法」や、参謀:秋山真之の優れた戦略、

最近では、活躍を見直されるようになった乃木希典など、
現在では、数々の勝利の要因が語られている。

しかし、彼らの影に隠れた、、日露戦争勝利の本当の立役者をおそらく、ほとんどの人は知らないだろう…

なぜなら、その人物の存在を、明治政府は「消した」から…

その人物は、日露戦争の大勝利よりも30年以上も前、江戸幕府の時代を生き、
自身の功績を明治政府に消された後、現代まで、ほとんど語られることはない…

政府が消したかった
明治維新の立役者とは...?

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引用終了

正解は「小栗上野介忠順(おぐりただまさ)」です。
彼は、江戸時代の幕府の旗本で、1827文政10年6月23日生まれ、1860年(万延元年)34歳の時、井伊大老の抜擢により日米修好通商条約批准の
遣米使節(目付・監察)として、米艦ポウハタン号、ロアノウク号で渡米、米艦ナイアガラ号で地球一周して帰国。その後の八年間幕政をささえ、日本の近代化を押し進めた。
帰国後は、横浜に造船所などを作り、日本が自前で軍艦を作ろうとしました。
しかし、時すでに遅し、薩長同盟軍に幕府軍が破れて徳川慶喜が江戸に逃げ帰った。忠順は慶喜に官軍に勝つ秘策を奏上するが、退けられる。
後日、それを知った西郷隆盛は、この作戦を幕府がやっていたら自分たちに勝ち目は少なかったと評価している。
慶応四(1868年)年三月、幕府から帰農許可を得て領地である権田村に移住。東善寺を仮住まいとして観音山に住宅建設を進める。
徳川埋蔵金小栗忠順がある所に隠し持っていた。
65日後の同年閏四月六日、西軍(明治新政府軍)によって罪なくして水沼河原で家臣三名とともに斬首される。
理由は無実とされているが、新政府軍が徳川埋蔵金を見つけて埋蔵金の事を知っている小栗忠順の口封じのためだ。
徳川埋蔵金は明治時代にイギリスから莫大な借金をしていた新政府軍が借金を返すために造幣局を作りイギリスから金のコインの作り方を
教えてもらい、全部金貨にしてしまいイギリスに渡してしまい、借金は帳消しになったが、ただでさえ少なかった日本の金(きん)は
ほとんど無くなりました。だから徳川埋蔵金はいくら探してもありません。
小栗忠順が近代日本の礎を築いていたのを明治政府がパクったのです。
都合の悪い人間だから殺されたのです。