2021年11月8日
ダイレクト出版のメルマガより
--------------------------------------------------------
明治維新の立役者として知られる吉田松陰
自身の教える松下村塾にて高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など…
幕末から明治時代にかけて活躍する人々を輩出したと言われる幕末の有名人。
出身の山口県では、今でも人々にこぞって「吉田先生」と呼ばれるほど広く慕われている偉人でもあります。
・・・ですが、この松陰には、いくつか不可解な謎があるのをあなたは知っていますか?
私たちが教科書やドラマで知る明治維新では語れれない歴史の裏側…
「吉田松陰・3つの謎」がこちらです。
<吉田松陰の謎1:短すぎる指導歴>
吉田が「明治維新の立役者」と呼ばれている理由。そこにはやはり「長州ファイブ」の存在があります。
遠藤謹助、伊藤博文、井上勝、井上馨、山尾 庸三
彼ら長州出身の若者たちは鎖国の中でヨーロッパ(イギリスです)に密留学し、先進的な近代技術を吸収。
それらを日本に持ち帰り、明治初期の急速な近代化に大きな影響を与えました。
彼らを育てたことが吉田の功績として讃えられているのですが…
実は、長州ファイブを教えていたのはたったの1年だけでした。
「恩師」と呼ぶには、流石に短すぎではないでしょうか?もちろん、時間が全てではないはずです。
…しかし、長州ファイブの一人、伊藤博文は『回顧録』にてこのように語っています。
松下村塾では5ヶ月しか学んでいない…私の恩師は来原良蔵氏だ。
吉田の下で学んだのは半年足らずで恩師は別の人間だと言うのです。(来原は長州の藩士でした)
このような記録があるにも関わらずなぜ吉田は明治維新の立役者として語られているのでしょうか?
<吉田松陰の謎2:高杉晋作「松陰とは絶縁する」>
今でこそ、山口では松陰“先生”と呼ぶのが当たり前になっていますが、
当時、吉田とその門下生たちは地元の人々からは良い目では見られていなかったようです。
吉田の門下生の一人に野村靖という男がいるのですが、彼は回顧録『追懐録』で
地元の人々が「吉田や門下生を『乱民』のように見て、 皆、警戒して近づく者はいなかった」
と語っています。
さらに、同志たちから「鼻輪の無い暴れ牛」と呼ばれたという高杉晋作ですら、父にこんな手紙を書いています。
“寅次郎(松陰の通称)事にては一言一行も致すべきようの志はござなく候間、この段は御安心下さるべく候よう願い上げ奉り候”
この手紙で高杉は「松陰との関係を断つ」と誓い、父を安心させようとしているのです。
あの破天荒な高杉が心配するほど周りから異常に見られていた吉田松陰。
私たちが教科書やドラマで学ぶ歴史とはかなり違ったものに感じませんか?
<吉田松陰の謎3:真の明治維新の立役者>
吉田が明治維新の立役者ではないならば、一体、誰が明治維新を支えたのでしょうか?
維新を進めたのは若者の志士たち。政治機構や教育などの綿密なシステムを整えるには、
“導き手”の存在が必要だったことは確かです。
実はその導き手について、ある男が証言をしています。
その男とは「高橋是清」総理大臣を歴任した是清は自伝でこのように語っています。
「高位高官の人たちが外国の事情を知りたいと思う時には、まずフルベッキ先生を訪ねて教えを乞うた。
就中、加藤弘之、辻新次、杉孫三郎などという人々は、しばしばやって来て、先生の教えを受けた」
(『高橋是清自伝』)
是清が「先生」と呼び慕う男とはグイド・フルベッキ
この男こそが、幕末志士の「恩師」であり明治維新の影の立役者でもありました。
オランダ出身のフルベッキは西洋の近代的な技術や文化の知識を用いて国防や行政などに関して、明治政府の重鎮に献身的に指導しました。
人望が厚く、高橋是清以外にも大隈重信や岩倉具視などとも深い親交があったといいます。
しかし、そんな影の立役者ことフルベッキはあまり取り上げられることはなく・・・・
私たちにとっての明治維新は吉田松陰先生の教え子たちが成し遂げた近代化として学んでいるのでした。
------------------------------------------------------------
引用終了
グイド・フルベッキは欲のない人で、金銭への執着がなくて、質素な生活を送っていて、収入も少なくて
あれだけ日本のために尽くしたのに、無名で、貧乏だったのです。彼を中央にして幕末の志士たちがフルベッキを
囲んで写っている写真が残っています。幕末の志士たちは数10名も1枚の写真に写っています。
フルベッキ先生にお世話になった幕末の志士たちや明治維新の立役者たちはたくさんいました。
フルベッキは幕末の志士たちや明治維新に貢献したのですが、無名で貧乏で後世に語り継ぐ人がいずに未だに評価されていません。まるで私とソックリです。
このように明治維新は大河ドラマや学校の教科書で教えられているのと真実は違っている事が多いようです。
坂本龍馬の数々の謎にしろ、西郷隆盛と勝海舟との談判で江戸城無血開城が成し遂げられたとか、徳川慶喜が何故
戦いを放棄して逃げ帰ったのか、何故、大将が降参したのならその部下は殺されない侍文化なのに江田幕府の
重鎮が次々に斬首されたのか、徳川埋蔵金はどこに消えたのか、何故、東北地方の幕府側の藩を皆殺しにして行ったのか、
勝海舟が何故、明治政府の重鎮になれたのか、西郷隆盛と大久保利通が何故袂を分かったのか、・・・
などなど不思議な点がたくさんあります。
大勢の日本人の知っている明治維新と実際の明治維新は随分と違っているようです。