日本は本当は「南に降りて西に行く」という作戦で、決してアメリカとは
戦争しないという方針でした。が、ソ連のスパイにそそのかされた山本五十六が
昭和16年1月から真珠湾奇襲のための訓練を鹿児島の錦江湾を使って開始した。
極秘で進められていた。知っていたのは永野修身のみ。山本五十六は
「やさせてくれないと辞めちゃうもん」と言ったから永野修身は「辞められたら
困るから決済した」と戦後にGHQに詰問されて答えている。
そして、昭和16年11月になり、「南に降りて西に行く」という作戦の手助けに
なるからと言う名目で昭和天皇に奏上して、東條英機は大慌て。山本五十六に
止めるように何とか説得しようと試みたが、ダメで、開戦直前に東条英機は
昭和天皇に涙ながらに「アメリカと闘う事になりました」と報告した。
これで、楽に勝てるはずだった大東亜戦争が絶対に勝てない戦争に変わって
しまった。