tarobee8のブログ(戯言)

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日本軍は本当はアメリカとは絶対に戦争しない予定だった

日本は本当は「南に降りて西に行く」という作戦で、決してアメリカとは

戦争しないという方針でした。が、ソ連のスパイにそそのかされた山本五十六

昭和16年1月から真珠湾奇襲のための訓練を鹿児島の錦江湾を使って開始した。

極秘で進められていた。知っていたのは永野修身のみ。山本五十六

「やさせてくれないと辞めちゃうもん」と言ったから永野修身は「辞められたら

困るから決済した」と戦後にGHQに詰問されて答えている。

そして、昭和16年11月になり、「南に降りて西に行く」という作戦の手助けに

なるからと言う名目で昭和天皇に奏上して、東條英機は大慌て。山本五十六

止めるように何とか説得しようと試みたが、ダメで、開戦直前に東条英機

昭和天皇に涙ながらに「アメリカと闘う事になりました」と報告した。

これで、楽に勝てるはずだった大東亜戦争が絶対に勝てない戦争に変わって

しまった。

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会話

自分信じてたが、それデマですから…(笑) NHKのドキュメンタリーですが 記録に基づいてます これもデマだと思うならお好きにどうぞ 二倍速・速さは調整して 🟥『御前会議』 太平洋戦争開戦はこうして決められた 現人神は『国際上どうかと思うが…まあ宜しい』答えた twitter.com/e14bxTHI8o9FHc

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
引用
 
 
秋月明
 
@sessyomaru1106
返信先: @sessyomaru1106さん、@e14bxTHI8o9FHc7さん、他3人
天皇陛下は議会で決まったことに判を押すだけだった。全てに判を押してこられた天皇陛下がこの戦争のときだけ非常に憂慮なさり、「どうしても開戦しなくてはならないのか。私が直接アメリカに飛んで交渉しても構わない」とまで仰った。
 
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