東京裁判のA級戦犯起訴の日

1946年4月29日の昭和天皇の誕生日に合わせるかのように、東条英機他27名合わせて28名がA級戦犯として起訴されました。
松岡洋右永野修身は裁判中に病死しています。
A級戦犯というのはアメリカのこじつけで本当は起訴された罪状自体が国際法違法だったのです。
そして1946年5月3日に裁判が始まりました。戦勝国側による一方的な裁判でした。
有罪も多くて7対4か6対5でした。無罪に投じた判事が多かったのです。
パール判事は全員無罪を主張しています。
1948年11月12日に結審しています。

正力松太郎はその手腕を買われてCIAにスカウトされてスパイになり途中で釈放されています。
正力松太郎は戦後の日本の新聞やテレビを通じて自虐史観を植え付けて、太平洋戦争史という本を発行してベストセラーにして3S政策などを行い、日本人を
スクリーン、スポーツ、セックスと言った手法を通して日本人を政治や経済から目をそらさせて
アメリカを日本人の憧れの国に仕立てていった。日本人をバカにするための方法だ。
未だに日本は東京裁判史観という自虐史観を信じていて学校やテレビや新聞も洗脳教育をしています。

1948年12月23日という当時の皇太子で後の平成天皇の誕生日に残った25名のうち東条英機以下7名が無実の罪で
絞首刑になりました。
東京裁判昭和天皇と皇太子の誕生日を以って幕を開けて幕を閉じたのです。
1948年12月24日に残った18名は釈放になりました。
東京裁判はハッキリ言ってこじ付けの罪状と当時は国際法にありもしなかった法律を持って来て戦勝国が敗戦国を一方的に理不尽に裁いた裁判だった。
後に多くの判事たちが「自分たちが間違っていた」と認めている。
あのマッカーサートルーマン大統領に対して「東京裁判は間違っていた」と告白している。
その他色々と理不尽な事もありましたが、割愛します。