天然塩は健康に凄く良いが、戦後に日本政府は塩田を禁止して、代わりに精製塩(食卓塩)を日本人に摂らせるようにした。天然塩はミネラルが豊富で、アメリカが日本人の活力を奪うために日本政府に圧力を掛けた。写真はたくさんありますが、2枚だけアップしました。赤穂の塩は日本で売っている貴重な天然塩です。伯方の塩は海外の天然塩に日本の海水を混ぜて、熱を加えてサラサラの塩にした分です。天然塩ではないが、天然塩に近いです。
兵庫県赤穂市。
近いのでいつでも行けるという思いから
つい行かずじまいになっていました。
赤穂がこのように色々と見処がある街
だったとは見落としていました。
赤穂城も思っていた以上に大きな城でした。
赤穂の礎を築いたのは秦河勝でした。
秦氏が築いた街と言えますね。
やがて塩田が栄え塩作りで栄えました。
私の故郷、広島県竹原市は江戸時代に赤穂から
塩田技術を導入し塩田で栄え、その富で蔵屋敷
が立ち並び今の美しい街並みが残っています。
赤穂も竹原も塩を運ぶ廻船で栄え、全国各地で
塩のことをタケハラと呼んでいた程です。
赤穂は浅野家ですが、幕藩体制で江戸時代から
広島県は浅野家が安芸藩主となり、竹原は安芸藩
に属しましたから赤穂の浅野家と親戚の広島の
浅野家との関係で私の故郷の広島県竹原市も塩田
で塩作りで栄えました。
本物の塩は美味しいし身体にも良いです。
しかし戦後、日本政府は塩田を廃止し天然の塩
を作らせないようにして人工の塩化ナトリウム
を食卓に流通させました。
何か不自然ですね。
天然の本物の塩を摂る機会が激減した日本人は
何か基礎体力や気力が衰えているような印象を
受けます。
本物の塩の大切さが再認識されている現在に
おいて、かつて塩田で栄えた赤穂が竹原と共に
偲ばれます。