tarobee8のブログ(戯言)

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偽ユダヤのシオニストのやり方(アメリカも日本も世界中が偽ユダヤによって闇支配されています)

 

遠藤 富貴子さんのフェイスブック投稿より

1.何故米国がWW1に参戦したのか 
https://www.nicovideo.jp/watch/sm21017373 
2.英仏露のドイツに対して企んだ陰謀と理由 
https://www.nicovideo.jp/watch/sm21017973 
3.ユダヤ人の正体とは? 
https://www.nicovideo.jp/watch/sm21399656 
ベンジャミン・H・フリードマン(Benjamin H.Freedman)は20世紀で最も興味深く、素晴らしい人物の一人です。
同氏は1890年生まれ。
ニューヨークで成功したユダヤ人実業家で、ウッドベリー石鹸会社の社長をしていたこともあります。
1945年にユダヤ共産主義者が勝利を収めた後、同氏はユダヤ組織と決別しました。
そして残りの人生を賭け、また、莫大な資産約250万ドル(当時の日本で9億円)を費やして、アメリカを支配するユダヤ人の権力構造を暴露しました。
フリードマン氏の証言は特に重要です。
それは彼が、アメリカの権力を得ようと企んでいるユダヤ組織の中で、トップレベルの当事者であったからです。
フリードマン氏は、バーナード・バルーク、サミュエル・アンターマイヤー、ウッドロウ・ウィルソンフランクリン・ルーズベルト、ジョセフ・ケネディジョン・F・ケネディなど、時代を動かしていた人々と個人的に知り合いでした。
このスピーチは1961年にワシントンのウィラード・ホテルで愛国的な聴衆に向かい、
コンデ・マギンリーの愛国的新聞「コモン・センス」のために行われました。
フリードマン氏のメッセージは欧米への警告であり、状況は以前にも増して緊迫してきています。
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ここアメリカで、シオニストたちはアメリカ政府への支配を完成しました。
その理由について踏み込むには余りにも複雑すぎますが、彼らは既に絶対的君主のようにアメリカを支配しています。
こんなことを言うと、えらく大まかな話だと思われるでしょうが、私たちが眠り込んでいるうちに何があったかをお話させてください。
何が起きたのでしょうか?
第一次世界大戦は1914年夏に勃発しました。
この会場には私と同年代でそれを覚えている人はあまりいないでしょう。
戦争は、イギリス、フランスとロシア 対 ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国とトルコによって繰り広げられました。
開戦後2年で、ドイツは戦争に勝利を収めました。
名目上勝っただけではなく、実質的にも勝利を収めたのです。
世界の驚愕の的となったドイツの潜水艦は大西洋から船団を一掃しました。
イギリスは兵士に与える弾薬もなく、食糧補給も1週間分しか残っておらず、立ち往生していました。
その後、飢餓に苦しみます。
当時フランス軍には反乱が起こっていました。
ソンム地方のベルダンの守備戦でフランスの若者の命が60万も失われました。
ロシア軍は逃亡していました。
おもちゃのような武器を持って家に帰ろうとしていました。
ロシア兵はもはや、戦争ごっこなどしたくなかったのです。
彼らは皇帝が嫌いでした。
イタリア軍は崩壊していました。
ドイツの国土には一発の弾丸も打ち込まれていませんでした。
国境を越えてドイツに入った兵士は一人もいませんでした。
ドイツはイギリスに和平条項を持ちかけていました。
ドイツがイギリスに対して示した和平の交渉は、旧状を保持するというものでした。
これは、「戦争を止めて、すべてを戦争前の状態に戻そう」ということです。
イギリスは1916年夏にはこの申し出を真剣に検討していました。
他に選択肢がありませんでした。
ドイツの寛大な和平交渉を受け入れるか、もしくは、完全に敗北している戦争を継続するか、どちらかでした。
和平交渉が進んでいる中、ドイツのシオニストたちは、東ヨーロッパのシオニストたちを代表して、イギリス戦争内閣を訪問しました。
この話は長くなるので端折りますが、私は、私の話を証明できる文書を全部残してあります。
シオニストは言いました。
「ちょっと待ってください。イギリスはこの戦争にまだ勝つことができます。あきらめる必要はありません。今、ドイツが提案している和平交渉を受け入れる必要はありません。アメリカ合衆国が同盟軍として参戦すれば、あなたたちは勝てます。」
当時アメリカは参戦していませんでした。
アメリカは元気で、若く、お金もあり、強かったのです。
シオニストはイギリスに言いました。
「イギリスの同盟国としてアメリカを参戦させ、あなたたちの側で戦わせることを保証しましょう。条件は、勝利の後に「パレスチナを我々に与える。」と約束してもらうことです。」
シオニストたちは次のような取引をしました。
アメリカを同盟国として参戦させる。その代わり勝利を収めたら、その代償として、パレスチナを差し出さなければならない。」
パレスチナについて、イギリスが誰かに約束できるような権利はありません。
例えて言うと、アメリカが日本に対してアイルランドを約束するようなものです。
イギリスには、パレスチナに対して利害も権利も全くありませんでした。
そのイギリスが、シオニストアメリカを参戦させる見返りとしてパレスチナを提供する。
そんなことは、まったく不条理です!
しかし、イギリスは1916年10月、そのような約束をしたのです。
皆さんの中で覚えておられる方が何人いるか分かりませんが、その後すぐ、アメリカはそれまで親ドイツであったにもかかわらず、イギリスの同盟国として参戦したのです。
アメリカの新聞はユダヤ人が支配していましたし、銀行も、マスコミ媒体もすべてユダヤ人が支配していました。
そのユダヤ人はみんな親ドイツでした。
ユダヤ人がドイツを支持したのは、彼らの多くがドイツ出身で、それに加えて、ユダヤ人はドイツがロシアの皇帝を負かすところを見たかったからです。
ユダヤ人はロシア皇帝が嫌いで、戦争に勝たせたくありませんでした。
アメリカのクーン・ローブなど、ドイツ-ユダヤ系の銀行家たちは、フランスやイギリスに1ドルたりともお金を出すことを拒んでいました。
傍観して次のように言っていました。
「フランスとイギリスがロシアと組んでいる以上、1セントも出せない!」と。
そして、ユダヤ人銀行家たちはドイツにお金をつぎ込んでいました。
ロシア帝政体制を倒すために、ドイツ側についてロシアと戦っていたのです。
それが、それがですよ、同じユダヤ人たちが、今度はパレスチナを手に入れられる可能性が見えたといって、イギリスに行き、このような取引をしたのです。
そのとき、すべてが変わりました。
交通信号が赤から青に変わったようにです。
新聞は全部ドイツ支持で、国民に対してはいろいろな商業メディアでドイツを応援していたのに、それが、突然ドイツが悪いと言い出しました。
ドイツは悪党だ。ドイツは野蛮なフン族だ。
ドイツは赤十字の看護婦を銃撃している。
ドイツ人が赤ん坊の手を切断している。
ドイツは悪だ。
その後すぐ、ウィルソン大統領はドイツに宣戦布告しました。
ロンドンにいるシオニストアメリカの合衆国最高裁判所判事ブランダイス(ユダヤ人)に電報を打っています。
「ウィルソン大統領に取り掛かってくれ。我々の望みのものはイギリスから手に入れた。ウィルソン大統領がアメリカを参戦させるように動いてくれ。」
これがアメリカが第一次大戦に参戦した経緯です。
アメリカは大戦に対して利害関係はありませんでした。
アメリカが第一次大戦に参戦する正当な理由など全くありませんでした。
私たちは騙されて引き込まれたのです。
ただ、シオニストたちがパレスチナを手に入れるためだけに……。
合衆国国民は何も知らされていません。
アメリカが第一次大戦に参戦した理由を全く知りません。
アメリカが参戦した後、シオニストはイギリスを訪れ、次のように言いました。
「我々はアメリカの参戦を実現しました。約束通り、戦争に勝利した後、パレスチナを我々に与えると書いた証明を何らかの形でください。」
戦争は1年で終わるか、もしくは10年続くか分かりませんでした。
そこで、イギリスは承諾書を作りました。
この承諾書は手紙の形をとりました。
この手紙は非常にあいまいな暗号のようで、世界の大部分はその意味が分かりませんでした。
これが、「バルフォア宣言」と呼ばれるものです。
バルフォア宣言」はイギリスの約束に過ぎません。
アメリカを第一次大戦に参戦させた報酬としてシオニストに合意したものを支払うという約束。
だから、この偉大な「バルフォア宣言」は3ドル札が実在しないように全くのペテンです。
この話に、誇張は全くありません。
これが厄介な問題の始まりでした。
アメリカ合衆国は参戦した。
アメリカはドイツを破った。そうなりましたよね。
1919年に戦争が終わり、ドイツ側がパリ講和会議のためパリに行きました。
そこには117人のユダヤ人がいました。
バーナード・バルークを代表としたユダヤ人代表団でした。
私はその一員でした。
それからどうなったでしょうか?
講和会議で、領有を主張するすべての国々にドイツを切り刻んで分配しようとしていたのですが、そこに参加したユダヤ人たちは「我々のパレスチナはどうなるの?」と言いました。
ドイツ人には初耳となるこの「バルフォア宣言」を提示しました。
ドイツ人は初めて気がつきました。
「そうか、汚い取引だった! アメリカが参戦した理由はこれだったのか!」
ドイツ人は初めて認識しました。
自分たちが敗北し、恐ろしい金額の賠償金を課せられたのは、「シオニストパレスチナを手に入れる為の策略だった。」と。
興味深いことがあります。
ドイツ人がこれに気づいた時、当然憤慨しました。
それまでドイツに居たユダヤ人は、世界のどこの国でも受けられないほどのいい暮らしを享受していました。
ドイツのラーテナウ氏は、アメリカの産業や金融界を占めているバーナード・バルークより、ずっとずっと100倍も重要な人ではないかと思います。
バリン氏は2つの汽船航路、北ドイツ-ロイド航路とハンブルグアメリカ航路を所有していました。
ライヒレーダー氏はホーヘンゾレン一族のための銀行家でした。
ハンブルグのウォーバーグ氏は世界最大の商業銀行家でした。
ドイツでユダヤ人は繁栄を享受していました。
これは間違いありません。
そこで、ドイツ人は「これは完全な裏切りだ。」と感じました。
この裏切りは、こうたとえてみるとよく理解できるでしょう。
アメリカがソ連と戦争をしているとします。
アメリカが勝っている。
そして、アメリカはソ連に次のように言います。
「さあ、もう戦争を止めましょう。和平条項を結びましょう。これまでのいきさつはすべて水に流しましょう。」
そこへ、突然、中国がソ連の同盟国として参戦してきます。
この中国の参戦によって、アメリカは敗戦に追い込まれます。
惨敗で、賠償金は人間が想像できないような額で、一国が支払い切れないような額です。
そこで、この敗戦の後に、次のようなことに気がついたとしたら……。
アメリカにいる中国人、中国系市民が敗戦の原因だった。
中国系市民はアメリカ人と一緒に仲間として暮らしてきたと思っていたのに、実は、彼らはアメリカをソ連に売り、彼らを通して、中国が対アメリカ戦争に参戦した。
想像できますか?
アメリカは、彼らに対してどんな気持ちになるでしょうか。
裏切った中国人が顔をさらして通りを歩けるとは思えません。
私たちがどんな気持ちになるか想像してみてください。
そうです、これこそがドイツ人がユダヤ人に対して感じたことです。
ドイツ人はユダヤ人に大変良くしていました。
1905年にロシアで最初の共産主義革命が失敗した後、ユダヤ人たちはロシアから急いで逃げなければなりませんでした。
ユダヤ人たちは皆ドイツに向かいました。
ドイツはユダヤ人を受け入れ、非常に親切に扱いました。
それなのに、ユダヤ人は「ユダヤ国家」としてパレスチナが欲しかった為に、ドイツを売り、川の中に投げ込んでしまいました。
今日、シオニズム関係の本に出てくる、ナホム・ソコロウや偉大な指導者、有名人たちは1919年から1923年の間に全ての論文を書き、新聞は彼らの声明文で埋め尽くされていました。
ドイツのユダヤ人に対する反感は、「アメリカ参戦の仲立ちをしたユダヤ人によって、ドイツが敗戦したと気が付いた」からです。
ユダヤ人自身がそれを認めていました。
ドイツ人は、1919年になって初めて、ユダヤ人に対する悪感情を持ちました。
すべて政治的なもの、経済的なものでした。
決して宗教的ではありませんでした。
ユダヤ人が帰宅し、幕屋を降ろし「イスラエルよ、聞け」だとか「わが父よ」と言おうが、ドイツ人は誰も気にしていませんでした。
アメリカで彼らが気にする程ドイツでは誰も気にしていませんでした。
ドイツで広まった悪感情の原因はたった一つ。
ドイツの惨敗がユダヤ人のせいであると認識したことです。
また、第一次大戦の開戦自体が、ドイツの責任ではありませんでした。
あるとすれば、ドイツが成功していたことでしょう。
ドイツは大艦隊を建造しました。
世界貿易を始めました。
フランス革命の時、ドイツは300ものばらばらな小国の集まりに過ぎませんでした。
それがナポレオンからビスマルクの時代に1つに統合されました。
そしてたった50年で世界一の強国となりました。
ドイツ海軍はイギリス海軍と張り合うようになり、彼らは世界中でビジネスをし、彼らは誰より安く販売し、誰よりも良い製品を作る事ができました……。
その結果何が起こったのでしょうか?
イギリス、フランスとロシアは、ドイツを引き摺り下ろそうと考え始めました。
この3国がドイツを地図上から抹消しようとした正当な理由を示せる歴史家が、世界に何人いるでしょうか?
ただの 一人もいないでしょう。
ユダヤ人に敗戦の責任があると気づいたとき、当然、ドイツ人は恨みました。
それでも、ユダヤ人は髪の毛一本でさえ傷つけられていませんでした。
一本もです。
ジョージタウン大学のタンシル教授は、国務省の機密書類を全部読み、次のように本に書いています。
コーデル・ハルが1933年にヒューゴ・スコーンフェルトというユダヤ人をヨーロッパに派遣し政治犯の収容所を調査させました。
スコーンフェルトは国務省に「政治犯は非常に良い状態である。体調もよく、皆がよい待遇を受けている。収容所は共産主義者で一杯である。」と報告しております。
収容所にいたほとんどの人がユダヤ人でした。
というのは、当時ヨーロッパの共産主義者の98%がユダヤ人でした。
牧師や聖職者、労働運動指導者、メーソン、国際的団体に加入していた者もいました。
ユダヤ人はこの事実を覆い隠そうとしました。
自分たちがドイツを裏切ったことを、世界の人々に知らせたくありませんでした。
ドイツ人はそのことに怒りを覚えました。
ドイツ人たちはユダヤ人に対してしかるべき行動をとりました。
ドイツ人は、そうです、それが可能な場所ではどこでも、ユダヤ人を差別するようになりました。
ユダヤ人を敬遠しました。
ちょうど、中国人、黒人、カトリック教徒など、アメリカにいてアメリカを敵に売り渡し、敗戦をもたらすような人たちを、アメリカ人が避けるようなものです。
1933年7月世界中の国からユダヤ人がアムステルダムに集まり会議を開きました。
会議では、ドイツに対して、
ヒトラーを辞めさせろ。すべてのユダヤ人を元の地位に戻せ。共産主義者であろうが、どんな人であろうがユダヤ人全部だ。ユダヤ人をこんなふうに扱っていいのか。我々世界中のユダヤ人は、あなたたちドイツ人に最終通告をする。」
ドイツ人がどのような返事をしたか想像できますか? 
そして、ユダヤ人が何をしたか?
背景を時系列で述べましょう。
1917年、共産主義者が数日間ドイツ・バイエルンを占領しました。
ローザ・ルクセンブルグ、カール・リープクネヒトなどユダヤ人のグループが3日間政府を乗っ取りました。
実際、カイザー(皇帝)は戦争が終わってからオランダに避難していました。
共産主義者がドイツを乗っ取り、皆殺しにあったロシア皇帝と同じ運命が待っていると思っていたからです。
だから、安全を確保するためにオランダに逃げていました。
ドイツでの共産主義者の脅威が鎮圧された後でも、ユダヤ人はまだ活動を続けていて、以前の立場を取り戻そうとしていました。
ドイツ人は出来る限りの方法でユダヤ人と戦っていました。
それでも、ドイツ人はユダヤ人の髪の毛一本たりとも傷付けることはありませんでした。
それは、ちょうどアメリカで禁酒主義者がお酒に興味を持つ人々と戦っていたのと同じようなものでした。
ドイツ人とユダヤ人がピストルで戦うことはありませんでした。
これがドイツ人がユダヤ人と戦ったやり方でした。
当時、8千万から9千万人のドイツ人に対してユダヤ人はたった46万人、0.5%以下でした。
それでも、ユダヤ人はすべての報道機関を支配しており、経済の大部分を支配していました。
それは何故かというと、ユダヤ人はマルクが切り下げになった時、安いお金を持ち込んで、実質的にすべてのものを買い占めていたからです。
1933年、ドイツはアムステルダムの世界ユダヤ会議に降伏することを拒否しました。
アメリカの代表であり、会議全体の議長でもあったサミュエル・アンターマイヤー氏はアメリカに帰ってきました。
同氏は、汽船から降りるとABCのスタジオに直行して、アメリカ全土に向かってラジオ放送を行いました。
「世界中のユダヤ人はドイツに対して、今、聖戦を宣言します。我々は今、ドイツ人に対して聖なる戦いを行っています。そして、ドイツが降伏するまで、ドイツを飢えさせてやりましょう。ドイツは輸出に依存していますから、ボイコットすればドイツはつぶれるでしょう。」
ドイツの食糧の2/3は輸入されていました。
この輸入は、輸出で得た利益だけに頼るものでした。
だから、ドイツが輸出できないとなると、ドイツ人の2/3が飢えることになります。
ドイツには人口の1/3を養うだけしか食糧がありませんでした。
その聖戦宣言を私は今ここに持っています。
1933年8月7日ニューヨーク・タイムズの記事です。
アンターマイヤー氏は次のようにはっきりと言い放ったのです。
「この経済ボイコットは我々の自衛手段であります。ルーズベルト大統領もこれを支持しています。」
覚えておられる方もあるでしょうが、当時、国家復興政府では、ニューディールによって決められた規則に従わない、もしくは最高裁判所憲法違反と宣告されない限り、誰もボイコットできなかったのです。
それにもかかわらず、国際ユダヤ人たちはドイツに対してボイコットを宣言したのです。
ボイコットは大変効果があり、「ドイツ製」と書かれた製品は世界中のどこの店でもひとつも見つけられない程でした。
実際、私がウールワース株式会社の重役から聞いた話では、同社は数百万ドル相当の陶器やお皿を川に投げ捨て、お客が一皿でも「ドイツ製」の文字を見つけたら、その店はボイコットされたそうです。
南部では、店の前で、「ヒトラー」「殺人者」などのプラカードを持った人たちがピケを張り、座り込みデモのようなことがあったのです。
シュトラウスというユダヤ人が経営していたR.H.メイシーのチェーン店で、ある女性が、「ドイツ製」の印があるケムニッツ産のストッキングを見つけました。
それは綿のストッキングで、20年以上前からその店にあったかもしれません。
私は長年女性の脚を観察してきましたが、綿のストッキングを見たことがありませんでした。
私はメイシーのボイコットを目撃しました。「殺人者」「ヒトラー主義者」などのプラカードを掲げて、何百人もの人が店の周りを行進したのです。
しかし、こんなことが行われている時でも、ドイツでは、ユダヤ人の髪の毛一本さえも傷つけられていませんでした。
苦痛も、飢餓も、殺人も、何もありませんでした。
ドイツ人なら当然次のように言うでしょう。
「我々に対してボイコットを宣言して、ドイツ国民を全部失業に追いやり、ドイツ産業を行き詰まらせたのは、誰なんだ?」
ドイツ人は当然ながら恨みを持ちました。
ユダヤ人の店にカギ十字の落書きをしました。
ドイツ人なら、どうして、自分たちの国を飢えさせ、ボイコットをする国際ユダヤ人たちの店に行き、お金を払うべきでしょうか?
そのユダヤ人たちがドイツの首相を誰にするかまで指図しようとしているのです。
そうでしょ、おかしいでしょ。
ボイコットは1938年までしばらくの間続きました。
1938年、ポーランド出身のユダヤ人の若者がパリのドイツ大使館に入り込みドイツ職員を銃撃するという事件が起こりました。
この事件こそがドイツ人がドイツのユダヤ人に乱暴な扱いをする発端となりました。
みなさんご存知でしょう。
窓ガラスを割ったり、街頭闘争などが起こりました。
「私は「反セム主義」という言葉が嫌いだ」と言う人がいます。
しかし、私はこの言葉を使わざるを得ません。
ドイツの反ユダヤ感情のたった一つの理由は、ユダヤ人に責任があったのです。
第1が第一次世界大戦、第2は世界規模のボイコットです。
最後に、ユダヤ人は第二次世界大戦にも関わっています。
状況が収拾のつかないところまで行き、ユダヤ人とドイツは戦争で角を突き合わせて、どちらが勝つか決める必要があったのです。
私はドイツで暮らしたことがあります。
当時、ドイツ人はヨーロッパがキリスト教でゆくのか共産主義になるのかを決めなければなりませんでした。
ドイツ人は可能ならキリスト教徒のままでいようと決めていました。
それで、再軍備を開始しました。
1933年11月、アメリカ合衆国ソ連を認知しました。
ソ連はたいへん強くなってきていました。
ドイツは「我々が強くならなければ、すぐに侵略される」と気付きました。
同じことが、今のアメリカでも言えますね。
「我々が強くなければ、すぐに我々の番が回ってくる。」
アメリカ政府は防衛費に830~840億ドル(当時の日本で約30兆円)もの血税を支出しています。
誰に対しての防衛ですか?
ロシアを支配しているモスクワの僅か4万人のユダヤ人に対する防衛ですよ。
そして、彼らはずるいやり方で、世界の多くの国々の支配権を乗っ取っているのです。
というのは、現在、アメリカは第三次世界大戦勃発の危機にあります。
そして、我々はその戦争の勝者になれないかもしれません。
こんなふうに想像すると動揺します。
核爆弾はメガトンという単位が使われます。
1メガトンはTNT火薬相当で100万トンになります。
アメリカの核爆弾は、開発当時、10メガトンつまりTNT火薬では1千万トンでした。
現在は200メガトンのものが開発されています。
ソ連が何メガトンの核爆弾を持っているか誰にも分かりません。
我々が、今、直面しているのはいったい何か?
核戦争につながる世界大戦の引き金を引けば、人類はおしまいです。
終戦争は起こるのでしょうか?
それは第三幕が切って落とされる時です。
第一幕は第一次世界大戦、第二幕は第二次世界大戦、第三幕は第三次世界大戦です。
国際ユダヤ人、シオニストそして世界中のユダヤ教信仰者たちは、再びアメリカを使って、パレスチナを永久に自分たちのものとして確保し、彼らの世界政府の足がかりとしたいのです。
それは、今ここに、私が立っている、それと同じように確かなことです。
私だけでなく、ここにおいでの多くの方も読み取っておられるでしょうし、世界中で知られていることです。
私たちはどうしたらよいのでしょうか?
あなたの息子の人生が左右されます。
あなたの息子達が今夜にでもその戦争に行くかもしれません。
皆さんはご存知でしょう、1916年にロンドンでシオニストたちがイギリス戦時政府と取引をして、あなたたちの息子をヨーロッパ戦線に行かせたことを……。
果たして、1916年当時にそのことを分かっていましたか? 
アメリカ人で分かっていた人は一人もいなかったでしょう。
それを知ることが許されていなかったじゃないですか。
ウィルソン大統領は知っていました。
ハウス大佐も知っていました。
インサイダーも知っていました。
私はどうかって?
分かっていました。
ウィルソン大統領が選ばれた1912年の選挙キャンペーン当時、私はヘンリー・モーゲンソー卿の連絡係でした。
その事務所ではいろいろな話がありました。
私はフランス委員会の議長であったモーゲンソー卿の「信頼できる男」でした。
また、私はモーゲンソー卿と会計係ロロ・ウェルズとの連絡係でもありました。
だから、私はウィルソン大統領と一緒の会議に出ていました。
私や他の参加者は、ウィルソン大統領の脳みそに、増税や、後に連邦準備制度となるものを叩き込んだり、シオニスト運動を吹き込むのを聞いていました。
ブランダイス最高裁判所判事とウィルソン大統領はこの手の2つの指の様に親しい関係でした。
ウィルソン大統領は、赤ん坊のように無力でした。
こうして、皆が眠っている最中に、彼らがアメリカを第一次世界大戦に参戦させたのです。
彼らは、我々の息子たちを殺すためにそこへ行かせました。
何のために?
ユダヤ人の「祖国」としてパレスチナを手に入れるためです。
彼らはアメリカを騙し続け、みなさんはアメリカがどこに向かっているのか、分からないのです。
裁判官は陪審員に向かって、「陪審員のみなさん。嘘を一つでも言っていると思う証人に対しては、その証人の証言すべてを無視することができます。」と宣言します。
みなさん方がどの州からいらっしゃったのかは分かりませんが、ニューヨーク州では裁判官が陪審員にそのように宣言します。
「もし証人が一つでも嘘を言っているのなら、その証言を無視しなさい。」
ユダヤ人」について何が真実でしょうか? 
私は皆さんに「ユダヤ人」という言い方をします。
彼らは「ユダヤ人」と呼ばれています。
でも、私は「ユダヤ人」とは呼びません。
「いわゆるユダヤ人」と呼びます。
それは、彼らが誰であるかを知っているからです。
「東欧のユダヤ人」は、世界中の「ユダヤ人」と呼ばれる人々の92%を占めていますが、彼らの出自はカザール人です。
カザール人はアジアの真ん中に住んでいた好戦的な種族です。
あまりにも好戦的なため、アジアから東欧に追いやられました。
カザール人は200万平方キロ(日本の約5~6倍)という広大なカザール王国を打ち立てました。
当時、ロシアはありませんでしたし、他のヨーロッパ諸国もほとんどが存在していませんでした。
カザール王国はヨーロッパ全土でも最大の国でした。
他の国の君主が戦争をしようとするとき、カザールはそれらの王に4万人の兵士を貸し出したといわれているほど強大な国でした。
カザールは男根崇拝の民でした。
汚らわしいことで、今は、詳細に触れたくありません。
野蛮人は世界中のあちこちに存在していました。
カザールの王は自分の国の堕落がいやになり、いわゆる一神教を導入しようと決意します。
キリスト教イスラム、現在ユダヤ教と呼ばれているもの(実際はタルムード主義ですが)、どれでもよかったのです。
「どちらにしようかな」と叫びながら、コマを回して、王はいわゆるユダヤ教を選びました。
ユダヤ教は国教となりました。
王はパンベディータやスラのタルムード学校に80万人を派遣し、数千人のラビを招聘し、シナゴーグ(会堂)や学校を開設しました。
そうして2千万人程の国民は、「いわゆるユダヤ人」になったのです。
カザール人は、誰一人として聖地エルサレムの土地を踏んでいません。
旧約聖書の時代は勿論、天地創造まで遡っても一人もいません!
にもかかわらず、「ユダヤ人」はキリスト教徒のところにきて、パレスチナ紛争でイスラエルを支援するように要求しています。
キリスト教徒は神に選ばれた民を約束の地に送還したいでしょう。祖先の土地にですよ。それはキリスト教徒の義務ですよ。我々は息子の一人をキリスト教徒の救世主として与えたではないですか。キリスト教徒は日曜日に教会に行って、一人のユダヤ人に跪き祈るじゃありませんか。我々はそのユダヤ人なのですよ。」
しかし、彼らは改宗した異教徒のカザール人です。
カザール人が自分たちを「聖地の民」と呼ぶのはとてもおかしなことです。
それは、5400万人の中国のイスラム教徒を
「アラブ」と呼ぶようなものです。
モハメッドは西暦640年に亡くなりました。
その後、5400万人の中国人がイスラム教を受け入れました。
考えて見てください。
メッカとモハメッドの生地アラビアから3千キロも離れた中国ですよ。
そこで5400万人の中国人が自分たちを「アラブ」と呼ぶことにしたら狂気以外の何ものでも無いでしょう。
この5400万人の中国人がアラブだなんて信じる人は気が狂っています。
彼らはアラビアのメッカ発祥の信仰を宗教として受け入れただけです。
同じことがアイルランド人にも言えます。
アイルランド人がキリスト教徒になったとしても、新しい住民として聖地エルサレムに送り届けようとはしないでしょう。
アイルランド人が別の人種になった訳ではありません。
同じ人種のままで、ただ、キリスト教を宗教として受け入れただけです。
異教徒、アジア人、トルコ、フィンランドはモンゴル人種でアジアを追い出されて東欧に来ました。
彼らの王はタルムード信仰を選びました。
カザール人に他の選択肢はありませんでした。
スペインでも同じことがありました。
王がカトリック教徒であれば、国民はすべてカトリック教徒にならなければなりませんでした。
カトリック教徒でないなら、スペインを追い出されます。
このようにして、カザール人が今日の「ユダヤ人」になったのです。
さて、世界中で最大のキリスト教アメリカ合衆国が「我々の力と威信にかけて神の選民「ユダヤ人」を約束の地である先祖の土地へ送還しよう。」と言うのはばかげています。
これほど大きな嘘があるでしょうか?
しかし、彼らは新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、出版界を支配しています。
説教壇の聖職者もいます。
政治家も同じことを言うので、その嘘をアメリカ国民が信じるのは驚くべきことではありません。
何度も何度も聞かされていれば、黒も白と信じるようになるでしょう。
もはや黒を黒と言わないようになり、黒を白と言い出すのです。
誰もそれを非難しません。
歴史的大嘘です。
これこそが世界の惨事の根源です。
皆さんはユダヤ人がキリストの贖罪の日に何をするか知っていますか。
皆さんは神聖なことのように思っているようです。
私もユダヤ人でした。
だからこれは聞き伝えではありません。
私は、民衆扇動家としてここに立っているのではありません。
皆さんに真実を伝えるためにここにいます。
キリストの贖罪の日にシナゴーグ(会堂)に行き、最初にコル・ニドル(すべての誓い)という短い祈りを三回唱えます。
この祈りのなかで、全能の神と契約を交わします。
その契約は、これからの一年間で交わす誓約、公約は全く無効であるとするものです。
誓約は誓約ではなく、誓いは誓いではなく、公約は公約ではなくなります。
それらは全く効力も何もないとされます。
さらに、タルムードの教えでは、あなた方との誓約、誓いや公約はキリストの贖罪の日に唱えるコル・ニドルを思い出して、誓約、誓いや公約の実行を反故にするのです。
どうです、皆さん、ユダヤ人の誠実さにどれだけ信頼をおけますか?
ドイツ人が1916年に信頼した程度にはできるかもしれません。
しかしそれは、ドイツが味わった悲惨な運命をアメリカも味わうことを意味します。