tarobee8のブログ(戯言)

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文部科学省の認定ではない本物の教師です

両親か教師で、母親から教師にだけはならないでと懇願されて、敢えて教師にならず。でも文部科学省認定の教師でない本物の教師です。
木村 正治さんのフェイスブック投稿より

私の両親は小学校の教師でした。
母は私を生んだ半年後に退職し、
父は47歳の若さで教頭になり
ました。
地方でしたし教師家庭で育った
私はやはり子供心に学校教師に
なりたいと思った時期もありました。
しかし特に母が
「無茶苦茶な世界だから教師にだけは
ならないで欲しい。」
と私に言い続けました。
父はよく仕事を家に持ち帰り、当時はまだ
パソコンも無い時代でしたから居間や台所で
教材作りや書類作成などを煙草を吹かしながら
時に明け方近くまでしていた事を覚えています。
同志社大学に進学した私は社会科の中学校教職員
免許を取る過程を選ぼうかとも思いましたが
母から何度も何度も言われた
「教師にだけはならないで欲しい。」
という言葉が胸中に響き教職員免許を取得する
単位選択をしませんでした。
こうして今、現実に適応できない学校社会の
姿を見ていると、母が何度も何度も私に言い続けた
通りに「教師にだけはならないで」正解だったと
感じます。
私の真っ直ぐな気質なら特に社会科教師なら
間違いなく教壇で学習指導要領以外の内容を
白熱して語り、間違いなく自虐史観に固まっている
教育委員会から呼ばれ間違いなく衝突していた
事でしょう。
そこで私は潰されていたか弾かれていたかも
知れませんね。
先日、私の講演会に参加した高校生が私の講演を
聴いてスイッチが入ったようになり色々と自分から
調べたり本を読むようになったと母親が喜んで
いました。
その高校生は常日頃から
「尊敬できる大人がいない。」
と失望していて高校生生活も身が入らず担任の
女性教師にも担任失格を直言するなどして保護者
との三者面談では女性教師が泣き出すような展開
にもなっていたそうですが、私の講演会に参加して
「いい大人もいる。」
と言い始めたようで見違えるように自分から
学び始めたと母親が言ってきました。
振り返れば私は母親からの言葉もあり教師には
ならないという選択をしましたが、気が付けば今は
各地で招かれて講演会を主催して頂いている自分
がいます。
その時間の中で若者にもし、私の話がきっかけで
何かのスイッチを入れる事になっていたならば
光栄ですね。
教師の家庭に生まれ育ち、教師だった母親から
教師にだけはならないでくれと言われ、いつしか
様々な道を経て講演会に招かれているというのも
何か姿形を変えてできた道のりかも知れません。
1つ1つの場面を重ねながら自分の物語を
紡いでいければ幸いですね。