昔、高校生の時に数学の教師の教え方が悪くて数学が苦痛だった。それを聞いた両親は何を思ったのか、心理カウンセリングを東京で開業している医師の処に数学が出来るようにとお願いに行った。父が頼みに行ったが、私は嫌だと断った。が、父は「わしの顔を立ててくれ。頼むから行ってくれ」と懇願するもんだから、渋々行った。母が同伴した。そしたら催眠療法のはずが、精神薬の新薬の実験台にされて、眠い眠い。夏休みの終わりに酷い強迫観念と被害妄想が現れて往生した。向精神薬の副作用だ。精神科に受診したら、無理やりに入院させられて注射1発で治った。が、退院させてくれないで、延々と薬漬けにさせられた。この時にすぐに退院させてくれていれば薬漬けにされずに済んでいた。何とか無理を言って退院したが、薬を絶とうと通院を止めたら、高校の卒業式前に別の病院からお迎えに来た。上手く騙されて睡眠薬を注射されて連れて行かれた。両親とも頼んでいないのにだ。それから、両親とも頼んでいないのに入退院の繰り返しになった。それも薬のせいでこうなったので、薬を絶とうと通院を止めると必ず別の病院からお迎えが来る。そしてまた薬漬け。ある日この負のスパイラルから脱すべく、精神科の病院とはケンカして決別をした。これが功を奏して社会復帰出来た。あの時にケンカしてまでして別れなければ永久に入退院の繰り返しで人生は失われていただろう。とにかく精神科の病院は酷い所だった。人間扱いしてくれない。精神薬を止めて離脱症状が出たら精神病扱いだ。今は精神的にも肉体的にもとっても健康状態がいいです。精神薬を上手く止める方法が分かった。仕事もちゃんとしています。大学は広島学院の中学3年の時の担任の個人的な感情による酷い内申書の所見で私は、テロリスト扱いになっていて、公立高校には拒否された。広島市の教育委員会が文部省にチクって私は文部省のブラックリストに載って大学の入試さえも拒否され続けられた。滑り止めで入った高校は卒業しているので、それで、裏を突いて看護学校に親戚の病陰に勤務しながら通って正看護師になれた。そして看護師として人の何倍も働いていた。管理職にもなった。が、母の事情で定年の遥か前に看護師を辞めて今は別の仕事をしています。あの時に精神科の病院と決別していて本当に良かった。精神科には下手に受診したらいけませんよ。社会的に殺されます。あの時に私たちを騙して向精神薬を飲ませた医師はその後他にも私と同じような被害者が現れて、訴訟を恐れてトンずらしたそうだ。行方不明になったそうだ。父の話によると。私は裁判に訴えるつもりでいたが、父が兄や妹や弟の将来に関わるから止めてくれと懇願するのであきらめた。が、決して許していない。あの時の経験と看護師を長年やってきた経験からコロナワクチンはヤバいと直感して1回目のクーポン券が着た時に拒否した。だから命が助かった。母親の懇願で変な病院を辞めて母の仕事の代理をしていたので、今は医療機関には勤務していない。現役の医療従事者は強制的にコロナワクチン接種で死亡する人もいる。あの時に母が必死で私に懇願したので命拾いをした。父は私に悪い事をしたとその後後悔していた。そして病気のために無念の死を遂げた。今では祖父と一緒に私の守護霊になって私を守ってくれているそうだ。母は認知症になり、私が多々t1人で介護をしてきて、誰も協力のきょの字もなかった。母の仕事の代理と、賃貸物件の経営や管理や庭仕事や野良仕事も私がしてきて、母の膨大な財産もすべて把握していたが、成人後見人を立てると都合のいい事よりも都合の悪い事が多いので、敢えて成人後見人は立てず。母はどうしても認知症の専門病院に一緒に行ってくれず。どんどん症状が進行した。賃貸物件の管理や経営は大変で、兄は要る事はせずに要らん事ばっかりしては忙しい私を更に忙しくしてくれただけ。このままでは母と私は共倒れになるからと、2014年5月14日の母の通院していた病院の定期の受診日なので、前日に入院セットを用意しておいて、受診日に母は私にすがって歩くのが精いっぱい。主治医に入院をお願いしたら引き受けてもらえた。その代わり、重度の認知症の母を受け入れてくれる病院や施設を主治医とケースワーカーと相談しながら探して面会もして、ナカムラ病院と言う認知症の専門病院に2014年6月4日に入院させてもらう事が出来た。私だけが色々としていたので、説明も何もかも私がして、好感度を得た。でも兄と妹は人目があるようになったものだから、急に取ってつけたように親孝行気取りのパフォーマンスを始めた。私の事を散々使用人扱いしておいて、私が精神科に入院歴があるもんだから散々バカにしておいて、私がやって来た事も全て兄がやってきたかのように病院や親戚や兄の勤務先の学校の生徒や同僚や兄の趣味の剣道の生徒や同僚たちに大嘘をついて大ウソで塗り固めていた。頭がおかしいのは兄や妹の方だ。私はやる事がたくさんあるので、週に2,3度病院に言っては面会と母の爪切りは凄く難しいので病院はやってくれないので、私が手の爪切りと足の爪削りをずっとして来ました。そして母の食べこぼしの酷い衣類の洗濯も私がやってきました。
2019年1月に病棟はインフルエンザで閉鎖中でしたが、連絡があり行くと、母は意識がなくて腎機能が悪化していて、昏睡状態。延命治療はしないと入院時に約束していたので必要最低限の治療。内科に転棟して治療を受けていたが、2019年4月29日にもうダメだと分かり、お別れの挨拶をして帰宅した。翌日母は亡くなった。自宅で葬式をするものと思っていて奇麗にしていた庭を更に奇麗にしていて母の臨終に間に合わなかった。その後、令和の連休が明けて私は色々な手続で大忙し。母の死は内緒にしておいて、税理士さんと色々と相談してきた。色々な手続も全て私がしてきた。遺産分割も私がいたから出来たのであって、兄は何がどうなっているのかサッパリ分かっていなかった。偉そうなことは言うが、中身はサッパリ。遺産分割も差別的で私の主張は通らず。私が色々とysって気ts功績は一切認めてもらえず。遺留分にも達していない分しか相続させてもらえなかった。その後色々と私がやって、2020年10月19日にやっと自由の身になった。母は私が良くしてくれたと感謝しているようで、時々夢に出て来ては色々と教えてくれています。話が飛んでしまいました。精神科の病院に若い時に入院中に分かった事は、精神科の医師はいい加減である事。本当の事を言っても信じてもらえない事。何でも病気と関連付けしたがる事。幻聴も幻視もないのに幻聴も幻視もある事にしたい。私は病気でもないのに向精神薬を飲まされて副作用で強迫観念や被害妄想に襲われただけなのに、精神分裂症扱いされて間違った治療を無理やりされて往生しました。今では統合失調症と言いますが、統合失調症の人はキチガイと呼ばれているが、間違いで非常に温厚です。本当のキチガイは統合失調症と共通の症状がある全く別の病気の境界性人格障害の一部の人であると言う事です。私は統合失調症ではありません。統合失調症と誤診されて無理やりに入院させられて間違った薬漬けにされただけです。今は精神薬から解放されていていいのですが、母の介護と仕事の代理や物件や母宅の広大な野良仕事や庭仕事も多々t1人でしてきて凄いストレスで色々な病気に罹り、別の病気で(特に高血圧)で薬漬けです。今はストレスから解放されて薬も徐々に減って来ています。いつかは薬から解放されたいです。