tarobee8のブログ(戯言)

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枯れ木に花を咲かせた日本人たち

昔、日米開戦があった後で、日系人たちは強制収容所に入れられました。

が、日本人ならではの、奇跡が起こった。今の日本人にも同じDNAがあるはず。

目覚めよ日本人。

 

中村信一さんのフェイスブック投稿より

【枯れ木に花を咲かせる日系人たち】
第二次大戦時に日系アメリカ人一世及び日本人の血が1/16以上入った者12万人が米国各地の強制収容所に収監された事は広く知られる事実であるが、その食事風景においても大和魂があることを知ったのでお伝えしたい。
日系アメリカ人たちは強制収容される際、生涯を費やして働きやっと得た不動産や財産を全て放棄して身の回りの手荷物だけカバン一個に詰めて所持することが許された。
そして収容された先で支給される食事はパンかパンケーキのみで栄養的に全く不十分であることに愕然とした。
ミルクなど栄養の高いものは子供と病人にしか許されず、野菜やタンパク質が全く足りない。日系人たちはたちまち困り果てたのだった。
しかし、多くの日系人たちは農家だったため強制収容所の荒地を耕して何と畑を作り始めたのだった。
これには看守たちも驚いたが、特に悪い事をしている訳ではないので彼らが農業をする様を興味深く眺めるしかなかった。
野菜・穀物・豆は順調に育ち、余剰分は豆腐・醤油・味噌・漬物など加工物へと変わり、大規模に生産するために製造工場を作った。
更には驚いたことに日系人たちは日本酒やワイン、ビール等の嗜好品まで作り出してしまう。
次第に牛や豚や鶏といった家畜も飼うようになっていった。
やがて、農場は軌道に乗り、沢山作り過ぎて強制収容所内では消費しきれなくなり、驚くことに余剰分を出荷して売るようになった。
収容所で作られた食品は高い品質のため何処でも引く手あまたとなる。
更に日系人の若者たちは自らの肌の色や人種に関わらず「アメリカ人」であるという愛国心を示すために、第442連隊戦闘団を編成し、ノルマンディー上陸作戦の中、死傷率318%という熾烈を極めた戦闘により味方の兵士を救助して数々の偉業を成す。
更に33,000人もの日系人の若者たちは志願兵となり新しき祖国・アメリカに多大なる貢献をした。
彼らの目覚ましい活躍により、米国社会でも人種への偏見を超えて日系人の優秀さを認めざる得なくなる。
過酷な運命の中でも諦めず、しなやかで柔軟性がある鋼のような強い心を持つ日系人たちは、戦後も長く残った凄まじい人種偏見の中でも「己の高い能力を示し国に貢献する」という非暴力的な静かな戦いを続けて、確実に米国内で地位向上していった。
遂に2011年アメリカ合衆国司法省が公式に「日系人に対する人種的隔離政策は過ちだった」ことを認め、日系アメリカ人は正式に謝罪を受けたのである。
強制収容所に収容された日系人たちの体型が衰えていないことがずっと不思議だったが、差別と偏見の中、荒れた土地を自らの手で耕し食糧を生産したという事実を知った時に私は深い感動を覚えた。
こうした日本の先人たちの静かな、しかし鋼のように強い勇気は私の心にも強い勇気と力を与えてくれる。
何とも美しい国であり、何とも美しい民である。
日本よ。千代に八千代に平和と繁栄あれ🇯🇵
日本万歳!
小林 寿子