神社はお願い事をしに行く所ではなくて、感謝をしに行く所です。
願い事がすでにかなったような現在完了形でお礼を言うといいそうです。
願い事も他人のため願い事が叶ったような内容がなおいいそうです。
篠崎 朗さんのフェイスブック投稿より
【神社仏閣はお願いをしに行くところではない】
皆さん新年明けましておめでとうございます
2023年元旦をどのようにお過ごしでしょうか?
なんと素晴らしいことか
昨年私は、特に昨年後半は、目に見えない神秘的なこと、そして真理(我即神也)をストレートに発信してきました。
途中から路線?内容が偏ったように見えて、ビックリされた方もおられたと思います。
一時的にアクセスが減ったり、フォロワーの方の数が伸びなかったりもしました。
しかし、やはり人間の奥底では、真理(神聖復活)を求めておられることもハッキリわかったのです!
それはみなさんからのメッセージやメールから受け取ることが出来ました。
私は教祖ではないので、新しい思想、宗教をつくるつもりなど、微塵もありません!(笑)
これからも、昨年以上に熱い真理を発信して行きます。
今年もグッドムーンへのご愛読よろしくお願い致します
本文
神社に行ったら、お願い事をしてはいけません。
これは覚えておいてくださいね。
神社は、お願い事をするところではないのです。
「うちの息子が大学に受かりますようにお願いします」
とお願いしても、それはあなたのご先祖さまに願っていることを忘れないでください。
そのご先祖さまは、大学に行っていないかもしれませんから(笑)。
それに、今さらそんなことを急に頼まれてもできません。
神社に行ったら、そんなふうにお願い事をしてもだめです。
「息子は大学に行く年まで無事に生きてこれました。ありがとうございます」
こう、お願い事をするのならばいいのです
つまり、感謝を忘れないことです。
感謝を口に出して言うと、もう一回、感謝をしたくなるようないいことが必ず起きます。
日本は言霊の国だから、言ったことに魂が入ります。
感謝をすると、もう一回、感謝をしたくなるようなことが起こる、そうすると、また感謝をする。
だから感謝をしている人は、ずーっといいことが起こるようになっているのです。
ところが、「ああしてください」「こうしてください」と言うのでは、ある意味、不平不満を言っているのと同じです。
ぐちや泣き言、不平不満を言うと、またぐちや泣き言、不平不満を言いたくなることが起こります。
日本は言霊の国ですから。
だから、不幸な人はエンドレスで不幸なのです。
もう嫌なことが、次々へと起こる。
そういうのを「魔寄せ」といいます。
魔を寄せ付ける人。
あなたの周囲にも、魔寄せみたいな人はきっといるでしょう。
ぐちとか泣き言とか、願い事とか、そんなことばかり言っている人。感謝がない人です。
感謝から始まらない人は、方角などを気にするかもしれないけれども、どこの方角に行こうが不幸が待っています。
あなたがいるところがだめなのに気づかない。
魔寄せであり、嫌な臭いのもとみたいな人です。
『普通はつらいよ』斎藤ひとり
感想・・・私は斎藤ひとりさんのファンとか信者でもないのですが(笑)
すごく良いことをおっしゃっていますね!
私も神社で願い事をしていました。
宮司さん教えてくれたらいいのにね^_^