tarobee8のブログ(戯言)

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ナショナリズムと帝国主義は違う

2022年1月23日

伊勢雅臣のメルマガより

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■1.国が主権を守れなかったので、竹島が奪われた

 竹島が韓国に奪われた経緯をご存じでしょうか? 1952年1月、韓国の李承晩大統領は突如「李承晩ライン」を宣言し、竹島を自国領に含めました。当時、日本は米軍の占領下で、自衛隊もまだありません。日本政府は抗議し、アメリカ、イギリス、中華民国からもその違法性が指摘されました。

 翌1953年1月、李承晩大統領は実力行使に出ます。李承晩ライン内に出漁した日本漁船の拿捕を命じ、2月4日には日本の第一大邦丸が拿捕され、漁労長が射殺されるという事件が起こりました。韓国による日本漁船拿捕はその後も続き、合計233隻が拿捕され、抑留された漁船員2731名、死亡5名に及んだのです。

 1954年6月、韓国政府は竹島に海岸警備隊を派遣し、8月に無人灯台に点火、9月には竹島を描いた切手を発行し、実効支配を着々とすすめました。当時は、戦後処理の日韓交渉の最中で、日本は竹島を人質に取られた形で、交渉を進めなければなりませんでした。

 1952年4月28日にはサンフランシスコ講和条約が発効し、占領は終わっていましたが、独立したと言っても軍隊はなく、米国は竹島は日本領と認めましたが、駐留米軍は韓国とのいざこざまで手を出してはくれません。国に主権がない、あるいは主権を護るための実力がないと、どういう目にあうか、を如実に示す歴史的経験です。

 当時の日本も韓国も、米国の庇護の下にあったのですが、他国が必ずしも日本国民が希望するように日本を護ってくれるわけではない、という国際政治の冷厳な真実を学ぶ必要があります。


■2.第二次大戦は帝国主義から起きた

 我が国では、第二次大戦はナショナリズムが引き起こしたとして、国連などの国際機関を称揚し、またグローバル、ボーダーレスなど、国家を悪者視、軽視する風潮が根強く残っています。

 そんな中で、国民国家の存在意義を明らかにした書籍が登場しました。イスラエルの哲学者ヨラム・ハゾニー氏の『ナショナリズムの美徳』です。まさに目からウロコの指摘が満載の本でした。

 ハゾニー氏は国民国家(より広くは独立した部族氏族も含めた「ネイション」)に対して、「帝国」を対置します。帝国とは、たとえば中国は漢民族が他の多くの異民族を支配して、共産主義という(普遍的に見せた)イデオロギーで支配している「帝国」です。

 ハゾニー氏は第二次大戦はナショナリズムではなく、帝国主義から起こったとしています。ナチス・ドイツに関して、こう語っています。

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ヒトラーナショナリズムの提唱者ではなかった。・・・国民国家をイギリスとフランスが考案した衰退した制度であり、ドイツ帝国という歴史的遺産よりもはるかに劣ったものとみなしていた。国民国家の秩序の代わりに、明らかに「第一帝国」から着想を得た第三帝国の創設に、ヒトラーは着手した。第一帝国とはすなわち、1000年の治世と普遍的野望をもつドイツの神聖ローマ帝国のことだ。

ヒトラーは・・・ドイツは「いつの日か世界の支配者にならなければならない」という見解を、あからさまに広めたのだ。ナチス・ドイツは、実際にはあらゆる意味で帝国主義国家であり、ネイションの独立と自決の原則に終止符を打とうとしていたのである。[ハゾニー、1148]
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 ナショナリズムの信奉者なら、オーストリアなどの同じドイツ民族の国は併合しても、ソ連やベルギー、オランダ、フランスにまで攻め込んだりはしないでしょう。

 日本に関してもハゾニー氏は帝国主義だったとしています。私はこれには異論がありますが、百歩譲って、先の大戦が日本の帝国主義的野望に基づくものだとしても、それは帝国主義によるものであり、ナショナリズムからではありません。反省するなら、帝国主義的な面を反省すべきであり、国民国家であることまで反省するのは筋が通りません。

 国民国家という視点から先の大戦を見れば、満洲帝国は満洲王朝のもとでの五族協和を理想としていましたし、中国では汪兆銘による政権を支援し、東南アジアでは大英帝国やオランダの植民地の独立運動を助けました。それぞれアジア諸民族の自前の国民国家建設を目指した動きでした。この視点から大東亜戦争を見るべきだと思います。


■3.相互の忠誠心の絆で結ばれた共同体

 ハゾニーは「国民国家」を「ネイション」の一種としており、この「ネイション」を次のように説明しています。

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現実の生活におけるネイションは、相互の忠誠心の絆で結ばれた共同体であり、世代から次の世代へと伝統を伝えていくものだ。彼らは共通の歴史的記憶、言語、文字、儀式、境界をもち、それを構成する者に対し、祖先との強い一体感と、来る世代が直面する運命への懸念を伝える。[ハゾニー、902]
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 この「ネイション」には、国家体制をとる国民国家から、国家を持っていない部族、氏族まで様々なレベルがあります。たとえばウイグル族は「共通の歴史的記憶、言語、文字、儀式、境界」を持っていますが、中国という帝国に支配され、自前の国民国家を持てないでいます。

 ハゾニー氏の属するイスラエルユダヤ民族が近代になってようやく持てた国民国家です。また日本は固有の言語、歴史、文化を持つ、世界でも最古かつ最大級規模の国民国家です。

 ここで注意すべきは、国民国家を構成するには、かならずしも血のつながりを必要とはしないということです。

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小さな氏族や部族は、彼ら独自の伝統を尊重し、発展の場を提供してくれる大規模なネイションと、永続的な相互忠誠の絆を築くことを選ぶ。このように受け入れられた部族は、ネイションの自由に与り、そのネイションのほかの部族と同様に、その自由を自分たちのものとして経験できる。[ハゾニー、p2889]
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 日本においては、帰化した華僑やほとんどの在日韓国人が「受け入れられた部族」と言えるでしょう。彼らの多くはよき日本国民として振る舞いつつ、独自の伝統を持つネイションとして受け入れられています。

 これは古代も同様で、平安時代の初期に平安京付近の氏族の記録をまとめた『新撰姓氏録』では、1182の氏姓が記録されており、そのうち帰化人が全体の3分の1にも達していました。その中にはユダヤ民族とおぼしき一族もおり、彼らがこの国土にやってきて、天皇から氏姓を賜って受け入れられ、同化していったのです。


■4.国民国家がもたらす集団的自由と自己決定権

 国民国家の特長は何でしょうか? ハゾニーはいくつか挙げていますが、最も重要なのは次の点でしょう。

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人類は、相互の忠誠の絆によって結ばれた家族、氏族、部族、またはネイションの健康と繁栄を常に望み、積極的に求める。独立した国民国家の秩序の下で、人間はこのような集団的な健康と繁栄を追求する最大の自由を獲得する。[ハゾニー、2761]
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 たとえば、ウイグル族は自らの「国民国家」を持っていないために、自分たちの「集団的な健康と繁栄を追求する自由」を持っていません。中国共産党政府により、100万人を超えると言われるウイグル人強制収容所に入れられています。

 ウイグル族はテュルク(トルコ)系のイスラム教徒であり、隣国のカザフスタンの中核をなすカザフ人と親類関係にあります。ウイグル族カザフスタンの国民の一部であったか、あるいは独自の国民国家を持ち続けていれば、巨大な民族弾圧にあう可能性も低かったでしょう。

 ウイグル人の悲劇は、帝国主義国が支配下の異民族をどう扱うか、の典型です。帝国主義国は「相互の忠誠の絆」のないネイションを支配下におくためには、そのイデオロギーで精神的支配を行い、軍事力警察力で物理的支配を行います。帝国主義国は、その支配を維持するためには、多様なネイションの自由を容認できないのです。

 それに対して、国民国家は歴史や文化によって結ばれたネイションを力で押さえつける必要はないので、自由主義的統治が可能となります。また統治者も国民と同じネイションから出ているので、同胞感をもって政治が出来ます。こういう特長が、議会制民主主義の基盤となりうるのです。

 こうした事から、ハゾニーは「独立した国民国家は、集合的自由および自己決定権を確立するためには人類が知る限り最高の制度である」と結論づけます。[ハゾニー、199]


■5.国民国家では国民どうしの絆が発展のエネルギーをもたらす

 国民国家では、内部対立を鎮め、また国民の自由を認めることによって、物質的な繁栄を得られる可能性が高まります。その物質的な豊かさを用いて、外敵から国家を守る防衛力を強化したり、文化や芸術を発展させることができます。

 歴史や文化を共有する国民国家に対して、一人ひとりの国民は一体感を持ち、災害に見舞われた同胞や、恵まれない同胞の子供たちを喜んで助けようとします。こうして国民国家は、ますます共通の文化、伝統を発展させ、国民相互の絆(きずな)を強めていきます。

 その実例を19世紀の大英帝国の最盛期にベストセラーとなったサミュエル・スマイルズの『自助論』に見ることができます。そこには国家のために身命を捧げた人物たちが多数、登場します。

 たとえば、ウェリントン公は3万の軍勢でナポレオン軍35万を打ち破って祖国を守りました。エドワード・ジェンナーは天然痘の災禍を食い止めるために、20年以上もかけて種痘を開発しました。

 ヨーロッパの片隅にあった弱小国家イギリスが、産業革命金本位制自由貿易、議会制民主主義、法治制度、英語などの多くの経済的、文化的遺産を残したのは、国家のために尽くす無数の愛国者たちの成果でした。彼らは国家の課題を「我が事」として取り組んだのです。[JOG(184)]

 しかし、こうして発展したイギリスはその国力を海外植民地の獲得に向けます。その結果、地球上の面積の4分の1、人口の6分の1を支配する「大英帝国」になりました。しかし、植民地の人々は大英帝国のために力を尽くす事はしません。

 植民地として収奪されていたアメリカは分離独立してしまい、またインドや東南アジアは日本人が白人と対等に戦えることを実証すると、次々と独立していきました。イギリスは国民国家として大発展したものの、帝国主義となってからは、支配下のネイションの支持も貢献も得られず、衰退していったのです。


■6.多様な国民国家の競争が、急速な進化をもたらす

 一つの地域に多様な国民国家がいくつもあると、それぞれが独自の文化伝統を生かしながら競争を行い、その結果を互いに学びながら、政治、経済、科学、芸術で長足の進歩を遂げることができます。

 近世ヨーロッパは、イギリス、フランス、オランダなど、それぞれが国民国家をなして、競争をしていました。ルネサンス期のイタリアや古代ギリシャでは多くの都市国家が、国民国家として競争をしていました。ちょうど自由主義市場経済の中で、いくつもの独立企業が激しい製品開発競争をしているのと同じ理屈で、競争と模倣を通じて、技術や文化、芸術が進歩するのです。

 これに対して、かつてのソ連などは、単一の「普遍」的イデオロギーで文化も経済も支配していたので、長期的な停滞に落ち込み、それが崩壊の原因となりました。現代中国も、経済面こそ外国技術導入・窃盗と世界市場での競争を通じて活発な進化を見せていますが、政治、文化、芸術ではほとんど見るべき進歩はありません。

 ハゾニー氏の本の巻末の解説で、施光恒・九州大学大学院教授は、グローバリズムと国際社会を区別すべきことを主張しています。グローバリズムは帝国が単一のイデオロギーで支配する世界ですが、国際社会は多様な国民国家が競争したり、協力したりする世界です。弊誌「国際派日本人養成講座」も、後者のような国際社会で日本という国民国家を背負う日本人の育成を目指しています。


■7.グローバリズムリベラリズムは、帝国主義の後裔

 前述のように、我が国は世界でも最古かつ最大級の国民国家ですが、この点を国民が自覚して、その特長をフルに発揮するということがあまり行われていません。その一因は、昨今のグローバリズムリベラリズムの攻撃に晒されて、自分たちの文化伝統に対する自信を失っているからでしょう。

 ハゾニー氏は、現代のグローバリズムリベラリズムが、実は帝国主義的な攻撃性を持っている、と指摘しています。帝国主義は、他のネイション支配をなんらかの「普遍的」イデオロギーで正当化します。

 グローバリズムの一つとして、株主の利益だけを考える株主資本主義があります。これはグローバル企業が世界市場支配を正当化するためのイデオロギーです。我が国には江戸時代から「三方よし」という倫理性の高い経営哲学があったのですが、そういう一国だけの伝統にしがみついているのは、時代遅れだと攻撃されます。

 フェミニズム、性の自己決定権、LGBTなどもリベラル勢力が、一国の文化伝統にしがみつく「遅れた国」を攻撃するイデオロギーです。

 日本が本来の「根っこ」の力を発揮して元気な国になるには、そのようなグローバリズムリベラリズムは「普遍性」を装った帝国主義イデオロギーの一種であると見破る事が第一歩です。そして我が国は自前の国民国家である以上、国民の絆としての文化伝統に関する集合的自由および自己決定権を持っている、と認識すべきなのです。
(文責 伊勢雅臣)