tarobee8のブログ(戯言)

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織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が守りたかったある儀式

1395年に足利義満が亡くなると、室町幕府財政破綻して、その後疫病や凶作が続き、さらに応仁の大乱も起こり、伊勢神宮で20年に1度行われていた「神宮式年遷宮」も長年行われなくなりました。

そこへ、天下取りに王手をかけた織田信長が現代の貨幣価値に換算して3億円の大金を投じて「伊勢神宮式年遷宮」を賦活させようとしましたが、本能の自の変で1583年に亡くなり、その遺志は豊臣秀吉徳川家康へと引き継がれて、伊勢神宮式年遷宮が今にまでわたり復活して、日本を守ってくれています。

織田信長が悪魔のように描かれているのは、GHQが日本人に本当の歴史を知られたら不味いから、歴史を捏造して悪魔のように仕立て上げられました。本当は善人で「このままでは日本はスペインとポルトガルの植民地にされる」と分かっていたので、天下統一を急いでいただけなのです。秀吉も朝鮮出兵の真の目的はスペインやポルトガルが日本を植民地化しようとしているのを知り、恫喝のために明を征服して、フィリピンに攻め込むと脅して茶番で朝鮮出兵をして、本当に快進撃を続けて、スペインのフィリピン崇徳に「日本恐るべし」と知らしめて、スペイン国王は宣教師たちの助言もあり、日本征服をあきらめました。徳川家康は秀吉の遺志を継いで、オランダ以外の西洋列強との外交を閉じて、特定の国意外とは交易しないと言う大方針を打ち立てて250年の平和な世を築きました。縄文時代に回帰したような持続可能な平和な世界でした。それをぶち壊したのが、ロスチャイルド家の親戚にあたるペリーです。ロスチャイルド家の命令に従っただけです。後は、日本を分断してフリーメイソンたちが近代化と称する江戸幕府倒幕をやり、明治維新の英雄たちは、実はアヘン戦争で名高いジャーディ・マティソン商会の長崎支店長のトーマス・グラバーを使って、明治維新の志士達を育てて、お金も出して坂本龍馬などはトーマス・グラバーと言うフリーメイソンの子分の下っ端のフリーメイソンにでした。大政奉還がなって用済みになった坂本龍馬は暗殺されました。死人に口なしで口封じされました。死人に口なし、クチナシの花。そして薩長連合に最新と言っても南北戦争のお古の武器を買わせて、戊辰戦争をやり日本人同士で殺し合いをさせました。日本の武士は降参したら大将の首を差し出したらお終いのはずが、徹底的な皆殺しをさせました。この辺はイギリスのロスチャイルド家の意思が絡んでいます。偽ユダヤ人のアシュケナージユダヤ人はロクなもんじゃありません。日本人こそがイスラエル王国の失われた10士族の血を引くユダヤ人なのですが。偽物ユダヤ人にとっては本家のユダヤ人が相当に邪魔だったようです。長くなるのでこの辺で。

 

ルネサンスのメルマガより
【葬られた戦後三英傑の功績】

 

戦国時代に、
天下統一を目指した3人の戦国武将

織田信長豊臣秀吉徳川家康

日本でも人気を誇る武将ですが
実は、彼らは戦とはほど遠い…
ある日本の“文化”を守るために
奮闘していたことをご存知ですか?

その文化とは、今もなお続き
1300年以上受け継がれている
日本にとって重要な文化です。

一体彼らが、
命をかけて守り抜いた日本の文化とは?

ぜひ、こちらからご覧ください。

>戦国三英傑が守り抜いた文化とは?

伊勢神宮で行われている、20年に1度の「神宮式年遷宮」です。

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みなさん、こんにちは。

いつも、 ルネサンスメルマガを
お読みいただき、ありがとうございます。

突然ですが、、、
あなたは「世界四大文明」を
ご存知ですか?

どこかで耳にしたことがあるような…
そう感じた方も
いらっしゃるかもしれません。

この四大文明は、人類史上
最初に起きた文明であり、
後の文明を開花させたと言われていますが、

実は、その四大文明よりも前に、
日本には文明があったようです…

それが、、
「縄文文明」です。

縄文時代といえば、
人々が狩猟採取を中心とした生活を
1万年以上続けた平和な時代とされていますが、

この時代の縄文文明について
東北大学名誉教授の田中英道先生は、
このようにおっしゃいます。

「日本の縄文文明は
 世界の四大文明に匹敵する」

一体、どういうことなのでしょうか。
田中先生にご解説いただきました。

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From 田中英道
東北大学名誉教授)

 
紀元前3000年前後に、
ユーラシア大陸に生まれた古代文明は、
「世界の四大文明」と呼ばれます。
 


メソポタミア文明
エジプト文明
インダス文明
中国文明

です。 

この四大文明というのは、
世界では必ずしも有名な学説
ではないのですが、、
なぜか日本では良く知られています。

それぞれ、
大河の流域に誕生した文明です。

例えば、エジプト文明は、
ナイル川の定期的な氾濫によって
運ばれる肥沃な黒い土を用いた
灌漑農耕のはじまりにより、
一つの文明が築かれました。

そうした灌漑設備が整うことにより
農業が盛んになり、
中央集権的な国家が出来始めたことが
四大文明の例として知られています。

自然が過酷であることから、
道路や運河、灌漑施設を作ることで
村落を形成していく、

そのことが文明を作り出す
一つの大きな要素に
なっていることは明らかです。

一方、日本は自然環境に恵まれているため、
大規模なものを人工的に作る必要がありません。

1992年に青森県で発掘された
三内丸山遺跡は、
まさにそのことを表しています。


 
紀元前5500年頃から
紀元前4500年頃にかけて栄えた
縄文時代の集落跡であり、
四大文明よりも古いことが
分かっています。

狩猟、最終経済が行われ、
樹木でつくられた集会場、神殿や
祖先の墓が集落の中にありました。

自然を活用して、
自然の中で生きることができたわけで、
都市をつくる必要もなかったのです。

戦争がないので、
城壁を築く必要もありませんでした。

日本は縄文弥生の時代に、
戦争というものをあまり意識していません。

動物が侵入するのを防ぐための
柵をつくっているぐらいです。

そして、先ほど説明した四大文明は、
いずれも自然を破壊したことで
消滅していきました。

インドで成立したインダス文明は、
流域の樹木が乱伐されたことにより、
洪水が起きるようになり衰亡しています。

樹木の乱伐が原因であったということに、
都市国家というものが、
自然と調和する文化ではなく、
自然を破壊する文化であったことを
認識しなければなりません。

私たちはもっと自然という要素を
重視していくべきでしょう。

世界史の舞台に最初に現れた古代文明が、
メソポタミア文明のように
自然を開発することで、
自然と対立するものであったり、

インダス文明のように、
樹木を乱伐したことによって
衰退してしまうものであったりすることに、
文明の否定的な側面が現れているのです。

それらと比べると、
日本の縄文文明は、衰退することなく
徐々に変化していきました。

それは縄文文明が、
自然を生かし、自然と融合する文明で
あったことを表しています。

まさに、縄文文明は
世界の四大文明に匹敵します。


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