tarobee8のブログ(戯言)

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良心的な医師はコロナワクチンを推奨しないし、打ちません

今回のコロナ茶番で、良心的な医師たちは製薬会社と距離を置き始めた。良心的な医師はコロナワクチンを打ちません。毒薬と知っているので、そんなものを注射しないのです。医師連中の間でも浮いた状態になりますが、それでも負けずに一線を画しております。

今、製薬会社の広告塔になっている医師は製薬会社の傀儡です。

病院選びは慎重に。出来れば、よっぽどの事がない限り病院には近寄らない事です。

今は昔と違って医は算術です。病気は治すものじゃなくて、病気に仕立ててあげられて、死ぬまで病院通いをさせて金儲けの材料にされるだけ。

医師の言っている事ややっている事が間違っていないかどうか判断できる知識のある方のみ病院に行ってもいいという時代になりました。医師の言っている事ややっている事が正しいか間違っているか判断できない人は病院に行ったらいけません。殺されます。

私は腐りきった医療業界に疑問を感じていてストレスの連続でした。そこへ、母から「今の変な病院は辞めて私の仕事を覚えて欲しいの」と何度も懇願されて、病院とケンカしてまでして辞めて母の仕事を覚える前に母が病に倒れて、まず母の看病から始めて母の仕事は自分で探し出してまでして覚えました。母が認知症になっても介護するのは私だけ。賃貸マンションも借りている人の質が悪くて、管理に苦労しました。会計も私が電子帳簿でやっていました。母の代わりに経営者としてもやっていました。庭付きのマンションの植物の管理は超大変でした。母宅の超広大な庭仕事も私1人がやっていて、前かがみの姿勢ばっかりで腰も痛めました。とにかく1年365日中休みがなくて自分の時間もなくて往生しました。このままでは共倒れは必至な状況で、2014年5月14日は母の定期の受診日で、前日に入院の用意をして車の助手席に荷物を置いて、当日は母を連れて病院に受診して、主治医に「もう1か月以上何も飲んでも食べてもいないんです。入院させてください」と言うと主治医は「入院させてあげるけど、横滑りの生活が始まるよ」と言われました。横滑りの生活とは重度の認知症の母を受け入れてくれる病院や施設を探す生活が始まるよと言う意味です。私が親孝行なのを知っていたから受けてもらえたのです。兄や妹ではダメでしたでしょう。その翌日からホッタラカシだった兄が人目があるもんだから上手く親孝行しているように立ち回り始めました。主治医とカウンセラーと相談脚ながら、結局、ナカムラ病院と言う認知症専門病院に入院させる事が出来ました、それまでの活動でナカムラ病院の院長との面談で私が今までの経緯を理路整然と述べていましたので、これは協力的な家族だと思われたのです。兄や妹では無理でしt、だって、普段の母の状態を全く知らないから。2014年6月4日の朝に介護タクシーでナカムラ病院に転院しました。

ナカムラ病院でも色々と苦労しましたが、その母も2019年4月30日の平成最後の日に亡くなりました。葬式やなどは兄がしましたが、その後の色々な手続や遺産分割のための膨大な書類の作成や母の遺産の説明は私がしました。準確定申告も私がしました。兄に任せた小規模企業共済の手続きはまるでトンチンカンで話になりませんで、私が兄に成りすませて無事に終えました。遺産分割も私がいたから出来たのであって、兄は何がどうなっているのかもサッパリ知りませんでした。遺産分割で私は遺留分にも満たない1/9しかもらえませんでした。肝心の現金に至っては1/12以下しかもらえませんでした。税理士さんが「大功労者に対して大そう無礼ですね」と怒っておられました。母が亡くなった翌年からコロナの茶番が始まりました。以下長くなるので省略。