多くの人たちが誤解しています。
豊臣秀吉の伴天連追放は宣教師たちがキリスト教を隠れ蓑にして人身売買を
行っているのを九州遠征の際に知り、イエズス会の宣教師を張り付けの刑に処して、
多くの宣教師たちを日本から追放しました。さらに、当時のポルトガルと
スペインが日本のキリスト教教徒を増やして、日本を植民地化する計画があるのを
知り、日本の軍事力を見せつけて日本を植民地化から守るために行ったのが
「韓入り」と呼ばれる「朝鮮出兵」でした。侵略が目的ではなくてポルトガルと
スペインに対する「デモンストレーション」だったのです。
そして、秀吉はフィリピンにいるスペインの総督に恫喝する手紙を送り
スペイン国王に「日本を侵略するのは無理です」と奏上しています。
秀吉が亡くなった後もスペインとポルトガルは日本が怖くて侵略する事が出来ません
でした。
また織田信長もポルトガルとスペインが日本を植民地化しようと目論んでいいる
のを知っていて、設楽原の合戦で鉄砲3千丁使い、武田の騎馬軍団を壊滅させた
のも日本の武力は凄いと見せつけて、スペインとポルトガルを牽制するためでした。
織田信長はさらに朝鮮出兵も計画していて、スペインとポルトガルに対して
デモンストレーションを行おう計画でしたが、本能寺の変で暗殺されて、
秀吉が信長の計画を実行する格好になりました。