NEW HISTORYのメルマガより
<桶狭間の戦い>
10倍以上の兵力を見事に討ち破り
信長を一躍有名にした戦い
「桶狭間の戦い」
今となっては、
今川軍に奇襲をかけ、
敵将・今川義元を討ち取ったことばかり
強調されますが...
実は、この戦いの直前
信長は戦いを勝利に導くため、
わざわざある場所へと足を運んでいたことを
ご存知でしょうか?
それが、三種の神器の一つ
「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」を祀る
由緒ある神社:熱田神宮です。
今川軍が休憩中である知らせを
受けた信長は、
まず先に「熱田神宮」へと
馬を走らせます。
「この戦いは多勢に無勢、苦しい戦いとなる。
熱田大神の力を借りてぜひ勝利したい」
という願文を家来に作らせ、
戦勝を祈願。
その後戦場に向かい、
10倍以上の兵力を持つ
今川軍へと奇襲をかけ
見事に今川本陣を討ち破りました。
でもここで疑問に思いませんか?
一般的には、
無神論者として知られる信長が、
なぜ「熱田神宮」で
戦勝祈願をしていたのでしょうか?
さらに、勝利を収めた織田信長は
お礼として、
「信長塀」と呼ばれる
120mの塀を熱田神宮に奉納しています。
信長塀(熱田神宮)
戦勝祈願に、お礼まで...。
「無神論者」として描かれる
イメージとは正反対の行動です。
この信長が熱田神宮へと
立ち寄っていた話は、
なぜか、教科書や大河ドラマでも
全く指摘されておらず、
織田信長は無神論者であることが
大きく取り上げられています。
一体なぜ、
信長は重大な戦いを前にして
熱田神宮に行ったのでしょうか。
こちらの動画では
戦後には教えてこられなかった
「神社」と「信長」という関係から
信長の本当の正体を暴きます。
これを知ることで
あなたがこれまで習ってきた歴史が
大きく覆されることになるでしょう。
↓
神社と信長の関係に迫る
P.S
さらに、この桶狭間の裏側には
“もう一つの事件”が勃発していました。
それは、、
熱田神宮の宮司が
一部隊を編成して今川軍に乗り込み、
その場で討ち死にしていたというのです。
桶狭間の戦いの勝利の裏には、
神社の宮司による
先制攻撃が仕掛けられていました。
一体なぜ
織田信長と熱田神宮には
このような深い関係があるのでしょうか...。
↓
信長と熱田神宮の関係に迫る
NEW HISTORY事務局
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引用終了
実は戦前は織田信長は、天皇を信奉する天皇の命令に従う戦国大名でした。
また、120年間行われていなかった伊勢神宮の式年遷宮も今の貨幣価値で3億5000万円もかけて復活させています。比叡山の延暦寺の焼き討ちも、中立を保つと言う延暦寺側の主張を尊重していたのですが、延暦寺側が約束を破り、浅井、朝倉側に寝返って浅井・朝倉を援護すると言う暴挙に出て、それでも信長は警告を出して、ノーの返事が来るまでは手だししませんでした。が、ノーの返事をもらい、比叡山の焼き討ちに出たのです。
また表町天皇(おうぎまちてんのう)に対して忠実で親王の大名と呼ばれていました。
壊れて御所も修復しました。表町天皇の息子の親王を次期天皇に据えるために人質に取ったとされる歴史書はGHQによって捏造改ざんされたものです。織田信長やその他の勤王の志士たちはみな日本人が分からないようにするために本などは焚書されて、真実が分からないようにされています。みなアシュケナージユダヤ人が牛耳っていたGHQによる政策です。
信長は無神論者とも呼ばれて神も恐れぬ凶悪な大名と呼ばれていますが、戦後にGHQによってすり替えられたウソです。
信長は戦の前に神社に参拝しているほど神社を尊敬していました。熱田神宮の宮司が感嘆して、桶狭間の合戦の時に自前の軍隊を送ったほどです。
その後の信長の悪逆非道もGHQによって捏造された大ウソです。信長は本当は根が優しい人だったんですが、GHQによって鬼とされました。GHQは本当に歴史のすり替えと捏造がお好きだったようです。大ウソつきでインチキで出鱈目なGHQ.そのGHQを牛耳っていたのはいつも私が言う「アシュケナージユダヤ人」です。彼らは本当に危険人物で、今でも平気で世界破壊を堂々とやっています。が、既存のメディアは全て彼らのもので、テレビや新聞しか見ていない人には理解不能です。
織田信長以外にもGHQによって歴史から抹消された人物が大勢います。
GHQはもの凄く強かった日本兵を恐れていて、日本が再びアメリカや白人諸国に歯向かえないように歴史上から多くの人物を抹消して、逆に逆臣に仕立て上げて悪者されています。豊臣秀吉も楠正成たちもそうです。
これは神道指令と呼ばれていて、日本人の強い精神が神道によるものだとGHQに判断されての結果です。結局、酷いとしか言いようのない東京裁判史観(自虐史観とも呼ばれる)大ウソの歴史に改ざんされました。東京裁判はハッキリ言って国際法霧視の滅茶苦茶デタラメの裁判でした。
未だに日本では学校やメディアでは東京裁判史観を教えていて日本人を洗脳して、未だに大勢の日本人が大ウソの歴史を信じています。
が、そういった事は大ウソだと目覚めている人も極少数ですがいて、おかしいと情報発信しても右翼だ、戦争主義者だと逆に非国民のレッテルを貼られます。
信長は宣教師たち対して不況を奨励するような許可を出していません。曖昧な返事をしてお茶を濁しています。キリシタン大名たちは相当にアクドイ事をしていました。奴隷売買や寺社仏閣の破壊行為など上げれば切りがありません。
織田信長は天皇の権威を超えようとしていません。織田信長を討った明智光秀は秀吉によって駆逐されています。
秀吉は宣教師たちが奴隷貿易をしているのを知り、処刑しました。当然です。またポルトガルとスペインはローマ教皇によって、日本を頭頚135度を以ってポルトガルとスペインの領土とすべきご宣託が下りていました。秀吉が朝鮮出兵をしたのは、スペインに対して、日本を侵略すればこうなると示したのです。現実にフィリピンの総督に対して、スペイン国王に対して、警告文を出しています。それによって、スペインもポルトガルも日本に手出しできなかったのです。朝鮮出兵は褒められたもんどえはあありあmせんが、日本がスペインやポルトガルの領土となるの尾を抑止しました。
徳川家康は織田信長の意志を継いでキリスト教勢力を日本から駆逐して250年間にわたる縄文時代の再来ともいえる現代版の縄文文化を作る礎を築きました。
江戸時代は言われるよな悪い時代ではなくて、愛と調和に満ちた世界でした。
が、シーボルトの来航によって徐々に古き良き江戸時代が終焉に向かい始めました。
そういやってペリー来航から明治維新という日本の歴史を歪める彼らの計画に勤王の志士たちが上手く利用されました。そうやって明治維新は美化されていますが、本当はフリーメイスンやイルミナティを始めとするアシュケナージユダヤ人の策略だったのです。