tarobee8のブログ(戯言)

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老年の素晴らしさ

ルネサンスのメルマガより

 

突然ですが、
あなたは「老い」について
どう思いますか?

退屈や不健康、
コミュニケーションや
人間関係の希薄など、

ややネガティブなイメージを
お持ちではないでしょうか?

しかし、東北大学名誉教授の
田中英道先生はこう言います。

「老年こそ、人生で最も創造的時代」と。

若き頃よりも、
老年は可能性に
満ち溢れているのだと。

一体、それはどういう
ことなのでしょうか?

ここでは、田中先生が
「老年」の素晴らしさについて

語っていただきます。
それでは、続きをお楽しみください…

 
*****


From:田中英道東北大学名誉教授)

奈良時代の日本においてすでに、
100歳・90歳・80歳以上の齢は、
 
めでたいものではあるにせよ、
決して珍しいものでは
ありませんでした。

日本人の平均寿命は、
14〜16世紀で15歳程度、
18世紀で30歳代半ば、

明治13年(1880年)時点の調査で
男36歳/女38歳、

平均寿命が50歳を超えたのは
昭和22年(1947年)頃です。

江戸時代はもちろん明治時代も、
ほとんどの人は40歳になる前に
死んでいるのか、

などと考えてしまう人が
多いのですが、
これは勘違いです。

からくりは、
乳児の死亡率にあります。

時代を遡れば遡るほど、
医療技術は未熟だったため
乳児の死亡率が高く、

これが平均寿命を
押し下げているだけなのです。

現代において、
100年をどう生きるかを
考えるのと同じように、

100年をどう生きるか、
奈良時代の人々も
ちゃんと考えていました。

人生100年時代」は
新しいテーマでも何でもなく、
ずっと考え続けられてきている
テーマであることは、

かつて長く生き、
素晴らしい創造性を持った
人々が少なくなく存在し、

同時に彼らもまた
老人の人生を語ってきたことで
証明されています。

ところが現代は
人生100年時代」という
単なるキャッチフレーズに
任せ切ってしまい、

身体的健康だけを追って、
無自覚に年をとるということを
推奨しているように見えます。

まるで、
人間の思慮などというものは
忘れてしまえ、

あるいは、

思慮というものを含む創造力
などというものは失ってしまえ、
と言わんばかりです。

これは、人間そのものにとって、
非常に危惧すべきことです。

現代人はどうやら、
長く生きるためにどうするか
ということだけを
考えぎているようです。

“寿命が延びる”
ということだけに
価値が置かれ、

生きることの精神的な問題、
あるいは心理的な変化、
そして、その人の思考、

つまり、思想の展開というものが、
まったく無視されているように見えます。

“身体的健康が時間的に延びた”
ということで、万事良しと
されているようです。

私は、そういうことで
あってはならないと思っています。

ここでは、
大局的な視点に立ち
先人たちの美術作品を見ながら、

老人論を建て直して
いくことにしましょう。

まず私がお見せするのは
こちらです。


(出典:Wikipedia

有名な老人像の「鑑真」です。

鑑真(688〜763年)は、
日本に5度の渡航を試み、
6度目に日本にたどりつき、
帰化した長老です。

日本に着いた時にはすでに盲目
だったと言われており、

その盲目の表情が非常に美しく
像に表現されています。

この鑑真の像に見られるように、
老人像が作られることによって初めて
人間の個人の姿が表されるように
なったということが重要です。

老人が描かれるということは、
そこには“文化”があり、

しっかりとした社会が構成されている
ということを意味します。

長老がいることによってはじめて
社会が安定することの現れ
でもあるのです。

世界には、“偶像崇拝禁止”という
宗教的文化を持つ地域
あるいは歴史があります。

そのために、イスラム世界や
5〜15世紀東ローマ帝国
ビザンチン文化では、宗教上の理由から
人間像をつくりません。

しかし一方で、
日本とヨーロッパは
人間像をつくってきました。

特筆すべきなのは、
そこにおいては老人像が
たくさん描かれた、
ということです。

“老人像は美しい”、
“老人は美しい”という、

現代が失ってしまっていると
言っていい別の指標があるのです。

続いてレオナルド・ダ・ヴィンチは、
30代の終盤、ミラノにいた時に
自らの肖像画を描いています。

非常に有名な自画像で、
トリノ王宮図書館に
収蔵されています。

40歳頃の時の自画像ですが、
作品を見れば一目瞭然、
ダ・ヴィンチはまさに
老人の像として自らを描いています。


(出典:Wikipedia

つまり、ダ・ヴィンチは、
老人であることを衰えである
とは考えていないのです。

彼の天才性は
モナ・リザのように
美を若さに求めない点です。

これはやはり、
成熟こそ描くべき対象であり、
老人、老年がいかに素晴らしいものかを
自らに写して表現しているのです。

私は、老年こそ、
人生で最も創造的時代と思っています。

体を色々気づかうことも、
その創造に関係しています。

現代、心理学者の間では
“主観年齢”というものが、
注目されているようです。

自分は75歳なのに、
60歳だと考えることの
心理がどのようなものか、
と分析しています。

私は、年齢など気にしない老年時代が、
理想だと考えています。

85歳は85歳でいいのです。

そうした正直に年代を認めることこそ、
創造に取り組むにふさわしいのでは
ないでしょうか。



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