tarobee8のブログ(戯言)

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祖国とは国語である

祖国とは国語である。

板東 義宣さんのフェイスブック投稿より

海外に住む友人が、「全く日本と隔絶した生活を余儀なくされ、体験した事は日本語は読めるが突然に漢字が書けなくなった」と言う。
優秀な人でも、「書かない」と同様な体験をしている。不思議な急激な劣化現象だと思っていたが、「書く」という行為は眼・脳細胞だけでなく、「3本の指の筋肉の記憶に深く依存する」という違いがあると気づいた。
  宇宙飛行士が無重力で暫く暮らし地球に帰ってくると、もはや歩けず重病人のように運搬され、病人も寝たきりだと直ぐに同様な劣化が生まれる。
つまり、筋肉に依存する行動能力は使わないと急激に失われる。例外があるようだが、プロのピアノ弾きは毎日鍵盤を叩いていないとダメになる。
 タイプライターの存在しなかった日本では、最近まで文章は全て「手書き」であったが、今、ペンや筆で書く人は減り、近未来には壊滅する運命にあるのではないか。
スマホ、パソコンしか使わない方は少なくとも、字が汚くなる。止め・はね・払いを無視したような曲線的な締まりのない字になり「ミミズの這ったような字」ということもできまる。
当分の間は、「漢字を書けないが、読める」日本人になるが、「読めない」時代が来るかもしれない。
テレビで論者が論点を、「その場で自筆で」書く場面があるが、その筆順が出鱈目で可笑しく、かつ幼児のような文字が画面に大きく映し出される。すでに大人でも、書けない状態が近づいているらしい。
50年前の本を見てみると、活字は小さく、2段になっていたり行間も余白も狭い。日本人の視力が落ちたわけでは無いだろう。
ページあたりの情報量は半分以下になっている。
 韓国では、かつて漢字を書き読むのが当たり前だったが、(平民の基準に迎合して)ハングル文字のみを強制した結果、漢字で書かれた文献を読める者は少数の歴史学者だけになった。
つまり、国家・国民の文化・知識・知恵の大半が喪われた。この「対岸の火事」を日本人は自業自得だと揶揄する。
 自国に居ながら国語が読めない、書けない、理解できないという事は、あたかも外国語に囲まれた外国に住んでいるとも言える。
数学者・藤原正彦氏は「国家の根幹は、国語教育にかかっている、一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」と著書「祖国とは国語」で訴えておられるが、文科省は馬耳東風で小学校から英語、金融投資術、ゆとり、協調、忖度、平等、公平、健康、そして高校生には援助交際か。
番外
韓国の若者に「田」を書かせると、横棒三本、ついで縦棒三本を書く。川も立て三本ではねることが出来ない。「山」や「谷」は筆順無視で書けても、「楽」という漢字となると、もはや書けないからさじを投げる由。
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祖国とは国語であると言った人が外国にもいます。
エミール・シオランさんです。